孤独と向き合う登山家、男ただ一人/ダニー・ボイル「127時間」
127時間もの間、岩に手を挟まれていた人物がいます。
キャニオンランズ国立公園という、アメリカに存在する冗談みたいに広い公園の中で、大岩に手を挟まれ、誰も助けに来ることもない。
その中で、見事に生還を果たした人物こそが、アーロン・リー・ラルストンです。
登山家で知られる彼が著した自伝「奇跡の6日間」

- 作者: アーロンラルストン,Aron Ralston,中谷和男
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2005/05
- メディア: 単行本
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この本を映画にしたのが、スラム街にすむ少年が、クイズ大会に勝ち進んでいく「スラムドック$ミリオネア」や、ドラック中毒の若者たちを描いた「トレイン・スポッティング」で有名な監督、ダニー・ボイルです。
127時間の内容ですが、
手を岩に挟まれて、無事助かる。
基本的な内容はこれだけです。
冒頭こそ、自然公園に遊びにきた女性二人がでてきて、少し楽しいエピソードがありますが、それを抜かせば、主人公であるアーロンが、岩に挟まれている場面が大半です。
本として読む分には面白くても、映像としてつくると実に地味になってしまうであろう作品が、まったく飽きることなく見れてしまうのが「127時間」の面白さの一つです。
映像的にも、色々な角度から主人公が映し出され、決して飽きさせません。
水筒の中から、主人公の口の中が見える映像まであって、様々な工夫が凝らされています。
物質社会の弊害
オープニングでは、執拗なまでに多くの人間が映し出されます。
三分割された画面の中にはアーロン自身のみならず、スーツをきてせせこましく歩く人たちがうつしだされます。
また、マクドナルドやバーガーキングなどのハンバーガーショップの看板がうつされ、我々がいる世界がいやでも物質にまみれているということを連想させます。
それに対して、アーロンは大好きな音楽を聴きながら、マウンテンバイクに乗って、ノリノリで自然公園へと向かうのです。
映像をみている我々は、そこに待ち受ける運命を知っています。
ですが、それを知ることがなければ、ゴミゴミした世界から抜け出して、自由で、楽しそうな人物の姿だけが、写しだされていることでしょう。
途中、マウンテンバイクでころんでしまいますが、痛みで身体をおりまげていても、彼は楽しそうです。
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でも、アーロンは、逃げているだけであることが後々わかってくるのです。
その瞬間、音楽は消える。
何の変哲もないシーンから、突然、アーロンは腕を挟まれます。
その瞬間、「127時間」というタイトルと共に、彼の中の音楽が途絶えるのです。
右腕をはさまれた彼は、色々な方法で脱出を試みますが、決して取れないことがわかります。
ナイフで岩を削ろうとしても、オマケでもらった安物のナイフでは全然削れません。
彼は、ちゃんとしたナイフをもっているのですが、オープニングのシーンで、それを荷物の中にいれることを怠ってしまいます。
彼は、自分が何でもできると思っていて、舐めてしまっているのです。だからこそ、万全の装備をすることなく、その結果、彼は追い込まれてしまうのです。
孤独の代償
一人でいると人はどうなるのか。
それは、自分と向き合うしかなくなってしまうのです。
彼は、自分の行き先を誰にも伝えませんでした。
勤め先の店長にも言わず、母親にも言わず、誰にも言わないで国立公園へ向かった。
彼は、離れたかったのです。
冒険に行って、わくわくしたかった。ごちゃごちゃした世界から抜け出したかったのです。
岩に挟まる前に出会った女性たちに、「明日パーティーがるんだけど、来ない?」
といわれても、行くかもね、ぐらいしかいわず、彼女たちもまた半信半疑です。
彼の小さな行動の一つ一つが、彼自身の現在をつくってしまうということがわかるエピソードがつみあがっていることもまた面白いです。
少なくともこの「127時間」の中では、彼は、向き合わなければならない大事なものからずっと、のらりくらりと逃げてきた人物だというのがわかってくるのです。
作品の中で、彼は「この岩にはさまれることは俺の運命だったんだ。この岩は、何万年も前から、ここで俺が来るのを待っていたんだ」
と悟ります。
自我を捨てろ
アーロンは精神的には子供です。
元恋人とのやり取りを思い出す中でも、彼女から結婚をほのめかされて、逃げてしまいます。
なんでもできてしまう彼は、縛られるのを極端に嫌がっていたのです。
うがった見方をするのであれば、巨大な岩は彼自身が向き合わなかった岩そのものなのです。
