シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

全ては神のてのひらで/コーエン兄弟「シリアスマン」

シリアスマン (字幕版)

 

あまりに理不尽な出来事にあったとき、人は神の存在を疑わずにはいられません。

なぜ自分だけがこんな目に合うのか。

神様が存在するのであれば、なぜ戦争はなくならず、貧困はなくならないのか。


そんなことを考えなくても、世の中には無数の理不尽が転がっているものです。


そんな理不尽に立ち向かうものもいれば、その理不尽に倒れてしまうものもいるのが現実の世界です。


そんな、あまりに理不尽な世界の中で、どんな風に生きるべきかを見せてくれる映画こそが、コーエン兄弟が監督した「シリアスマン」です。


神様は常に我々のことを見守ってくれるのか。

神という絶対者を前にして、我々はどう生きていくべきか。


DVDになっておらず、なぜかネット配信でしか見れない作品ですが、逆にネットなら簡単に見ることができますので、そのきっかけになるべく、解説してみたいと思います。

 

 

真面目な男が転がり落ちる。


シリアスマン(A Serious Man)」は、直訳すれば、真面目な男です。

この場合は、二重の意味があると思われるのですが、一つは額面通り、主人公であるラリーという男が真面目な男であるということです。


大学の先生として、不確定原理という大変難しい学問を教えていて、大学の永年教授という安定した職につくことがもうすぐ決まるという大事な時期。

職も安定しつつあり、自分の家があり、妻と息子と娘がいて、何不自由ない生活を送っています。


そんな男に次々と不幸が襲ってきます。


まずは、韓国人の男の子が、授業でFランク(つまり落第)をとってしまいます。彼は、主人公であるラリーに「落第してしまうと奨学金がもらえなくなるから、なんとか単位をくれないか」と言って、賄賂を渡してきます。

もちろん、ラリーはそれを断るのですが、賄賂を断ると、相手から訴訟を起こされそうになってしまいます。

また、家に帰ると妻が自分の、あまり評判のよくない知り合いと再婚するために、別れてくれと言ってきます。

しかも、家は主人公のものなのに、モーテルで生活してくれといわれる始末。

怒ればいいのでしょうが、主人公は非常に真面目な男なので、納得できない部分がありながらも、あまりまともではない弟と一緒にモーテル暮らしをはじめることになります。

 

弟は警察に逮捕されたり、隣人は主人公に対していい感情をもっていなしで、主人公にとってあらゆる不幸がやってきます。


はじめこそ、健気に真面目に頑張っていた主人公ですが、やがて、頭がおかしくなりそうになっていきます。

彼は果たして、真面目な男であり続けることができるのか

 

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そして、シリアスマンという意味は、おそらく、宗教を真面目に信じるもの、という意味になってくるのではないでしょうか。

 

神を信じる真面目な男(シリアスマン)が、不真面目になるかどうかという物語としても捉えることができるのです。 

 

ユダヤ教における理解

 

この映画を見ていると、ひたすら、ラリーという男が、これでもかと不幸な目に会うだけの物語に見えると思います。


基本的にはこの映画はコメディとして進んでいきます。

ただし、その主人公の厄災を理解することで、より一層面白くみることができます。

 

この映画、特に、コーエン兄弟の映画において、重要なのは「ユダヤ教」の考え方です。

多くのハリウッド映画は、「キリスト教」をもとに見ていくことで、理解の糸口になりますが、コーエン兄弟の場合は異なります。

 

キリスト教も、ユダヤ教も、ざっくりと誤解を恐れず言えば根は同じ宗教です。


ただし、ユダヤ教の場合は、旧約聖書のみが聖書となっています(当然ですが、ユダヤ教には旧約聖書は存在しません。キリスト教のみが、旧約聖書と、新たなる神との契約が記された新約聖書にわかれているのです)。

 

コーエン兄弟は、ユダヤ系の人ですので、ユダヤ教的な考え方が根底にあります。


アカデミー賞にノミネートされ、シリアスマンの翌年に公開された映画「トゥルーグリッド」では、父の敵をとろうとする娘が主人公の物語ですが、彼女はクリスチャンです。

ですが、彼女が行っていることは、旧約聖書に基づいた復讐になっています。

キリスト教では、博愛主義という考えのもと、「右の頬をぶたれたら、左の頬をさしだせ」という一説があるように、戦いによる復讐は薦められていません。

復讐が許されているのは、旧約聖書なのです。

ユダヤ教的な考えかたをもとにコーエン兄弟の作品をみることで、理解を助けることにつながるかもしれません。

 

一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)

一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)

 

 

ヨブ記

 「シリアスマン」は、旧約聖書の中でも、有名な「ヨブ記」が非常に影響を与えていると考えられます。

コーエン兄弟は、「ヨブ記」については、思っても見なかったとインタビューで語っていますが、その出自を考えるとゼロとはいえないと思われます。


ヨブ記」は、神を信じている男ヨブが、神に試される物語です。


財産も家族もいるヨブをみて、悪魔であるサタンが神様に「あの男の信仰心は、利益を期待してのものであり、本当の信仰心ではない」といって神にけしかけます。

 

ヨブは、息子や娘たちを奪われ、妻も財産を失いますが、決して信仰を捨てません。

 

