恋をしたほうが負け/キューブリック版「ロリータ」
スタンリー・キューブリック監督といえば、神という存在を示した「2001年宇宙の旅」や、夫婦円満の秘訣を描いた遺作「アイズ・ワイド・シャット」、ジャック・ニコルソン主演「シャイニング」から「フルメタル・ジャケット」など、あらゆるジャンルにおいて金字塔をうちたてている、偉大すぎる監督です。
そんなキューブリック監督が、1962年につくったのが「ロリータ」です。
記事を読んでいただくまえに断っておきますが、「ロリータ」は少女偏愛のあまり破滅に進んでしまう悲しい中年男性を描いた作品ではありません。
性的な描写はほぼ皆無です。
原作となるロシア人作家V・ナボコフによる小説とはテーマが異なりますので、「ロリータ」を通じて、キューブリック監督が何を描きたかったのかを含めて解説してみようと思います。
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一目ぼれの物語
主人公は言わずとしれたハンバート・ハンバートです。
苗字も名前も同じハンバート教授は、避暑地として友人に紹介された田舎町に下宿することを考えていました。
宿主であるシャーロット・ヘイズは、一目でハンバート教授を好きになってしまいます。
未亡人である彼女は、理由はさっぱりわかりませんがハンバート教授にほれてしまい、ハンバート教授は、庭で日向ぼっこをしていたロリータこと、ドロレス・ヘイズに一目ぼれしてしまうのです。
この作品で重要なのは、本作品のロリータという単語が、少女偏愛の代名詞であることではありません。
もっと普遍的な事柄が描かれた作品こそが、キューブリック版「ロリータ」です。
中年が陥る罠
物語のあらすじだけ追ってみると話は単純です。
美少女であるロリータと出会ったハンバート教授は、ロリータと暮らすためにその母親と結婚するものの、母親はロリータをガールスカウトに入れて、300キロも離れた場所へ送ってしまいます。
ハンバートの意図に気づかない母親は、ハンバート教授を愛しますが、彼の目に映っているのが自分の娘であることに気づいてショックを受け、不慮の事故で死んでしまうのです。
ロリータの母親を抱きしめている最中に、娘の写真をみるというかなり最低な行動をしているあたり、多くの人はハンバートに共感などすることはできないことと思います。
そして、ロリータとハンバート教授の二人だけの生活がはじまりますが、ハンバート教授は、ロリータを束縛し、やがて、彼女は逃げてしまうのです。
いかにも思考の偏った人間の行いそうなことだと思ってしまうかもしれませんが、それだけで片付けてしまっては、巨匠キューブリックが描こうとしたものが感じ取りずらいかもしれません。
主人公のハンバート・ハンバートは、ロリータと二人きりになれたにもかかわらず、落ち着きがありません。
警察につかまるんじゃないかとか、近所からどうみられているのか、とかそれだけの理由ではありません。
正式に義理の父親でもありますし、二人で生活するにしても、彼は何をそこまで恐れているのか。
ロリータが他人と話しをしていると「どの男と話していたんだ」と問いただしてきたり「土曜日の夜は帰りが遅かったが、どこにいっていたんだ」としつこく聞きます。
「ミッシェルと一緒だったのよ」
と、ロリータが答えても、ハンバートは一向に信じようとしません。
それどころか、「掃除もするし食事も作る。私と一緒にいて楽しいだろ」と強要してくるのです。
偶然にも美少女と過ごすことができたというのに、ハンバートは彼女を束縛し続けようとします。
それは、あたかも、彼女の母親が、ハンバート教授と二人でいるために娘を追い出そうとしたのと同じような行動に見えてきます。
愛したほうが負け
なぜ、ハンバート・ハンバートはこんなに自信が無く、且つ、ロリータのことを疑い、束縛しようとするのか。
後半は、被害妄想が強くなりすぎて、みているのも辛くなってくるほどです。
ですが、この作品を、ロリータ・コンプレックスの物語としてみるのではなく、誰かを愛してしまったことで心が不安定になってしまった、弱い人間の物語としてみたときに、違った解釈が見えてきます。
ロリータの母親は、ハンバート教授を愛したことで、娘を遠くに追いやってしまいますが、その一方で、知的な人間になろうと努力している人でした。
ですが、自分が愛した人間が、自分のことを愛していないと気づいてしまったとき、彼女は雨の中を飛び出していってしまうのです。
彼女がハンバート教授に一目ぼれした理由は推測はできますが、はっきりとは描かれていません。
また、ハンバート教授もまた、なぜロリータを好きになったのかは描いていません。
少なくとも劇中では、彼が少女しか愛せないという異常性癖をもっているようには描かれていません。
彼は、たまたま一目ぼれしてしまったのが、少女であるロリータだったというだけなのです。
原作版の場合とはこのあたりが異なります。
誰かを好きになってしまったら、その誰かに嫌われないか心配でしかたがなくなるのではないでしょうか。
特に、その人物のことを魅力的に思えば思うほど、他の異性にとられてしまうのではないか、と猜疑心にかられることでしょう。
この映画は、愛することの悪い側面を描きながら、その愛することの深さもまた見せてくれているのです。
