シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

キッチュ路線に逆戻り? 「ダークナイト ライジング」

ダークナイト ライジング (字幕版)

   

傑作と名高いダークナイト

また、ダークナイトほどではないにしても、神話的な物語としてバットマンの誕生と苦悩を描いた物語として評価の高い「バットマン ビギンズ」。

そして、クリストファー・ノーラン監督によるバットマンシリーズ3部作の最終作にあたるのが「ダークナイト ライジング」になります。

多くの人の期待が込められた本作品ですが、賛否両論の作品になっています。

面白いという人がいる一方で、全然ダメ、という人もいる珍しい作品となっていますが、改めて作品についての是非について考えてみたいと思います。


ちなみに、ビギンズとダークナイトに世界観や重たい世界観が好きな方で、ライジングを見ていない人が万が一おりましたら、本作品は重要なネタバレをしながら羅列していきますので、気を付けてご覧いただければと思います。

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前提条件として

ちなみに、今までの作品を見てきた人にとって、ある意味において冗談みたいな作品に出来上がっています。

その要因の一つとなっているのが、「ダークナイト」において、ジョーカー役を演じたヒース・レジャーの死は避けて語れません。

本来であれば、いつまでも最強の悪役としてひっぱることができたはずのジョーカーですが、良くも悪くも役にのめりこんだヒース・レジャーは亡くなってしまい、その後の作品の軸となる人物を失ってしまった影響は計り知れません。

ある意味においての最大級の魅力を失ってしまったバットマン

クリストファー・ノーラン監督は次回作の作成を断ったという話もあったようですが、3部作として構想しておき、かつ、大ヒットしてしまったシリーズ作品を作らないわけにはいきません。


色々な思惑が重なった結果なのか、そもそも、狙ったのかは別として、「ライジング」は、正直、粗の目立つ作品となっています。


あれほど重厚だった人間の苦悩はどこにいったのか。

世界観にギリギリのリアリティを与えていたはずの道具はどこでおかしくなったのか。

リアリティ路線にみせつつ、リアリティを失った本作品について、楽しみ方を含めて考える必要があるのが本作品となっています。

さて、前段はこれぐらいにして、作品の内容に入っていきたいと思います。

 

事件から8年後

さて、物語は突然ハービー・デントが死に、ジョーカーによって大混乱に陥った時代から8年後の世界から始まります。

デント法なるものが施行され、かつてゴッサムシティにはびこっていた犯罪者たち1000人は、刑務所に入れられました。

すっかり平和になったゴッサムシティ。

かつて不正や犯罪と戦っていた人物は、ゴードン本部長くらいになってしまっており、みんなどこか平和ボケしてしまっています。

そう、たった8年で彼らは、平和に慣れてしまったのです。


デント法とは具体的にどういうものかはわかりませんが、とにかく犯罪者をしょっぴきやすくしたものと思われます。

特にこの法律のせいで、無実の人が投獄されるという葛藤があったわけでもなく、ただただゴッサムは平和になっていたのです。


一方で、バットマンはというと、ハービーを殺したということになってしまったせいですっかり市民からは信用が失われ、お尋ねものになっていました。

当のブルースウェインは、事件の後遺症なのかわかりませんが、8年間姿を現しておらず、ボロボロの姿になっています。

杖をついており、膝の軟骨は失われ、内臓はダメージを受けており、何がどうなっているのか満身創痍です。

何より本人はやる気を失って隠居生活を送っているのですが、彼女のもとに、アン・ハサウェイ演じるキャットウーマンが現れて物語が動き出します。

キャットウーマン

8年の間に何があったのかは、正直ほとんど描かれません。

キャットウーマンが、ブルースの家から真珠のネックレスを盗みだしたことで、半ば廃人状態だったにも関わらず、あっさりと復活します。


警察なんて必要ないんじゃないかみたいな雰囲気の町で、キャットウーマンは議員を誘拐し、ブルースの指紋を欲しがっていた人物と接触

交渉が決裂して、銃撃戦がはじまります。

もう前提がおかしくなります。
平和になったはずのゴッサムシティで、どうして簡単に銃撃戦がはじまってしまうのか。

細かいことは気にしてもしょうがないのですが、ライジングでは、今まで築き上げてきた作品のイメージがかなり壊れていくことになります。

 

ネタ晴らし

さて、ライジングのネタバレを次々と行っていきますが、ライジングでは今まで大事にしていたことがひどいタイミングでばらされていきます。


ダークナイト」で死んでしまったレイチェルは、執事であるアルフレッドに、ブルースへの想いを書いた手紙が渡していました。

レイチェルは、闇の騎士であるバットマンではなく、光の騎士であるデントのほうを選んだ、といったことを書いたものでした。

しかし、ブルース・ウェインは、レイチェルは自分のことを想いながら死んでいったと思い込みながら、ジョーカーと対決したのです。

レイチェルが、デントを選んでいたと知ったら、ショックを受けるだろうし、いろいろな意味でブルースの決意が揺らぐことを恐れたアルフレッドは、その手紙をこっそり焼き払ってしまうのです。

渡そうとしていたにも関わらず。

主人のことをおもったアルフレッドが行った苦渋の決断だったといえるでしょう。


しかし、ライジングでは、簡単にこのことをバラします。

「もしも、レイチェル様が、手紙を書いていたとしたら」

色々と台無しです。


また、バットマンの世界がチープではなく、一定のリアリティをもっていたのも、ひとえに科学兵器がそれなりに理由があったためです。

橋をつくるときに使う車をバットモービルにしてみたりと、何か映画内における論理が働いていたはずでしたが、気づくと自動操縦が壊れた空飛ぶ機械が平然とあったり、半永久的に人類が暮らせる機械がつくられていたりと、話のつくりがチープになってしまいます。

最後は、アルフレッドがかつて考えていた妄想通りに物語が終わってしまったときには、今まで積み上げてきたシリーズの雰囲気はどこにいってしまったのかと思うところです。

囚人が解放されて、あっという間に世紀末ヒーローな世界になってしまった中で、再びバットマンが立ち上がる、っていうのは何も考えないでみる分には面白いのですが、今までの流れを考えると不自然です。

バットマン

さて、突然ですが、バットマンのテレビシリーズは、かなりお粗末なシリーズとなっています。

映画のような重厚さはもちろんなく、タイツを着たおっさんが戦うコミカルなものになっています。

つっこみどころ満載であり、宿敵ジョーカーとサーフィン対決をしてみたり、敵が原子炉に勝手に落ちてみたりと、いろいろな意味で頭をかかえたくなるものとなっていますが、それが魅力でもあるところです。


ライジング」は、たしかに、クリストファー・ノーラン監督がつくりあげてきたシリーズの中では、明らかに異色です。

ですが、楽しんでみようとするのであれば、バットマンは、テレビシリーズに回帰したと考えながらみたほうが、良くも悪くも楽しめるのではないでしょうか。


少々、蛇足な解説となってしまいましたが、映画はいろいろな楽しみ方ができるのも魅力の一つとなっておりますので、アン・ハサウェイがみたい人も、物語を完結まで見届けたい人も、それぞれの楽しみ方を見つけていただければと思います。


以上、キッチュ路線に逆戻り? ダークナイトライジングでした!

 

 

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