シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

引き裂かれたタケシ、夢の残滓。  北野武『TAKESHIS`』

今日は北野武監督作品、『TAKESHIS`』(2005、107分)を取り上げてみたいと思います。

 

ファンのあいだでも非常に評価の分かれる本作品ですが、みなさんはどのように感じたでしょうか?

 

評価さえも「引き裂かれている」

北野作品としては12作目、前作『座頭市』からはうってかわって難解な作品です。エンタメ性を追求した作品を数本取ってから、自己に言及する期間に入る、その最初の一本がこの映画です。

 

売れない役者とスター、この二役をたけし自身が演じていますが、これはもちろん北野自身の裏と表、虚と実を表現しています。二面性ともいいますね。

 

しかし、物事はそんなに単純なわけではないのも確かで、二面性といってもかっちり白黒ついているような「ジキルとハイド」なんてのは珍しいわけで、より正確にいうと、今作における北野武は「引き裂かれている」状態なのではないと思うのです。

 

『みんな~やってるか!』では性欲に振り回される男を幾つものパートを使い、暴力的に描写しました。

 

今作もそんな構成に近いのですが、より引き裂かれた物語構造になっています。同じ(ような)シーン、同じ役者、同じセリフが度々登場し、それらが複雑に絡まっている状態。

 

単純な表裏ではなく、「とりはずしにくいボタン」のように互いが互いを縛っているような感覚になります。

 

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二面性なんて言葉をさきほど出しましたが、美輪さんに早乙女太一ですから、まあ凄く明示的ですよね。

 

ただ、やはり個人的な感想としては、映画としてはあまりよろしくなかった。コメディなのかなんなのかよくわからなかった。

 

ぶっちゃけると失敗作だな、と感じました。

 

とはいえ、もちろん物凄く評価する人もいるわけでまあ評価も引き裂かれている状態なんですね。

 

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映像表現としては…?

自分が北野作品にいつも期待しているのは画面構成の巧みさです。

 

3-4x10月』や『ソナチネ』などに見られる「映画的」な構図。テレビやつまらない映画では感じられないシャープな絵作り。

 

画面を通り越して北野監督の作家性が伝わってくるのを楽しみにしていました。

 

今作では様々な過去作品や、敬愛するゴダールやリンチなどの夢想的な映画の影響が感じられますが、まあそういうのはまとめて放っておくとして、結果をいうとハッとするような構図がなかったなーと感じました。

 

常々、北野監督は映画は2、3のいい映像(というより絵)が思いつけばあとはそれをどうつなぐかで作れる、といっていました。

 

そのように腐心しながら彼独特の編集でこれまでの美しい構図・画面の構成が生み出されたわけです。

 

しかしながら今作ではどうも自分を「分裂」させる「実験」に集中するあまり、これまでのキレキレな演出がどこかにいってしまったのかなーとも思いました。

 

どうも、あのシーンがよかった、みたいな気分にならないというか…。

 

まあ自分が意識的に映画を見始めたのが最近なので、実は映像的に物凄く高度なことをやっている、という可能性はあるのでしょうが、素人目にもよくわかりませんでした。

 

それに付随しているともいえますが、武映画のキモともいえる「間」、「テンポ」の妙技というのも今作はなりをひそめています。

 

これまでの作品に幾つもあった銃撃の唐突さやギャグのタイミングというものがちょっと失われているように思います。

 

 

あえてそういう撮り方をしているかもしれませんが…。

 

今作の銃撃シーンにはそんなにキレが感じられなかった。単純にいうと画面に迫力がなかったので、のめり込むような見方ができなくて、どこか突き放されたまま映画が終わっちゃったなという感じでした。どこかテンポがずれたようにダラダラしたままだった。

 

あ、岸本加世子はイヤーな味がでててよかったですよ。

 

 

夢の残滓

売れない役者、北野が見た夢。

 

そう、まさに夢を見ているかのような作品なのです。

 

繰り返される場面、キャラクター、時系列の歪み。

 

われわれが夢を見る時も、似たような感じですよね。しかも、起きたら内容はよく覚えていないのに、イヤーな感覚だけ残ってたりしますよね。

 

これが夢の物語だととらえると、そういった後味を与えようとして編集しているとも考えられます。

 

多層的な自己を「引き裂く」ために、自分に似た人物を夢の中でメスで切り刻む。

 

そんな確認作業を北野監督はこの作品で行ったのではないのでしょうか。

 

そして、その確認作業は次の作品、そしてその次の作品まで続いていきます。

 

忘れてしまうような夢の世界へ、あえてカメラを向けようとする、そんな意図を感じますね。

 

引き裂かれている北野武を観察しているのは観客でも評論家でもなく、北野武自身なのです。

 

ほら、ここでもその構造の多層性が読み取れますよね。

 

フラクタル』という仮タイトルがつけられていたというのもなんとなく納得できます。

 

実験的で冒険心に溢れた試みですが、それと作品の出来はまあ別です。

 

自分としては野心は評価したいと思うが「うーん」な出来の映画でした、との結論でございます。

 

さて、自己言及を続ける北野監督は次回作で『監督・ばんざい!』というこれまた評価の難しい作品を作り上げます。

 

より真相/深層に迫れるようにメガネをキュキュッと拭いて観てみたいと思います。

 

Kitano par Kitano: 北野武による「たけし」 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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