シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

この男もまた、凶暴につき…  深作欣二監督『やくざの墓場 くちなしの花』

今回は前回に続き、深作欣二監督である『やくざの墓場 くちなしの花』(1976年、96分)を取り上げます。

 

この作品は同じく渡哲也主演『仁義の墓場』の内容のつながりはないものの続編的な位置にあり、同じく深作監督の『県警対組織暴力』などにも通じる「ヤクザと警察の癒着」が描かれています。

 

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『墓場』シリーズ 第二弾

実在したヤクザ、「狂犬」石川力夫の破天荒な生涯を描いた『仁義の墓場』に続き、深作・渡コンビの『やくざの墓場 くちなしの花』。こちらはタイトルに「やくざ」と入っていますが、実際は主役の黒岩は警察官です。「やくざものの墓場」ともいえます。

 

1970年代序盤から中盤にかけての深作ヤクザ物の中でもなかなかヘヴィーな一本です(まあ、どれもヘヴィーですけどね…)。

 

この作品の特徴としては、

・ヤクザと警察の癒着構造を描いている

・日朝ハーフ、朝鮮人満州からの引揚者を取り上げたヤクザ映画である

・仁義と建前のはざ間で主人公が苦悩し、破滅する

という点が挙げられます。

 

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ヤクザと警察の癒着

このテーマに関しては前述したとおり『県警対組織暴力』でも取り上げられています。北野たけし監督『その男、凶暴につき』はもともと深作監督が担当する予定だったためか、こちらの作品もやくざ(薬の密売組織)と警察の癒着が含まれていました。

 

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このテーマに関しては、脚本家の笠原和夫(『県警対組織暴力』も担当)がさまざまな取材の中で仕入れたネタをもとに練り上げたものだと思われます。

 

「警察上部とヤクザ上層部の癒着」に関しては、出世や利権の絡むものとして描写されます。

 

一方、「主人公とヤクザの癒着」は友情や仁義をもとにして結ばれるものです(なんと黒岩とヤクザの岩田は殴り合いをした後、ともに外国女性との情交をして仲良くなるのです!)。たとえその癒着が法や道理にそむくものであっても、お互いを認め合っていればこそです。

 

そして、この二つの癒着構造そのものが対立するわけです。

 

その行く末(というか主に主人公側の敗北するさま)を描いたのが『県警対組織暴力』や『やくざの墓場 くちなしの花』なのです。

 

在日朝鮮人を扱ったヤクザ映画

さて、ヤクザ映画の中で在日朝鮮人を取り扱った作品は複数あります。ヤクザというのは在日朝鮮人ときってもきりはなせないものなのですが、『仁義なき戦い』ではこのテーマは取り扱われなかったため、今作で改めて盛り込んだそうです(詳しくは、『昭和の劇』を読んで下さい)。

 

昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫

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日本と朝鮮のハーフである松永啓子(梶芽衣子)が鳥取の海辺で、自分の心情を叫ぶすさまじいシーンがあるのですが、ここは引きの画面から始まるとても印象的な場面であり、テーマそのものに触れる部分でもあります。

 

また、人種は違っても同じ「赤い血が流れている」という言葉を黒岩は口にします。単に日本人というだけのつながり[主人公と警察上層部の関係]より、生まれやルーツは違ったとしても心を許せる間柄[主人公と在日ヤクザである岩田、ハーフの啓子]のほうが信頼できる、という意味だと思われますし、半端物、ヤクザ者として警察内部からも嫌われている黒岩にしてみれば、保身や自己弁護をしないならず者たち、疎外感を覚えている者たちのほうが心情的に近いものを感じたのでしょう。

 

自分を襲撃したチンピラに温情をかけてやるシーンなどもあり(その温情は警察上部の思惑により思いがけない方向に転がっていくのですが…)、黒岩という人物がただ単に粗暴な人間だとは描かれていないのです。

 

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団地、海辺の描写に関して

さらにこの映画で映像上の特徴として、団地が描写されていることが挙げられます。

 

捜査に疲れ果てた黒岩は自分の住処である高層団地の敷きっぱなしの布団に寝転がります。窓を開きながら、自分を待ち伏せしていた啓子に対し「地上に降りるより、飛行機に乗るほうが(距離的に)近い」というようなことを言います。それとともに風が入ってくるショットはなかなか深作ヤクザ路線には珍しくて、印象的です。

 

そして、海辺での啓子の叫び。海の向こうの朝鮮に帰りたくても帰れない。

 

この二つのパートはどちらも遠景、引きの画面から始まります。

 

見事に、体(「実物である肉体」とともに「組織に属すること」を指します)は「ここ」にあるものの本当は「どこか」へ行きたいと思っている、でも実際はどこへも行けないのもわかっている、という黒岩と啓子の心境を(映像だけで)表現しているのです。

 

そのため映画を見終わったあとに、「あのシーンは印象的だったなー」と思い出すのが自分にとってはこの二つであるわけです。

 

「テーマ」と「映像表現」が結びついて、それがラストへと流れ込んでいく、その勢いを感じることができる、いい映画です。

 

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