なぜ愛なのか。
ここからは、ネタバレとなっています。
原作版のハンバート・ハンバートは、逃げてしまったロリータと再び出会ったとき、興味がなくなってしまうのです。
ハンバート・ハンバートが愛していたのは、ニンフェット(小悪魔)としての妖艶な少女であり、所帯じみて、疲れをにじませた大人の女性ではなかったのです。

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ですが、キューブリック版は、あくまでハンバート教授が少女としてのロリータではなく、ロリータという人を愛していたことがわかるラストになっています。
映画版では、家の中は常にぐしゃぐしゃにして片付けもしなかったロリータが、ハンバート・ハンバートと会話をしながら、違和感なく洗濯物を畳んでいます。
(キューブリック監督は何百回と同じテイクをとることで有名な監督ですので、違和感なくやれるまで、ものすごい回数撮影されたに違いありません)。
この家庭的な行動は、原作版のハンバートが思い描くロリータでは決してありません。そんな所帯じみたものをみた途端彼は冷めてしまうはずです。
ですが、映画版のハンバートはそんなことを気にした様子はまったくないのです。
お金の無心と愛
実は、ロリータもまた一目ぼれしていたクレア・キルティという脚本家の男と彼女は逃げてしまってました。
そして、クレア・キルティもまたロリータによって破滅させられてしまいますが、ロリータはさほど頭はよくなさそうな、やさしいだけがとりえのような男と子供をつくり、生活に困ってハンバート教授にお金を無心する手紙を書きます。
「手紙を送ってから、一週間も返事なかったから、怒っているのだと思ってたわ」
と、ロリータはハンバートに言います。
「一体誰といなくなったんだ」
「答える必要はないわ」
「私には、それを聞く権利がある」
と、非常に男らしくない受け答えをします。
「確かに君は彼と結婚した。でも、そんなことは関係ない。また私のもとにもどってきてくれ。二人で旅にでよう」
ハンバートは言いますが、彼女はきっぱりと断ります。
「あと3ヶ月で彼の子供が生まれるのよ」
ハンバート・ハンバートは泣きながら、サイフを取り出し、中に入っているお金を渡します。
「400ドル?」
ロリータは、おそらく、心底ハンバート教授を嫌ってしまっていのでしょうが、それでも手紙をだしたのはお金をもらうためでした。
ですが、400ドルしか渡さないから、口元が明らかにあきれたような動きになります。
ちなみに、この400ドルは、下宿先の一ヶ月の家賃です。彼は、情けとかそういうものではなく、まずは彼女に正当なお金として400ドルを渡してあげたのです。
だから、「ひもつきじゃない」と言うのですが、それは、たんに正当な対価だといいたいのです。
「2500ドルの小切手もきった。家を売ってできた1万ドルもある。契約書もある」
その言葉で、ハンバート教授が、なぜロリータからの手紙を受け取って、一週間も時間がかかったのかがわかります。
彼は、手紙を受け取って、すぐに自分の財産を現金化するために奔走し、ようやく、もちうる全てのものを現金にしたのがその日だったのでしょう。
だから、時間がかかった。
泣きながらハンバートは彼女にお金を渡します。
あれほど蔑んでいたロリータも、その大金に驚き、去っていくハンバートに「ごめんなさい。でも、わかって。物事ってそんなものよ」
と伝えます。
そして、彼は、自分がもっとも愛した人(ロリータ)が、愛した男(クレア・キルティ)を殺しに行くのです。
どこまでも献身的に
物語の冒頭で、ハンバートはロリータの足にペディキュアを塗ってあげます。
丁寧に塗り、爪の色が他の場所につかないように、指の間に綿までつめてあげます。
彼女のために働き、彼女のために生活をしているのは、中年のおっさんがマゾ的な感性をもっているからではありません。
物語を最後までみることで、ハンバート・ハンバートは少女愛や、少女に蔑まれることに快楽を得ていたのではなく、心の底から彼女を愛しており、愛しているからこそ、なんでもしてあげたいし、彼女が望むなら、自分の持っているものを全て差し出したいと思っていたことがわかります。
まわりに愛する人物がいる人であれば、多少高くてもプレゼントをしてあげたくなるし、嫌われるのが怖くなって、つい攻撃的になってしまうことだってあるでしょう。
愛するものに対してはなんでもしてあげたくなる。
でも、一方で、それが束縛になってしまうこともある。
しかし、自分の一番愛した人間が、自分を愛してくれるわけでもなく、ロリータのように一番愛した人間ではない人と添い遂げようとする人間もいる。
だからこそ、ロリータは「物事ってそういうものよ」と言い放ってしまうのです。
キューブリック版「ロリータ」は、そんな人間の業がよくわかる作品となっています。
白黒映画であり、しかも、ロリータ・コンプレックスの語源ともなった作品ということもあって、毛嫌いしてしまう方も多いかと思いますが、想像を超えたテーマが描かれた傑作となっていますので、今一度ご覧頂くことをオススメします。
以上、恋をしてしまったほうが負け/キューブリック版「ロリータ」でした!
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