誰しもみんな悩んでる。/ブレックファストクラブ
アメリカのハイスクールというのは、階級がきっちりわかれています。
この場合の階級というのは、つきあう友達によって作り出される、自分の立ち位置のようなものです。
オタクな人間は、オタクとしかかわりをもちません。
スポーツマンは、スポーツマン。
チアリーダーは、根暗なサブカル女子とは話もしません。
その絶対的なヒエラルキーが存在するアメリカの現実が描かれている物語こそが、1985年に公開されたブレックファストクラブなのです。
この物語は、そんな階級の違う5人が出会ったら、どうなっていってしまうのか。
その揺れる若者の心を覗き見ることができる名作です。
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集められた5人
とある田舎の学校。
5人は補習という名目であつめられています。
パーマをかけた女性、クレア。
彼女はすこしお高くとまった女の子です。
その横には、堂々と座っているレスリング部に所属している男。
シャツをズボンにいれている、典型的なオタク少年。
無口で、化粧っけのないサブカル娘。
髪を伸ばしたチンピラそのものといった男。
先生から、「自分とは何か」ということを課題に、感想文を書くようにいわれます。それまでは、返さない、と。
「自分が何者かを学んで欲しい。また、ここに戻ってきたいか考えろ」
まったくやる気がない5人。
はじめは、お互いに無関心だった5人ですが、チンピラ男ベンダーがかきみだしていく中で、最期には、5人がそれぞれに打ち解けあっていきます。
階級社会はここにも
階級社会が歴然としている国といえば、イギリスです。
当ブログでも、ブリジット・ジョーンズの日記や、英国王のスピーチなどは、イギリスを舞台に、イギリスの階級社会をこえていく人間模様が描かれます。
アメリカは、移民によって成立した国ですが、冒頭でも書いたように、それぞれのスタイルによって、階級がわけられているのです。
もっとも、ヒエラルキーの上位にいるのはスポーツマンと、チアリーダーです。
勉強はできなくても、容姿端麗、スポーツ万能であれば、トップの存在なのです。
だから、ブレックファストクラブでは、スポーツマンは堂々としていて、アメリカ的な正義感をもっています。
バカにされるのはオタク。
みんなから一歩ひかれてしまう、サブカル女子。
しかし、彼らが、一つの場所にいることで、真剣10代しゃべり場、の様相を呈してくるのです。
誰もが、反対の面をもっている。
物語冒頭では、机の座る位置からして離れていた彼らが、最終的には床に座って、それぞれが膝をつきあわせて話すようになっていきます。
これは、映像でもわかるとおり、全員の気持ちが近づいた、というわかりやすい表現になっています。
この登場人物は、それぞれ、偏見をもってみられていて、そのステレオタイプにあわせて生きている息苦しさのようなものをみせています。
スポーツマンの男は、試合で勝たなければならないというプレッシャーを常にかかえています。
金髪の女の子は、プロム(卒業コンサート)で女王になるべく、化粧も気をつけているし、自分の特技もひた隠しにしています。
オタクの男は、勉強で、簡単にとれるとおもっていた技術の授業で、はじめて赤点をとってしまうのです。
また、サブカルの女の子は、両親に無視されている。
おそらくは、その反動として、奇異な行動をするようになった、というのがわかってくるのです。
チンピラの男も、実は非常に優しい男だということがわかってきますが、その家庭環境がわかるにつれて、ほかの4人は、彼の境遇に同情していくのです。
人は、知ろうとしなければわからない。
本ブログで、ズートピアの記事をとりあげましたが、ズートピアもまた、偏見に基づいて人を判断する人たちの物語でした。
ウサギは臆病。
キツネは嘘つき。
でも、話をすれば、それが違うことがわかる。そんな偏見に対して戦うものたちの物語でした。
ブレックファストクラブもまた、それぞれの階級に対してレッテルをはり、相手は常に華々しい生活をおくっていると思いこみながら、相手のことをみないで過ごしていたのです。
彼らは、言います。
「また来週、会ったとき、また、挨拶をしてもいいの?」
「私は無理だわ」
女王の女の子がいいます。
オタクやチンピラ、サブカル女子たちと話をしているところをみられたら、同じ階級の友達になんていえばいいかわからないのです。
下手をすれば、今の地位がなくなってしまう。
どうして、そうなってしまうのか。10代の彼らは、お互いをからみとる糸をすこしずつほどいていくのが、この映画の醍醐味です。
アメリカ映画らしいのは、ドラックをやっていっきに仲良くなってしまうというところでしょうか。
最期に、彼らは、補修を終えてでていきます。
もしかしたら、廊下ですれちがっても、挨拶すらかわさないかもしれない。そんな恐怖を覚えるところですが、彼らはそれを乗り越えています。
人にレッテルを貼ることの無意味さ。
それを乗り越える勇気をもたらしてくれるのが、ブレックファストクラブです。
また、チンピラの男が、自分が犠牲になればいい、といって、自分一人で罪をかぶろうとする場面があります。
ここには、レッテルを張り付けられた人間が、あえて、その方向に自分をもっていってしまう悲劇も同時に描いているのです。
さて、この映画を作った監督は、巨匠ジョン・ヒューズ監督です。
ジョン・ヒューズといってピンと来ない方も中にはいるかもしれませんが、脚本・製作において、クリスマス映画の傑作の一つ「ホーム・アローン」の名前をあげれば、思い出される人も多いのではないでしょうか。
ホーム・アローンもまた、家族にバカにされて、駄目な末っ子としてレッテルを貼られた少年、ケビン・マカリスターが、家を守るために泥棒たちと闘うという物語です。
ジョン・ヒューズ監督は、差別や偏見を取り扱った作品の多い監督でもありますので、人種差別や思想の問題など、様々な問題がある世の中ですが、これらの作品を見ることで、何か自分の中の偏見に気づかされるかも、しれません。
以上、「誰しもみんな悩んでる。ブレックファストクラブ」でした!