田中美佐子。山崎努。感想&解説。映画「ダイアモンドは傷つかない」
荒木飛呂彦の漫画「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンド傷つかない」と、関係があるのかといえば、別にそういう話はききませんが、少なくとも、そんなつながりで気になってしまった方も少なからずいるのではないでしょうか。
本作品は、女優の田中美佐子映画デビュー作であり、フルヌードで且つ濡れ場を熱演するという、今だったらかなり信じられないような作品となっています。
ただ、本作品は、エロティシズムではなく、当時の人間の情念を感じさせる作品となっておりますので、そのあたりを含めて解説してみたいと思います。
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不倫するおとこ
今も昔も不倫とか愛人とかいうものは、認められるものではありませんが、「ダイアモンドは傷つかない」では、そんな不適切な関係にぶつかっていく少女を描いています。
予備校の講師をやっている主人公三村。
そして、20歳になるかならないかといった田中美佐子演じる二人目の愛人がいるのです。
とんでもないやつだ、と思うかもしれませんが、本作品は、そんな人間関係が織りなす情念をみることに面白さがあります。
どうしてお金がないのか、とぼやく山崎努演じる三村に、田中美佐子演じる弓子は
「あっちのほうやめたら?」
とあっけらかんと言ってくるのです。
弓子は、加賀まりこ演じる牧村という女性に嫉妬しているのです。
この愛人同士のやりとりや、それをのらりくらりとかわす山崎努が見ものです。
そんな場面は随所にあって、弓子がかき混ぜていく面白さがあります。
傘の話
「自分の傘に女をいれたいやつと、女の傘に入りたいやつの2種類がいる」
三村は、ところどころ名言めいたことを言います。
「傘に入るためには、女を心得ていなきゃならん」
映画をみていくとわかりますが、三村は、自分の傘に女性たちをいれていて、自分は入るふりをしているだけのようにみえるのです。
若い弓子は、なんとか三村を自分の傘にいれようとすべく、奥さんの前に現れてみたり、愛人の勤める職場にいってみたりと、ゆさぶりをかけていきます。
3人の間で動く男
三村という男は、本当にひどい男です。
本妻がいるにもかかわらず、10年来の付き合いがある愛人もいる。しまいには、子供をおろさせもしているという外道っぷりです。
それでも、加賀まりこ演じる牧村は、三村から離れたりしません。
「もうお酒に酔った勢いで、若い子つれてこないでくれますか」
と言われているだけあって、三村の行動が一回や二回の出来事ではないことがわかるのです。
それでいて、
「夫婦みたいなもんだ」
と、弓子に言う始末です。
もちろん、それを聞いた弓子も
「じゃあ、私は」
と聞いてくるのですが
「お前は、宝だ」といってごまかすのです。
ダイアモンドは誰か
言うまでもありませんが、ダイヤモンドが誰かと考えた場合、それは、田中美佐子演じる弓子をおいてほかありません。
本作品は、たんに愛人に翻弄されるしながい中年の話ではなく、背伸びをした女の子が、再び戻っていく、という話を描いているところに最大の面白さがあります。
弓子は、予備校で教えている三村に憧れます。
そして、みずからきっかけをつくりにいって、見事に大人の世界を見せつけられます。
好きな先生には愛人がいて、その愛人が住むマンションでキスをされる。
正直、下手をしなくても犯罪なわけですが、弓子は、目いっぱい背伸びをして頑張って大学に合格するのです。
彼女からすれば学生生活というのは、子供の場所にしかみえません。
学友たちとご飯を食べているときでも、予備校のバイトの準備をしたりしてますし、大学で「早稲田100キロハイク」というイベントにいこうといわれても、やろうなんて気はさらさらありません。
ちなみに、この本庄~早稲田100キロハイクは今でも行われている、早稲田大学が誇る伝統的な行事となっています。
さて、三村に出会わなければ、同じ年齢の若者たちと恋をしていたりしたかもしれませんが、彼女は、三村と出会ってしまったのです。
本当に愛しているのは
正直、弓子という少女は、危険です。
本妻の前に現れてみたり、もう一人の愛人に電話をかけてみたりと、やりたい放題ですが、三村は見放したりはしません。
ここが不思議なところですが、三村という男は、軽薄な男ではないのです。
そして、何より重要なのは、本妻を愛しているということです。
朝丘雪路演じる妻は、世間知らずのお嬢様であり、決して心が強い人ではありません。
「眠ろうとすると、足がつるの」
と三村に言うで、彼は、妻の足をマッサージします。
統合失調症か何かを患っているのか、唇の中に虫が這っていて気持ち悪いといって、針を刺してみたりするのですが、他の人からみれば狂気の行動です。
ですが、白いドレスをきた美しい映像の朝丘雪路が映ります。
これは、彼女の心象風景ではなく、当然、に三村がみえている場面であるとわかります。
彼は、妻を愛しているけれど、満たされることがないのです。
弓子は、そんな三村をなんとか自分の振り向かせようとして、大学の友人を連れ込んでみたりするのですが、三村は内心激怒しながらも、平気なそぶりをするのです。
愛人とのやり取りというのは、ハラハラしっぱなしです。
映像的なすばらしさ
田中美佐子のヌードというのはたしかにすごいのですが、本作品はそういったところ以外も含めて、素晴らしい演出になっています。
疲れたから寝る、という三村。
弓子は布団をとりだしてきて、三村も敷くのを手伝いながらそのまま布団に入ります。
「おいで」
と言って、弓子との情事がはじまる、という一連の流れは、実に日本的です。
ベッドではなく、布団を使うという日本の所作との流れが非常になめらかにつながっており、彼らの日常が伝わってくる場面となっています。
男の狡さ
さて、本作品の主人公はもちろん弓子ですが、山崎努演じる三村の生きざまを見せた作品でもあります。
三村は、愛人に対して、自分が死んだら妻と住まないか、とあたりまえのように言います。
普通、絶対言えないことだと思いますが、
「俺の悪口でも言いながら、楽しく暮らしてくれ」
さすがの弓子も言います。
「もう大人のふりはおしまい。何も理解できなくて子供でした。子供が大人のふりをしたため。秩序正しい大人のセカイを崩してしまいました」
まさに、このセリフにすべてがかかっているといえるでしょうか。
弓子は、三村に憧れて大人の世界に入ったものの、三村の世界を壊した。いや、壊そうとした。でも壊せるようなものではなかったことに気づいたのです。
三村もただ楽しくて今の状態を行っているわけではなく、様々な事情の中でどうにもならない状況を生きていることがわかってくるのです。
義理の弟に
「いっそ、はっきりさせたほうが」
と言われますが、三村は言います。
「どんなにすっかりわかっていることでもね、男には、はっきりさせてしまってはもうおしまい、ということがあるんだよ」
身もふたもないセリフですが、三村は良くも悪くも、大人なのです。
弓子は、再び学生に戻ります。
100キロハイクに参加し、数多くいる学生たちの群れの中へと消えていくのです。
三村たちの、大人といえば聞こえがいいですが、どうにもならない人間関係をかきみだして、でも、再び戻っていく、という姿を描いた非常に優れた作品となっています。
道徳的な物語というわけでもありませんし、決して認めていいものではありませんが、こういう風にしてしか進まない人間関係もある、ということがわかる、深い物語となっておりますので、人生で悩んでいる人は「ダイアモンドは傷つかない」を見てみると、わかる部分があるかもしれません。
以上、田中美佐子。山崎努。感想&解説 映画「ダイアモンドは傷つかない」でした!