汗をかかないヤクザたち 北野武『アウトレイジ』、『アウトレイジ ビヨンド』
ニャロ目でごじゃる。
今回はみんな大好き、北野武の『アウトレイジ』(2010年、109分)、そして続編にあたる『アウトレイジ ビヨンド』(2012年、112分)を取り上げたいと思います。
過去のヤクザ映画や北野作品と比較しながらみてみましょう。
『仁義なき戦い』と『アウトレイジ』の共通点
この映画は簡単にいうと、ヤクザ同士の対立と組織の崩壊、とくに目上のヤクザに翻弄される下っ端ヤクザの状況を描いています。
この内容で思い出すのが、深作監督の『仁義なき戦い』シリーズですね。
山守組長の口先で操られる若者ヤクザの悲哀を見事に描写し、大ブームになりました。
「アウトレイジ」という言葉も、非道、や相手を憤慨させる、などという意味があるようで、まあいってみれば『仁義なき戦い』と同じような意味といえます。
たけし演じる大友(アウトレイジ)と、菅原文太演じる広能(仁義なき戦い)にも共通点があります。
両者は一応、主人公的な役回りを担いますが、「ヤクザによる群像劇」のため必ずしも彼らが常にパートの中心にいるわけではありません。
それに両方の作品とも、義理人情なく利己心のみで動くヤクザの姿を描くことを志向していましたが、大友も広能もどちらかというと昔カタギのヤクザで、義理や筋を大事にしています。
大友に関しては『アウトレイジ ビヨンド』で他人の口を通して、そう語られていましたね。
両者とも義理や筋を無視して働きかける親分や目上のヤクザに関しては反旗を翻すことも辞さないという、任侠の風格を感じさせます。
『仁義なき戦い』では広能の親分である山守組組長の山守、『アウトレイジ』では山王会の関内、加藤、さらには刑事の片岡などが、義理人情の欠けた人物として描写され、彼らが幾多の抗争を焚きつけて、若いヤクザや実力をつけつつあるヤクザ、または本流を外れたヤクザが犠牲になるというのが基本的な構図です。
深作監督の『県警対組織暴力』でも、警察とヤクザの癒着、連帯が取り上げられていました。
『アウトレイジ』の大友と片岡の関係も、連帯の強さという点では劣るかもしれませんがヤクザに内通する人物が重要な役回りを演じております。
それと、女性の姿があまり見られないというのも両作の特徴ですね。
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『仁義なき戦い』についてはもともと女性がらみの話もあったらしいのですが構想・脚本の段階で消えてしまったそうです。
なので、男たちの物語に注力することができたみたいです。
『アウトレイジ』も実際のヤクザを描くといった意味では不自然なくらい女性がでてきませんが、この作品があくまでエンタメを志向しているということと、『仁義なき戦い』のように男たちの生き様・死に様をより端的に描くために省略している気がします。
このように表層を見てみると、確かに『アウトレイジ』は『仁義なき戦い』と似ているといえますが、映画を見終わった印象は少し違います。
つまり「映画の作り方」がそれぞれ異なるということです。
いいかえると北野武と深作欣二の監督力、作家性の違いが如実にあらわれているわけですね。
では、次の項ではその「作家性の違い」に注目してみましょう。
なぜ車を映すだけで美しいのか―北野武の作家性
まず自分が『仁義なき戦い』と『アウトレイジ』の一番の違いと考えているのが、「役者が汗をかいているかどうか」ということです。
「?」と疑問に感じた方もいらっしゃるかと思いますが、まあこれは非常にわかりやすいものです。
両方の作品を視聴した方ならお気づきでしょう、『仁義なき戦い』は口論や抗争シーンになるとキャラクターの感情の高ぶりを表現するため過剰に役者が汗をかいています。
観ていて非常に臨場感があり、面白い演出ですね。
役者がギラギラしてる、わけですね。
一方、『アウトレイジ』では登場人物が焦って、汗をかいたりすることがほぼありません。石原が恐怖のあまり失禁するシーンなどはありますが、ちょっとギャグっぽく描かれているとおり、例外的な演出ですね。これまでの北野作品を振り返っても深作演出ほどやりすぎな汗の演出は皆無だと思います。
