シンゴジラのいちばん長い日。ネタバレ解説/シン・ゴジラ
「新世紀エヴァンゲリオン」や「不思議の海のナディア」の監督である庵野秀明監督がつくったゴジラシリーズの最新作「シン・ゴジラ」がついに公開されました。
12年もの間つくられることがなかったゴジラですが、圧倒的な才能と実力をもって、日本への希望などが示される作品となっています。
庵野監督版「ゴジラ」がどのような影響の下作られたのか、その元ネタを探りつつ、シン・ゴジラの魅力に迫ってみたいと思います。
極力、物語の本質的なネタバレは避けておりますが、この映画は、事前情報をいれない状態でみたほうが明らかに面白い作品となっておりますので、すぐにでも映画をみにいける人は、映画をみてから、事前情報が入ってしまった方については、あきらめて当ブログの見方を参考にしていただけると、シン・ゴジラをより考えながら見ることができる一助になると思います。
スポンザードリンク
?
シン・ゴジラの見所
いきなりですが、シン・ゴジラの魅力は、会議シーンにあります。
長谷川博己演じる矢口という男は、若くして抜擢された男です。その男が「ゴジラ」という脅威にさらされた日本政府による、情けない対応を目の当たりにします。
当初、政府は結論ありきの事なかれ主義ですすめようとします。
海での謎の爆発がおきますが、
「海底火山の爆発、ということにしておこう」
としてすぐに終わらせようとします。
しかし、長谷川博己だけがインターネットの情報から、巨大生物の可能性を示唆するのです。
ばかなことを言うな、と非難されますが、現実に、巨大な生物が街を襲う圧倒的な事実の前にえらい人たちは唖然とするばかりです。
現実VS虚構とポスターなどでは書かれますが、虚構というのは偽りの平和、この映画においては、ゴジラがでてくるということこそが現実、その現実の前に闘うという風なうがった見方も可能です。
警察では対応しきれないため、自衛隊の出動を要請しようとしますが、ゴジラといった巨大生物に対しての行動が防衛行為なのか、どうなのか、という議論が始まってしまい、一向に対応ができません。
しまいには、ゴジラに攻撃しようとして弾を一発発射するだけでも「許可をお願いします」「許可を!」「そーり! 撃ってよろしいですか!」
という具合に、日本がいかにして法律や規律で縛られているのか、システムそのものをみせることで、それを皮肉ることに成功しています。
また、ネタバレになってしまいますが、とある理由で、政府は倒せる段階のゴジラを倒せないで終わります。
「国民に銃を向けることはできん」
といって、やめてしまうのです。それは、避難しおくれた人の人命を優先したのですが、これは日本という組織、しいては、平和な日本の平和ボケそのものを象徴しているともいえます。
政治家自身の進退問題。万が一があったときにどうするんだ、というどうしようもない判断の連続が、ブラックユーモアたっぷりに描かれます。
前半部分は、そのためギャグが多めになっておりますが、後半につれてシリアス度合いが増してくるところが、面白いところです。
日本のいちばん長い日
さて、日本という組織そのものの批判もあるという点は、実は、ある映画のつくりに非常に良く似ています。
そう、シン・ゴジラが下敷きにしている作品は、岡本喜八監督「日本のいちばん長い日」です。
これは、太平洋戦争時の日本が、ポツダム宣言を受諾し、天皇による玉音放送を流すまでの、24時間を描いた作品として、岡本喜八監督の代表作の一つとして知られる傑作映画です。
なぜ下敷きにしているのかわかるのか、という点ですが、スタッフロールをみていただくとわかるのですが、岡本喜八(写真)と出ているためです。
もともと、庵野秀明は、岡本喜八映画の影響を受けており、エヴァンゲリオンの使徒の血が青いのも、岡本喜八「ブルー・クリスマス」の影響によるという話は有名です。
そのこともあって、岡本喜八(写真)というスタッフロールと、会議主体の物語のつくりを考えると「日本のいちばん長い日」の影響がないはずがありません。
