吸血鬼は語る。トム・クルーズとブラピ/インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア
吸血鬼といえば、すっかり手垢がついた題材です。
人間の生き血を飲むことで、永遠に生きることが出来るバケモノ。
そのあまりに残酷で、残酷でありながら、永遠に生きる存在として、数々のドラマのもとになっていますが、これからもその題材は使われ続けるに違いありません。
そのヴァンパイアが、自分の200年にも及ぶ半生を、記者相手に語ったとしたら…。
「私はヴァンパイアだ」
ヴァンパイアが好きな人間からすれば、気になってしまうこと間違いなしの作品が、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」です。
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二人の吸血鬼
ブラットピット演じる主人公のルイは、200年前に吸血鬼に噛まれて、同じく吸血鬼になってしまった男です。
その手ほどきをしたのが、トム・クルーズ演じるレスタトという吸血鬼。
彼は、自分自身の美貌をつかって、数々の人間を殺してきました。
血を吸うという快楽のために殺人を行い、その行動に対してまったく疑問をいだきません。
それに対して、主人公のルイは、吸血鬼になることによって、人間の血を吸いたいという本能に逆らいながら、どうやって生きるべきかを考えていく男なのです。
正直言って、ルイの生き方というのは、茶番にしか思えない部分があります。
吸血鬼になった以上、覚悟を決めるべきだろう、と思うところですが、彼は、吸血鬼と人間の狭間でゆれうごきます。
そんな彼が、インタビュアーに語りながら、過去を回想していくという形で、物語が進んでいくのが、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」です。
永遠に生きることとは
物語の表面だけを考えると、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」は、200年生きたヴァンパイアが語る物語というだけになってしまいますが、作品の中にあるテーマ性を考えると、また違った見え方が楽しめます。
吸血鬼と人間との間でゆれうごくブラットピットが、人間の血を吸うことを拒絶して、ネズミの生き血をすするのですが、吸血衝動に耐えることができず、クローディアという幼い少女の血を吸ってしまいます。
トム・クルーズ演じるレスタトは、はじめて自らの意思で血を吸ったルイに喜び、その少女クローディアを吸血鬼にしてしまいます。
そして、吸血鬼三人の奇妙な共同生活がはじまるのです。
しかし、クローディアは幼いため、本能の赴くままに血を吸います。
人間の血を吸わないようにしていたルイは、その幼い吸血鬼に翻弄されていく様が、主人公であるルイの生き方と対比的に描かれているのが面白いです。
吸血鬼は、「血を吸われて吸血鬼」になってから見た目の年齢が変わることがありません。
そのため、幼いときに吸血鬼になったクローディアは、いつまでも10歳程度の女の子のままで生きています。
はじめこそうまくいっていた共同生活ですが、次第に、クローディアは自分が大人の女性になれない苛立ちを、レスタトやルイにぶつけていくことになるのです。
これは暗喩的にみることもできまして、自分の子供をいつまでも庇護下におくことの危険性も表しているように思われます。
いつまでも本人の自我というものを認めず、子供でいて欲しいというゆがんだ願望は、必ず、いつか子供そのものに大きなひずみとなってでてきてしまうのです。
トム・クルーズ演じるレスタトが、彼女が吸血鬼になった日になると必ず人形を渡し続けていることからもそれがわかります。
数十年も少女のまま生き続けて、人形をもらい続ける。
そのため、ベッドにおいてある人形はものすごい量になっており、しかも、その中には古いものも大量にあるのです。
その異常性を一発でわかってしまう場面として、非常に面白くできあがっているシーンとしてみることができます。
200歳の少女
さて、余談ですが、ヴァンパイアの少女との恋愛による悲劇を描いた作品として有名な作品としてあるのが「ぼくのエリ 200歳の少女」です。
孤独な少年が、隣の部屋に引っ越してきた少女と仲良くなるのですが、その少女こそは200年もの歳月を生きた吸血鬼だった、という物語です。
少年が最後にどのような決断をするか。
永遠に生きる存在と、我々人間のようにいつかは死んでしまう存在の、狂おしいまでの恋愛が描かれる作品です。
特に、2010年には、「ぼくのエリ 200歳の少女」のリメイクというよりは、再映画化された「モールス」が、クロエ・グレースモレッツ主演で公開されたというのも、非常に印象的です。
中年の男と少女が越してきて、虐待をされているのではないかという疑いの中で、少年が、少年らしい感性で、少女を守ろうとし、結果として、自分が守られていくという構図。
