シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

宮沢りえ主演「湯を沸かすほどの熱い愛」感想&解説

湯を沸かすほどの熱い愛

  

自分の余命がわかったとき、人はどんな行動をとるのでしょうか。

多くの作品がそのような人生の終わりを予感することで、変わる人間を描いてきていますが、「湯を沸かすほどの熱い愛」は、一人の女性が、大きな愛を示し、多くの人間を救っていく物語となっています。


倫理的な問題が言われることもある本作品ですが、その魅力と物語の構造を含めて解説してみたいと思います。

 

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絶望から人は動く

 「湯を沸かすほどの熱い愛」の概要を説明しますと、死を宣告されたことで自分の命を誰かのために果たそうとする壮絶な命の輝きを描いた作品です。


宮沢りえ演じる主人公の双葉は、夫と二人で銭湯を営んでいましたが、1年前に夫に逃げられて、高校生になる娘と二人暮らしをしながらパン屋で働いている女性です。


高校生の娘である杉咲花演じるアズミは、同級生にいじめられており、不登校になる寸前の状態ですが、母親に無理やり背中を押されて通っているような状態です。


決して幸福な家庭ではありませんが、本来であれば、それなりに人生が進んでいくはずです。ですが、宮沢りえ演じる双葉が余命宣告を受けたことで世界が変わります。


開始10分ちょっとの間に、余命宣告を受け、自分がいなければ一人でいられないであろう娘を抱えながら絶望する状態は、子供をもつ親御さんであれば誰もが恐れる事態ではないでしょうか。


そんな最悪の状態から、宮沢りえは、動き出すのです。


「お母ちゃん決めた。アズミのために、超特急で帰って、おいしいカレーつくる!」

 

脚本の面白さ。

 「湯を沸かすほどの熱い愛」で面白いのは、ちりばめられたユーモアと、伏線の数々です。

 伏線といっても、話しをうまく対応させている、という点が大きいのと、皮肉がきいている演出が面白いです。


いじめられている娘と、自分の命が残り少ないという中、娘から電話がかかってきます、

「お腹すいたよ。餓死しちゃうよ」

通常であれば可愛い会話ですが、本当に死を前にした主人公双葉には、どう聞こえたでしょうか。

カレーを作ると答えて、失踪した夫に会いに行くと、夫もまたカレーをつくっている。

おそらく双葉がつくっていたカレーを、夫が無理やり作っていたのだろうと推測できたりするのも、皮肉さと夫のこっけいさが伝わります。


双葉が娘のアズミに、水色の下着(ブラジャーとパンツ)を渡すところも秀逸です。


「まだいいよ」
「大事なときに、ちゃんとした下着つけてないと恥ずかしいよ」

ちなみに、水色なのは、いじめられて絵の具で汚れた娘に対して、「好きな色は?」とたずねたことを受けてです。


そして、この大事なときに、というのもまた、伏線になっているところが素晴らしいです。

 

聖母の物語ではない。

ここからは、ネタバレになりますので、必ず作品を見てからご覧ください。

ネタバレしないほうが、本作品については楽しめます。

さて、では続き参ります。


本作品は、母の物語です。


そして、母になれなかった女性の物語です。


宮沢りえ演じる主人公双葉は、次々と人を助けていきます。


いじめられた娘に対して、学校にいくように強く言います。

「今日諦めたら、2度と行けなくなるよ。今すぐ学校いく準備しなさい。逃げちゃダメ。立ち向かわないと。今自分の力でなんとかしないと」

命が短い彼女からすると、なんとか一人で生きられるようになって欲しいのです。

 

「わかってないよお母ちゃん。私には、立ち向かう勇気なんてないの。お母ちゃんとは全然違うから」

「なんにも変わらないよ。おかあちゃんとアズミは」

この台詞も複数の意味があることがわかるのが素晴らしいです。


ネタバレしているので言いますが、一回目みると、これは娘であるあずみに対して、おかあちゃん(双葉)とあずみは、血がつながっているんだからかわらない、という宣言のように聞こえます。

ですが、これは、母親に捨てられたという点で同じであり、きっと双葉もまた同じように親に捨てられて自信を失っていたときがあったことを示唆する台詞でもあるのです。

 