ちなみに、岡本喜八の写真が使われているのは、劇中ででてくるゴジラの名付け親であり、ゴジラのようなものをがでてくることを予見していた博士です。
「日本のいちばん長い日」は、ポツダム宣言に伴って、日本政府も同じように議論します。
玉音放送の原稿の一文「戦線好転せず」という言葉をどうするかでもめにもめるようなメンツと、ガチガチの規則に従った世界が描かれる前半部。
後半部は、玉音放送を中止させるために、近衛兵たちが決起しようとする話にわかれています。
この規則は、誰かを縛るものにもなりますが、同時に、何かが起きたときに自分たちを守るためのものになる、という二面性が描かれているのも素晴らしいです。
この「日本のいちばん長い日」の前半部を下敷きにしながら、シン・ゴジラでは、さらに3・11と初代ゴジラを加えて、大きな物語にしています。
ファースト・ゴジラ
本田猪四郎が監督をする一作目のゴジラは、どれだけ攻撃を受けてもまったくダメージを受けません。
そして、日本に上陸し、皇居の前にいって再び海へ戻ろうとします。
一説には、ゴジラは戦争の英霊たちが、栄華によって戦争の悲劇を忘れてしまった日本人への警告としてつくられたものである、という見方がある作品です。
また、原爆の象徴としての存在でもあり、黒澤明監督「七人の侍」などでもお馴染み、志村喬演じる博士がガイガーカウンターをつかって、放射能がある、ということを示してもいます。
ゴジラ一作目においても、奄美大島における伝説を引き合いにだしていますが、シン・ゴジラでも奄美大島にいるという伝説の生物の名前をだし、その名前が「呉爾羅(ごじら)」であるということから、劇中での呼称が「ゴジラ」となります。
ゴジラという存在に対しても、一作目のゴジラを強烈に意識し、原点回帰しているという点が非常に特徴です。
ゴジラ第一作目では、戦争で死ぬことができなかった男、芹沢博士が自ら開発した兵器オキシジェン・デストロイヤーをつかったゴジラと共に海に消えます。
ですが、シン・ゴジラは、ゴジラの目的そのもののが異なっています。
ゴジラは何者か。
一作目のゴジラは原爆の象徴であり、報われなかった英霊たちの魂を象徴するものでしたが、シン・ゴジラにでてくるゴジラは、いったい何の象徴なのか。
それは、3・11における原発事故であり、想定外の災害そのものの象徴と考えられます。
シン・ゴジラのパンフレットでも触れられておりますが、会議のシーンなどのリアリティを徹底的に追求するためにつかわれたのが、3・11の時の政府資料です。
どのようなやりとりが行われたのか。組織は。権限は。
詳細にのっているそうですが、いずれにしても、3・11が非常に重要なモチーフである、ということがわかります。
シン・ゴジラを見ていて、結局、ゴジラは何のために日本に来たのだろうか、と思うでしょうが、そこを考える必要はありません。
もちろん、60年前に捨てられた放射能物質によって、ゴジラが誕生した、というふわっとした話はでてきますが、本質はそこではありません。
ゴジラは、日本に訪れた圧倒的な災害の象徴です。
その想定外のできごとをきっかけに、日本という組織の悪い場所が浮き彫りになり、長谷川博己演じる矢口たち、平和な世の中では決してむくわれることのなかったであろう、生きづらい若者達が現れて、災害から日本を救おうとする物語なのです。
ゴジラを倒すため、変人だらけが集まった、パトレイバーでいうところの特殊車両2課、パトレイバー小隊の面々のような、独立愚連隊が結成されます。
ちなみに、作戦名にでてくるヤシオリというのは、日本書紀におけるヤマタノオロチの飲んだお酒の名前です
ゴジラという生物が、日本古来のバケモノであるヤマタノオロチとかけたあたり、ゴジラが一種の神秘的な存在であるという点を匂わせている点にも、にやりとさせられます。
ゴジラ、東京駅に現る(ここからネタバレ)
