シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

赤飯と菅原文太   深作欣二『現代やくざ 人斬り与太』(1972年)

『現代やくざ』シリーズは菅原文太が主演していることをのぞけば、各作品に時系列的なつながりはありません。監督もころころ変わります。

 

本作はシリーズ第5弾で、『仁義なき戦い』でおなじみの深作欣二がメガホンをとっております。

 

作監督作品を筆頭とするヤクザ映画のいいところ(?)は到底テレビでは放送できそうもない苛烈な無法者の生き様/死に様を描いているところにあります。

 

この作品もその例に漏れず、一度観たら忘れられない血の風景に彩られています。

 

現代やくざ 人斬り与太 [DVD]

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人斬り文太

 

舞台は川崎。無法者・沖田(菅原文太)は上納金を要求する滝川組にリンチされた仕返しに銭湯で組員を切りつけ、刑務所に五年間つとめることになる。その間にもヤクザ者に反抗し、切りつけるなど、まさに人斬りといった有様。

服役後、シャバにでた沖田が思い出の銭湯によってみるとそこはト○コ風呂になっていた。チンピラと知り合いになり、あてがわれた女はかつて沖田らが純潔を奪ったために淫売へ身をやつした君代(渚まゆみ)だった。二人は文太らが根城としていた廃墟に移動する。

 

川崎では滝川組(風俗店や賭場を運営)と、それに対抗する新興の矢頭組(レジャー施設などを運営、横浜の愚連隊あがり)の対立が激化していた。かつての愚連隊仲間と合流した沖田は無謀にも滝川組、矢頭組を相手に立ち回ることになる。

 

 

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ラーメン屋にいたところを滝川組員に撃たれた沖田。闇医者を呼び治療を試みる。矢頭の機転によりなんとか一命を取り留めることに成功した。

 

沖田の仲間である木崎(小池朝雄)が矢頭に対し、後ろ盾になってほしいと頼む。沖田は乗り気ではなかったが結局、矢頭の盃を受けることになり、滝川組とも手打ちをすすめられる。

 

桜会を結成した沖田らは盛り場を縄張りとし、バクチのアガリで稼ぐようになる。滝川組は関西のヤクザ・大和田(内田朝雄)と接触。矢頭を牽制し、川崎には多数のヤクザが乗り込んでくることとなる。

 

 矢頭は滝川組長を葬った後、大和田らと手を組むことにする。一方、沖田らは廃墟であるアジトに潜伏。そのまわりを郡司(待田京介)や矢頭が包囲し、投降を呼びかけるのだが…。

 

冴え渡る深作演出

 

この映画は冒頭から文太の独白で物語が進んでいきます。

曰く、自分は終戦日に生まれ、屋台をひく母親はドブ川に落ちて死んだ。

 

孤高な彼の境遇が一気に説明され、物語を転がしていきます。

 

同時に出所した谷口(三谷昇)というカミソリ使いが、自分の妻の不貞を疑い、その顔に大きな二本の傷跡を残しました。この谷口は、沖田を一時匿うのですがそれっきり物語にはでてきません。かわりに続編的な作品である『人斬り与太 狂犬三兄弟』において三谷昇は文太の相棒として、田中邦衛とともに見事な演技を見せてくれます。

 

妻のことを考えて、沖田とともに戦うことはなかった谷口。この谷口と沖田の短い接触は、映画のラストシーンを考えると非常に印象的です。

 

そのラストシーンは、投降を決意した沖田の前に君代が飛び込み、相手方に刺し殺され、逆上した沖田が最後の抵抗を試みるもあっけなく惨殺されるというもの。

 

妻と静かな生活を送ることを選んだ谷口と、情婦とともに無残にも散った沖田。やるせなさの残るエンディングが胸にきます。

 

さて、そのアジトでの攻防戦ですが、非常にいい演出があります。

 

柄物のスカートが目をひく君代。彼女は愛憎入り混じる沖田のために食糧を運んできましたが、刃に倒れ、荷物も地面に散らばりました。その中に赤飯があったのです。

 

かつて、ただの愚連隊だったころの沖田は上京したばかりの君代を集団で陵辱しました。そのシーンでも、母が持たせてくれたという赤飯のおにぎりが散乱するのです。

 

この小道具を使った演出が、沖田と君代の出会いと別れを間接的につないでいるわけです。

 

そして、沖田の死に様。

 

これまでの仁侠映画は、ラストは耐えに耐えた主人公が相手方を葬り、自分も死んだり、逮捕されたりしていました。つまり、目的は果たしていたわけです。

 

しかし今作はそうではありません。君代を殺され、怒りに火がついた沖田は反撃にでようとしますが銃弾の雨にあえなく息絶えます。好き勝手に暴れまわった挙句、最後は投降の呼びかけに素直に応じるそぶりを見せたのですが、ぷっつりと糸がきれるように彼は殺され、横暴・支配へ抵抗する力はかき消されてしまいました。

 

その無念さが見事に伝わってくるラストシーンでした。

 

ヤクザ映画における本作の立ち位置

 

この作品は『現代やくざ』シリーズの5作め(資料によっては6作めという説もあり)です。前作まで文太が演じていたキャラクターも確かに暴力的な人間ではありましたが、それでも任侠映画のテイストを残していました。本作はガラリと様子が変わり、まさに『現代やくざ』というタイトルにぴったりの狂犬という役柄です。

 

本作のインパクトが強かったのか、『人斬り与太 狂犬三兄弟』という後継的な作品も生まれ(こちらは『現代やくざ』シリーズには含まれていないそうです)、より過激によりスタイリッシュに暴力の世界が描かれています。

 

この暴力と無常さを漂わせた世界観は深作・菅原コンビによる大作『仁義なき戦い』シリーズへと発展していきます。

 

任侠映画という美しい架空の世界から、ヤクザ実録路線というキワモノであると同時に強烈に心を揺さぶる血と汗の地獄絵図へと到達する、その終点近くに本作は位置しているわけです。

 

一口に任侠/ヤクザ映画といっても、製作年代、題材、監督、役者により微妙に色合いを変化させつつ、よりどぎついテイストとなっていきます。

 

その微妙な味わいの違いを楽しむのが「一見、どれも同じように見える」任侠/ヤクザ映画観賞のポイントといえるでしょう。

 

 

 『現代やくざ』シリーズレビューはこちら!

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

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