賛否両論の熱い議論

宮沢りえ演じる双葉は、正直、ちょっとできすぎた人間のように見えますが、そうではありません。


宮沢りえ本人が監督に確認したそうですが、この作品の主人公を聖母のように描かいていない、ということが重要です。


夫を探し出して銭湯を復活させ、娘のいじめを解決し、捨てられた娘を家族にむかえ、旅行の途中で少年に目標を与え、娘と母親を再会させる。


色々な人に勇気を与えてくれる、子供を生んだことはなかったとしても、彼女は母です。

ですが、完璧ではない。

自分を捨てた本当の母親が見つかり会いにいくのですが、自分という存在をまったく存在しないものとして幸せに孫と遊んでいるのを見てしまいます。

 

それに腹をたてて、相手の家のガラスを割ったり、夫の前妻を叩いたりするあたりは、彼女もまた人間なのだということを教えてくれます。


彼女は俗なところもある。だからこそ、彼女は偉大なのです。


物語のラストで、遺体となった双葉を銭湯の釜にいれて火を焚き、家族で風呂に入るシーンがあります。


「あったかいね。おねーちゃん」


彼女の暖かさが物理的にわかる凄まじい演出です。

倫理的に問題だ、という話しをみかけることもありますが、この作品をみているとそれが、重要ではないことがわかります。


彼女(双葉)なら、そうして欲しいだろう、という想いです。


是枝監督「万引き家族」でも書きましたが、倫理や法律は大事ですが、その外側でしかわからない物事もあり、それを描けるのが文学であるのです。

 

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

抵抗するほど熱い。

杉咲花演じるアズミが、同級生の前で下着姿になるという衝撃的なシーンがあります。


これは、制服を隠された同級生に対して、自分なりのやり方で反抗の意を示したという力強いシーンとなっています。


ガンジーに代表されるように、暴力ではなく、非暴力によっていじめっこの精神を打ち負かす、という素晴らしいシーンだったと思います。

陰湿ないじめに対して暴力で対抗するのではなく、お母ちゃんにもらった下着をみにつけた状態で脱ぐ。

大事なときです。絶対に引けないときです。

水色の下着が象徴的につかわれていますし、無理解な教師が「いいから体操服を着なさい」と言っていることに対しても「イヤです。今は、体育の授業じゃないから」

とはっきりと自分の意思を示しています。


また、母親に捨てられた鮎子が、前に暮らしていたアパートの家の前でもらしてしまいパンツを置いていくのですが、あずみはそれをドアノブに引っ掛けます。

「あゆこ、ここにあり」

これは、相手に対する嫌がらせと、あんたが捨てた娘はここにいたんだぞ、という強烈なマーキングといえるでしょう。

皮肉のきいた強烈な演出の数々が面白いです。

生きる。

 さて、話しはすこし横道にそれますが、がんによって余命宣告を受けた人間が、誰かのためにがんばる話として、もっとも代表的な作品といえば、黒沢明監督「生きる」をおいてほかにないのではないでしょうか。

「生きる」は、志村喬演じる主人公が、毎日役所で判子を押して過ごした面白みのない人生を過ごしていましたが、胃がんで先行きが長くないと悟ったことで、小さな公園をつくるために奔走する物語です。


「こうしちゃいられん」

と、自分のなすべきことを見つけた人間の輝きを描いた傑作です。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 
「湯を沸かすほどに熱い愛」を見た方で、まだ「生きる」をみていない方がいるのであれば、是非ご覧になることをオススメします。

 

人間というのは、時間があると思うと物事を後回しにしてしまうものです。

「探偵さんに頼んだら、こんなに簡単に見つかるなんて」

と、双葉は言います。彼女は今まで探そうとしていなかったのです。

 

きっかけができたから動き出した。でも、人間というのはそういうものですし、誰の心の中にも彼女のような情熱は秘めているはずなのです。

 

一度みても面白く、二度目をみても楽しめる作品となっているのが「湯を沸かすほどの熱い愛」となっておりますので、元気がなくなりそうなとき、きっと勇気付けてくれるはずです。


以上、宮沢りえ主演「湯を沸かすほどの熱い愛」感想&解説でした!

 

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