細かい演出や何かは、他の方の解説を見ていただいたほうが早いと思いますが、庵野秀明監督ということで、エヴァンゲリオンでも流れた恒例のBGMもありますし、どうみても、登場初期の、ゴジラと呼称される前の生物の鳴き声なんかは使徒を連想させてしまいますが、それは、考えすぎというものでしょう。
また、とにかくゴジラの造詣が素晴らしいです。
登場初期こそ、CGらしさがひしひしと伝わってきますが、後半になるにつれて、つぶらな瞳と、凶悪なまでの力が示されます。
さらに一歩踏み込んだネタバレになってしまいますので、もっと映画を楽しみたい方は、また見てから戻ってきてほしいのですが、物語のラストにどうなってしまったのか、も考えてみたいと思います。
ゴジラの尻尾のところに、人のような、はいずるような生物の破片がでてきます。
これは、ゴジラが単体の完全生物ということで、分裂する一歩前だったと考えることができます。
一匹でもとんでもない厄災をもたらしたわけですから、これが分裂して数匹になったとき、人類はゴジラのもとになすすべもなくなってしまうでしょう。それを阻止できた、その直前だったのではないか、ということも考えられます。
3・11においても、あと一歩で日本のみならず、世界が大変なことになる一歩手前だったということを示唆するものかもしれませんが、そのことはそれほど重要ではありません。
重要なのは、東京駅が壊されて、東京駅に新たに、きっちりと立ち、ポーズを決めた状態のゴジラが居座ったことにあります。
これこそが、新たな再生の象徴になるのです。
「日本はまだまだやれる」
この映画は、世代交代の物語でもあるのです。
長谷川博己演じる矢口が、日本の組織や体質に絶望しながらも、若くて日本を思う若者が確実に存在している、という点を強調します。
一人は総理大臣に、もう一人は、大統領を目指す若者。
その中で、これから世界は変わって行く。
ゴジラというシンボルをもって、いつ、再び危機にさらされるかもしれないけれど、その中で、力強く生きていくということを示した、素晴らしい作品に仕上がっています。
それは、3・11以後の日本へのエールそのものとも受け取れる、ゴジラ映画という枠にとらわれない作品なのです。
「スクラップアンドビルドアップだ」
と、竹之内豊は言います。
いいか悪いかは別として、この映画は戦後を再びはじめよう、といっているようにも思えます。
岡本喜八「日本のいちばん長い日」もまた、若者たちに日本を譲る老人たちを描いている作品でもあります。
一時期は圧倒的なスターであった三船敏郎もまた、後輩たちに道を譲るという点も含めて、日本という国が若者たちの活躍を期待し、その希望をもって物語を終えています。
しかし、ゴジラを倒す際にも重要な点ですが、最終的にゴジラを倒すのは、人々の力の結集です。
とある事柄で、国外のスーパーコンピュータが必要になるときがあります。
「つなげてしまっては、相手にデータを抜かれてしまいます」と言っている人間がいるのですが、「私は、人間を信じます」といって、スーパーコンピュータを貸してくれる人物がおり、そのことで絶対的な危機を回避することができます。
また、日本の老人たちも活躍します。
全然だめな人間にしか思えなかった人たちですが、ギリギリのところで粘っていたのもまた老人たちであった、ということが示され、誰が悪いでもなく、全ての人間が協力していく重要性が説かれています。
ゴジラという危機を目の前に、一致団結する日本や世界を描いている作品であると共に、圧倒的な情報量とリアリティが、近年の日本映画にはない魅力をもっておりますので、興味のある方、もう見た方は、何度も見てシン・ゴジラを体感していただきたいと思います。
以上「シン・ゴジラのいちばん長い日。ネタバレ感想/シン・ゴジラ」でした!
ちなみに、ゴジラをモチーフにしたと思われる園子温監督映画は以下となります。主演した長谷川博己も主演ででております。
シン・ゴジラでも特技監督などを務めた樋口監督の作品は以下です。
トピック「シン・ゴジラ」について