安藤サクラがボクシング/「100円の恋」解説
何もしたいことがない。何かに流されて生きている。一生懸命になったことがない。
人というのは、自分がどうしたらいいのかわからないまま年月を重ねてしまうものです。
安藤サクラが主演した「100円の恋」は、そんなどうしようもないところまで落ちてしまった女性が、初めて強く意思を持つ物語です。
ある意味において、ゼロ年代の世界をそのまま映像にしたような作品出るため、わかる人には凄まじい共感を呼び、わからない人、とくに外国の人間であれば、おそらく、登場人物に感情移入することすら困難でしょう。
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そんな、ある意味において日本映画としてのど真ん中である「100円の恋」について、解説してみたいと思います。
ニートで引きこもりの32歳
安藤サクラ演じる主人公の一子は、どうしようもない奴です。
「100円の恋」では、それがファーストシーンからわかるところが凄まじいです。
妹の子供と二人でテレビでボクシングゲームをやっているのですが、彼女はおもむろに自分の背中を手でかきます。
それ自体は、なんてことない動作ですが、映像でみた人はそのシーンで驚くことになります。
肉がズボンにのっかった背中。
それだけで、彼女は自堕落な生活をしてきたことがわかるのです。
普通に生活している我々であれば、お腹の肉がのっかろうがまったく問題ありませんし、それが飽食の現代においてあたりまえのことです。
ですが、こと映画にいたっては、そういうシーンがでてくることはあまりありません。
わざと汚いものをみせる、という目的でそういった役者をつかうことがあっても、個性派とはいえ、女優として様々な活躍をみせている安藤サクラの、肉ののった背中をみることは、普通ではありえないのです。
安藤サクラの演技
話しはそれますが、安藤サクラといえば、本ブログでも紹介した「愛のむきだし」で、宗教施設の幹部であるコイケという心の傷を負った少女を演じ、不気味でありながら妖艶な演技によって一部で人気となった女優です。
その後も、くせのある演技によって頭角を現し、「100円の恋」では日本アカデミー賞において最優秀主演女優賞を受賞しています。
「100円の恋」では、普通の女優であれば絶対に断ってしまいそうなシーンを、これでもかというぐらい行う女優泣かせの映画となっています。
だらしない身体にするため体重を増やし、ぶよぶよの身体にしなければなりません。
後半は、プロテストを受けるというのに恥ずかしくない絞った身体になります。それは並大抵の努力では叶わないものです。
演技の面では、声は小さく、内弁慶で、家族には暴力をふるい、身勝手で、甘えったれで、何も考えられず、酷い目にばかり会う女性です、
綺麗な女優さんが、綺麗な演技をして、美しさを銀板に残すなら、みなさん喜んでやるでしょうが。そんな願いや希望は一切ない、骨のきしむ音が聞こえてきそうな作品が「100円の恋」です。
ちなみに、撮影期間は2週間。3ヶ月間はボクシングの練習を行い、一方、太った状態の撮影も行う。つくづく、俳優さんはすごい人たちだと思います。
100円の価値観
主人公である一子は、非常にしょうもない理由で妹とケンカし、母親に泣かれたことで家をでていく決心をします。
彼女は、まともに働くこともせず、
「夜遅いんだから、へんなもの食べちゃだめよ」
と世話を焼かれ、甘やかされて育っています。
そんな彼女が家を出て働き始めたのは、100円ショップです。
そこは、みなさんご存知の通り、基本的にはどんな商品でも100円です。
安いし種類があるし、余計な計算とかしなくいいから、一子はその店が好きなのだと思います。
何もかもが面倒くさくて、やる気がない。わからないし、考えたくもない。
100円ショップはそういうものの象徴ではないのですが、劇中の中で一子がそのような感じでみていたように思われます。
「100円っ、100円っ。やすいっ、やすいっ。」
いかにもチープな曲が店内に流れています。
どん底の恋
一子はとにかくどん底まで叩き落とされます。
100円ショップの店員となってなんとか生活していますが、そこで、ボクシングをやっている男になぜか声をかけられデートに行くことになります。
デートなんかしたことのない一子は、100円ショップで売っていた豹柄の下着をつけて鏡の前に立ちますが、自分の姿をみてがっかりするところなど、笑える半面、笑えない悲しさがあります。
「あの、どうして私なんかを」
意を決して自分をデートに誘った理由を聞いた一子ですが、
「断られないような気がした」
と言われます。
運命を感じた、とか、心が通じ合っていた、そういうものではもちろんありません。
たんに、適当に声をかけても断らない安い女だと思われたのです。
一子の周りの人間は、常に誰かを蔑んで、誰かを自分よりも価値が低いと考え、安っぽいものを雑に扱う人たちばかりです。
一子はどんどん落ちていきます。
酔っ払ってバイト先の人間に暴行を受け、バイト先の人間は逃げてしまいます。
どうしようもできない自分に少しずつ嫌気が差し、彼女はボクシングジムに通いはじめます。
ただ、この時点では、ただ通っているだけです。
甘ったれ!