その岩にはさまれ、死と向き合うことで、彼は両親に感謝し、存在する全てを感謝するようになります。
ニューエイジ思想が入っているような作品であることは間違いないと思います。
優秀な少年が、クレジットカードも身分も全て捨ててアラスカへ向かって死んでしまった実話を描いた「イントゥ・ザ・ワイルド」も同じように、孤独に陥った少年の話ではあるので、気になる方はご覧になっていただきたいと思います。
アーロンは後に、岩にむかって「ありがとう」と言います。
彼を動けなくした岩に対して、なぜ感謝するのか。
その理由は、映画を見ていただければわかると思いますが、この映画は、他の多くの映画もまたそうであるように、一人の男の成長を描いた、非常にわかりやすい物語になっているのです。
サバイバル
単純に、サバイバルものとしても面白いです。
水がボトルに一つしかないため、自分の尿を飲むシーンなどは、海で遭難した際に見かけるような感じです。
映像でみている分には、飲めばいいじゃないか、死ぬよりましだろ、と思ってしまいがちです。
ですが、脱水症状を起こした人間の尿は匂いが非常にきつくなるそうです。
とても、飲めたものではない、ということがアーロンの表情からわかります。
そういった細かい部分も描きつつ、右手が使えない状態でいかにのりきるか、というのが面白いです。
ビデオカメラがあるため、両親へのビデオレターをつくってみたり、DJになりきって演じてみる姿は、頭がおかしくなってしまっていることと、逆にその冷静な自分との間で揺れ動く様が見事に表現されています。
孤独を救うものもまた、つながり
孤独になろうとして、マックとか、バーガーキングとかの文明社会から逃げてきた男が、逆にそれを求める。
車の中のジュースを飲みたくなるシーンなどは、象徴的です。
さて、どうやって、彼は脱出したのか。
ネタバレになってしまうので、どうやって彼が助かったか知りたい方は、映画をみてから戻ってきていただきたいと思いますし、実話なので、脱出した方法自体はすぐわかってしまうので、そのまま読み進んでいただいてもかまいません。
妄想が酷くなっていく中で、彼は脱出する夢をみます。
結末を知らないでみていると、裏技みたいな感じで脱出したのかよ、と思って愕然としたりしますが、もちろん、そんなことはありません。
これは、映画「ソウ」を自然の中でやろうとしたつくりになってしまっているのです。
ソウといえば、2004年に公開されたサイコ・スリラー映画です。
話題になりましたので、ご覧になった方も多いと思いますが、この中で主人公たちは極限の選択を迫られます。
127時間は実話をもとにしているので、「ソウ」はまったく関係ないと思いますが、極限状態の中で、生に執着することができるのか、ということを描いてる点では同じといえます。
「127時間」では、完璧で、何でもできる男が、自分の腕を切り落とすことができるのか、というのが見所になっています。
早い段階で彼は、自分の腕を切り落とそうとします。
ですが、ナイフが安物すぎて傷をつけることすらできません。
彼は、腕をきる以外の方法で脱出しようとしますが、後に、その岩は、男が13人がかりで機械をつかって、ようやく動かすことができたということが判明し、アーロンが助かる方法は、腕を切り取る以外になかったことがわかります。
でも、躊躇してしまうのです。
やがて、彼は127時間もの長い時間一人でいる中で、どうしても生きたくなります。
これは冒頭のとあるできごとが伏線になっているのですが、彼は、死ぬか生きるかの選択をビデオを見たあとにするのです。
死に際にいながらなお、女性を忘れることはできないのが男の性なのか。
という部分もあるように思いますが、これは人とのつながりこそが、生きる活力になるんだ、ということを端的に表しています。
人とのつながりを求めなければ、人は死んだってかまわないと思ってしまう。
でも、主人公は、つながりを求めたのです。
自分が死ぬだろう日にちを書いて彼は眠りにつきましたが、その出来事で、決心します。
そして、自分の腕にナイフを突き立てる。
右手そのものが、プライドとかそういったものを象徴しているのではないでしょうか。
くだらないプライドとかそういうものは、どうもでもいい、といった感じでナイフが突き立つシーンからは、彼の覚悟がにじみ出ていて、見ていて非常に痛々しいシーンが続きますが、これこそが、彼にとっての本当の通過儀礼だったことがわかるのです。
そして、脱出したあと、どこかの誰かが残してくれた、カラビナをつけるためのハーケンを見つけ、キスをするのです。誰かがいてくれることで生きることができる、その発見をする瞬間です。
以下は、本人であるアーロン・ラルストン氏のインタビューです。
94分間という比較的短い映画ですが、その中には、一人の男の成長が見事につまった作品になっています。
以上、「孤独と向き合う男、ただ一人/ダニー・ボイル『127時間』」でした!