吸血鬼というのが、人間を捕食する生物でありながら、人間なしには生きられないという、永遠の存在のはかなさが現れた作品でもあります。
「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」もまた、クローディアという成長できない少女の苦悩が描かれている点でも、面白くみることができるに違いありません。
映画的感動と歴史の移り変わり
一人で生きることになったレイは、200年もの間、人類の流れを観察して生きることになります。
特に、ハリウッド映画なだけあって、映画の歴史を織り交ぜていくところが素晴らしいです。
はじめて、白黒映画が誕生した当時も描かれています。
映画の最初期につくられた、映画における教科書的な作品。リュミエール兄弟の「ラ・シオタ駅への列車の到着」を見ているレイ。
そして、一番、感動的なのは、映画が白黒からカラーになったときのことです。
吸血鬼は、昼は眠り、夜に活動します。
日の光りを浴びたら死んでしまう彼らは、昼の世界を味わうことができません。
主人公であるレイは、映画の中で、久しぶりに「日の出」を見るシーンがあります。
吸血鬼だからこそ見ることができず、吸血鬼だからこそ味わう感動を、我々は映画を通して知ることができる、という大変興味深いシーンになっています。
ちなみに、このネタは、インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアのパロディ的な映画でもある「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」でも存在します。
インターネットの存在を知った吸血鬼が、youtubeで朝日をみて、興奮するシーンは見ていて面白いです。
退廃的な吸血鬼
永遠の命を手に入れる。
荒唐無稽な映画や漫画でも使われ、果ては、中国の秦の始皇帝すら求めたという不老不死。
ですが、実際に不老不死になった彼らがどうなってしまうのか、という場面が後半ででてきます。
自分と同じく吸血鬼になった人間を探そうとしたレイが、ヨーロッパで同じ吸血鬼たちと会います。
その彼らは、永遠に生きることにすっかり飽きてしまっています。
薄暗い劇場の中で、ひたすら退廃的な演目を続ける吸血鬼たち。
彼らは、自分が吸血鬼になった頃の、既に古くなった服を着て、偏屈な存在になっています。
時代が変わっていくことに耐えられなくなっているのです。
しかし、主人公であるルイは、世界各国をめぐりながら、歴史の動きを見れる存在として、彼らに期待されると同時に、その退廃的な彼らに対して、反発を覚えていくことになるのです。
本当の主人公はトム・クルーズ。
さて、この作品の出演者の欄を、ウィキペディアや何かで一度でも調べた人は、違和感を覚えると思います。
記事の中で、主人公はブラット・ピット演じるルイと何度も書いてありますが、DVDのパッケージの裏にも、ウィキペディアにも、出演者の一番上には、「トム・クルーズ」と書かれているのです。
記者に対して、自分の半生を語っているのは、ブラピ演じるレイです。
出演時間が一番長いのも、当然レイです。
ですが、主役の位置に名前が書いてあるのはトム・クルーズなのです。
トム・クルーズは物語の中盤で一度姿を消します。
再びトム・クルーズ演じるレスタトがスクリーンに姿を現すときには、彼は、自分の人生を謳歌していた頃の、ひらひらのついたシャツを来て、薄汚れたままで座っています。
その姿は、レイを吸血鬼にしていたときの面影は感じられません。
ですが、物語の最後で、彼は再び血を吸い、運転している人間の血を思いっきり吸って、ハイウェイをぶっ飛ばしていきます。
そう、実は、本当の主人公はトム・クルーズ演じるレスタトです。
レイは、何度も、なじめないといった話をします。
レイは、時代になじめなかったからこそ、色々な時代の中で、自分を合わせていくことができたのです。
レスタトは、そんなレイに惹かれ、彼を追います。
レスタトは、自分の本能に忠実で、自分本位に生きます。
うがった見方をするのであれば、長生きをした吸血鬼(老人)は、時代の流れにあわせることができず、昔はよかったねぇ、と懐古主義にとりつかれていく様を描いているようにも見ることができるのです。
それを象徴的に判りやすく描いたのが、ヨーロッパの吸血鬼たちです。生きることに飽きた彼らは自殺するものもいる中で、レスタトは非常に長生きであることもまた明らかになります。
レスタトがなぜそこまで長生きできるのか。
永遠に生きるものの悩みを通じて、現代の我々にも通じるものを、かなり予算をかけた映像美をみせてくれる映画ですので、吸血鬼ものが好きな人は、一見の価値があると思います。
ちなみに、原作の小説「夜明けのヴァンパイア」も非常に有名ですので、気になった方は合わせて読むと、映画という尺の都合で改変された部分もより理解できるかもしれません。
以上「吸血鬼は語る。トム・クルーズとブラピ/インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」でした!
ちなみに、ブラット・ピット主演の映画の記事は以下になります。