彼女は、新井浩文が演じるボクシング男をアパートで住まわせてしまいます。
一子はボクシングをしている彼を好きになっているのですが、男は自分のことを疑っています。
バイト仲間には酷い目にあわされ、好きな男には邪険に扱われる。
その中で一子は、風邪をひいて倒れてしまいます。
そんな彼女を心配してか、ボクシングの男は、彼女にステーキを焼いてくれます。
「食えよ。肉買う金借りたぞ」
割り箸でステーキを食べようとする一子ですが、
「見られると恥ずかしくて食べられない」
といって食べません。
一子は子供です。好きな人がみているからと考えることもできますが、彼女はあらゆることに自信がないのです。
で、ステーキを口に入れようとするのですが、硬すぎてかみきれません。
ボキッ。
と、割り箸が折れます。
それでも、一子は食べようとしますが、もう一方の箸も折れてしまいます。
「うう・・・。ううう」
「笑ってるのか」
と男は言いますが、無論、泣いています。
情けなくて泣いているのです。
頑張ろうとしているけれど、何もかもうまくいかなくて、自分が情けなくて、ステーキを食べようとしてるのに、箸まで折れる。何もかもうまくいかなくて、悔しいのです。
そして、彼女は、初めて男に抱かれます。
それでも上手くいかない恋
男と同棲した彼女は幸せそうですが、結局、男は、よりいい女性のほうにいってしまいます。
「どうして、帰ってこないの?」
と一子が男に聞くと、男の新しい彼女が興味なさそうに言います。
「誰あれ?」
「いもうと」
「にてねー」
「腹違いだからな」
と言って、一子は捨てられます。
さらに追い討ちをかけるように、100円ショップの店長には、賞味期限の切れたお弁当をホームレス風のおばさんにあげていたことがバレて怒られます。
「斉藤さんさ、なめてんの俺のこと。弁当やるなっていったよね。目つきわるいってあんたクレームきてんだよ」
彼女はなにも言い返せません。
そして彼女は、決心するのです。
決意する100円
彼女は、ボクシングにのめりこんでいきます。
「テスト受けたいんですけど」
ぶよぶよしていた身体が次第に締まっていきます。
腕も満足にひろげられなかった彼女は徐々に動きがよくなり、パンチの威力も上がっていきます。
そして、一子が頑張ることによって、自信のなくなっていた父親や、自分を下に見ていた妹、いじめられている妹の子供など、色々な人に希望を与えていくのです。
この作品は、正直よくある自己啓発のはいった映画です。
ですが、本当にどん底に落ちて、どうしようもできなくなった主人公が、努力し、あがきながら前に進む力強い作品でもあります。
なんでボクシングをやることにしたのか聞かれた彼女は
「肩たたきあったり。なんか、そういうのが。なんか」
彼女は一生懸命やっている人間にあこがれていたのです。
何も打ち込めなくて甘えてばかりいた彼女が、ボクシングのプロになるために、自分を追い込んで変えていこうと思ったのです。
彼女は、試合のテーマソングを100円ショップのテーマソングにします。
「なんだこの歌」
「あたし、100円程度の女だから」
彼女は、ないがしろにされていた世界に、一発でいいから、かましてやりたかったのです。
「一発ぐらい、入れてみなさいよ」
外野は勝手にいいます。
ちょっと、映画ロッキーのようになりますが、彼女もまた格上の相手に戦いを挑みます。
「いい左もってんだよな」と何度も劇中で言われます。
彼女はいいものをもっているのです。
だから、一発でいいから、その左をぶちかましてやりたい。
これはボクシングによって自分をかえる女性の話ですが、ボクシングというのはたまたまボクシングだった、ということに過ぎません。
何にも打ち込むできない人が多い中、何でもいいから打ち込めることを見つけて、世間とかに一発でいいから存在を示す。
一度も勝負してこなかった彼女が、勝負を挑む。
そのことこそが重要なのです。
この作品は、ちょっときつすぎる現実を映しています。ですが、そこにある、一度でいいから戦う、ということの大事さを教えてくれる作品となっています。
以上、安藤サクラがボクシング。/「100円の恋」解説でした!