神に対してなぜこんな風にするのかと言うことはあっても、決して、神に対して罪を犯すことはなかったのです。

最後には当時は不治の病とされていた皮膚病に全身を犯されながらも、信仰を捨てず、やがて、再び財産を手に入れるという話です。

 

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

 

 

コーエン兄弟ユダヤ教的な思想を下敷きにする監督であるということと、ヨブ記という旧約聖書の話を知った上で、シリアスマンを見ると非常に示唆的な物語といえます。


主人公はあう不幸は、まさに、神が与えた試練のように思えてくるのですが、主人公もまたそのあまりに酷い状況に、ユダヤ教におけるラビと呼ばれる人に教えを請いに行きます。


ラビは、ユダヤ教における牧師や、神道における宮司のような存在だと考えてください。


そのラビに

「なぜ、神はこのような目にわたしを合わせるのでしょうか」


と問いかけますが、ラビは自分のところにきた歯医者のユダヤ教徒の話をはじめます。そして、その患者の歯の裏にある、ヘブライ語で書かれた私を助けてくれ、という言葉を発見した、という話をはじめるのです。

 

3人のラビ

 

この物語では、3人のラビ(導師)がでてきます。


一人は、比較的若いラビ。

二人目は、歯医者の話をはじめたラビ。


三人目は、主人公の息子の成人式で現れたりする、最高位のラビです。

 

しかし、いずれのラビも話をはぐらかしたりして、主人公が求める回答を教えてはくれません。


ヨブ記でも解釈としてあるのですが、どんな理不尽なことであっても、それは神の大きな計画のもと行われているものであって、いいことも悪いことも受け入れるしかない、という大きなテーマが語られます(解釈が色々あるので、そういう解釈もできると考ええるとわかりやすいです)。


この映画の合間に「一人目のラビ」とか「二人目のラビ」と字幕がでてくるのですが、なぜか、三人目だけは、名前だけが表示されます。

この三人目の、マーシャクという導師こそが、作品の中で重要な人物となっています。

 

ジェファーソン・エアプレイン


OUTSIDE IN TOKYOで、コーエン兄弟のインタビューがあります。

OUTSIDE IN TOKYO / ジョエル&イーサン・コーエン『シリアスマン』オフィシャル・インタヴュー


その中で、

イーサン:その時代が僕らにとって重要だったんだ。僕らが子どもの頃のことでこの映画に出てくる子どもと同じ年なんだよ。なぜ1967年ということに関してだけど、厳密に言えば何が決め手となったかはよくわからない。たぶん、ジェファーソン・エアプレインの歌かもしれない

BY OUTSIDE IN TOKYO 

コーエン兄弟インタビューより

 

この映画では、ジェファーソン・エアプレインの「あなただけを(原題somebody to love)」が流れます。


その歌詞は「When the truth is found to be lies
      And all the joy within you dies

(真実が嘘だとわかったとき、全ての喜びが死ぬ)」


そして、you better find somebody to love と書かれています。

 

シュールリアリスティック・ピロー

シュールリアリスティック・ピロー

 

 

三人目のラビ(導師)は、主人公の息子に、ジェファーソン・エアプレインについて語り、そっと、息子が没収されたラジオを渡すのです。

ちなみに、そのときラビは、歌詞をもじった言葉を言って渡します。

「全ての真実がウソであるとわかった時、すべての希望が消え去った時…。次は何だ?」


うがった見方かもしれませんが、父はユダヤ教を信じるがあまりに、ヨブ記におけるヨブのように次々と不幸にみまわれますが、主人公の息子は、ラビにロック(音楽)を授けられるのです。


そして、父であるラリーは、韓国人の生徒の評価を前にとある行動を起こします。

その結果が起きるさらなる出来事は、彼が試された結果として、ラストで現れるのです。

理不尽との闘い方

 

現代を生きる我々にとって、理不尽は日常茶飯事です。

もちろん、この映画の登場人物たちのような不幸は訪れないかもしれませんが、日々の生活の中でおきる大小さまざまな出来事は、神が起こした、我々には理解できそうもない事柄なのかもしれません。

ですが、この映画は、そんな出来事をどのようにして生きるのか。また、どんな人間でも、あまりに酷い状況の中で、どうなってしまうのかが、わかる物語になっています。


ちなみに、理不尽に対して、真っ向から戦いを挑んだ男の物語として印象に残るのは、本ブログでも紹介した「フォーリング・ダウン」です。

この映画でも、一歩間違えばどうなっていたかわからない男たちが、理不尽に立ち向かっていく様を描いています。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

シリアスマン」とは異なる形で、理不尽と向き合っていますので、気になる方は是非あわせてみてみると、面白いかもしれません。

 

ちなみに、シリアスマンのジャケットの画像。主人公が屋根に上って見ているのは、日光浴をして水着になっている隣の家の奥さんです。

あらゆる方法で、神は主人公を試しているのです。

  

また、この「シリアスマン」は、日本ではDVD化されておらず、全てネット視聴のみとなっています。


ネットだからこそ見ようと思えば見られる環境ですので、気になった方は是非、「シリアスマン」をみて、理不尽を受け入れてみてください。


以上、「全ては神のてのひらで/コーエン兄弟シリアスマン」でした!」

 

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