この「汗をかく・かかない」というのは非常に大きな違いだと自分はとらえています。ようするに深作監督はエンタメに寄った作品作りをしており、北野監督は今回は非常にエンタメを意識しているものの硬質な画面作りに徹しているのです。
それはカメラの使い方、画面の安定性にも関わっています。
『仁義なき戦い』の揺れ動くカメラ、ドアップが続く画面構成はまさに観客を煽るための演出です。
車の急発進、勢いよく衝突するシーンなどもよく使われます。銃撃・戦闘シーンは、わりとごちゃごちゃしていてまさに乱闘という感じです。血もバンバン飛び散ります。
『アウトレイジ』では必要以上にカメラが動くことがありません。
会話シーンもゆったりと画面が動くなどの演出です(これは登場キャラクターで口先とは異なり、心の中では別のことを考えているというイメージを与えます)。
銃撃シーンにおいても、カットでわかりやすくみせており、血の飛び散りは少なく、登場人物が重なりあって見づらいということがありません。
というわけでパッとみて、画面がきれいなのが『アウトレイジ』なのです。
とくにいい撮り方だなと感じたのが、車です。
1作目の『アウトレイジ』のタイトルが車の上にでた時点で、気合入ってるなと感じますし、車が止まってるところをカメラがゆっくり動きながら映している場面があるんですが、車の色(黒、光沢)もあいまって、映画の「硬質さ・あるいはシンプルさ」を端的にあらわしていました。
ちなみに車の色である「黒」、もうそれ自体が不安を掻き立てます。水野も車を利用して殺されますし、車内で殺される人間もいます。
いってみれば、これはもう死に塗れた霊柩車的な存在なわけです。
実際、トランクに死体をつめて運んでいるシーンもありましたね。
『アウトレイジ ビヨンド』の冒頭では海に落ちた車を引き上げるところから始まりますしね。
車の動きを映している場面も、不穏な印象を与えます。
スピードがあまり出ていなくて、連なるように走っているためでもあるし、前述したとおり、死の匂いが感じられ、あ、なんか起きそうだなという空気が伝わるわけです。
やはり映像で不吉さを表現する北野監督の映画は画面作りが巧妙ですね。
もちろん深作監督のやりすぎなほどの撮り方も好きですけどね。
それと脚本の話になりますが、『アウトレイジ』はこれまでの北野作品と比べてよりエンタメ性を重視したために非常にわかりやすく、シンプルな構造になっています。
ある事が起きたら、それを理由として別の事件が発生する。それがまた次のパートを誘発する。というように親切で―いいかえると、説明的な―映画なのです。
なんか自己流の表現の仕方になってしまって申し訳ないのですが、骨格標本みたいな印象を感じました。話の筋の展開を強調するという意味で。
それに比べると深作『仁義なき戦い』はもう有象無象が殺し殺されたあげく、同じ役者が違う役で登場するという部分も含めて、ものすごくごった煮感がでています。
脚本を担当した笠原和夫も書くのに非常に苦労したようです。
まあ、もともと実際に起きた事件をモデルにして脚本を書いたわけですから(それゆえの「実録ヤクザ路線」ですね)、シンプルな構造をしているはずがないのです。
それでも笠原の気合と根性である程度のまとまりにしたのがすごいところです。
で、そのごちゃまぜな感じをうまく映像で表現したのが深作のあのグラグラした、カットを多用した画面なんですね。
そう考えると、『アウトレイジ』のシンプルな骨格を描くのに適しているのは、均整のとれており、硬いイメージを与える、破綻の少ない、かっちりとしている北野流の画面作りなのはいうまでもありません。
物語の構造と、画面の作り方が両作品ともマッチしていて、完成度の高さを伺わせます。

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これまでの北野映画との関係性
細かいところですが、『アウトレイジ』にはこれまでの北野映画を彷彿とさせるような部分が幾つか含まれています。
大友と片岡がボクシング経験者なのは『キッズ・リターン』を感じさせますし、ヤクザと警察の癒着構造は『その男、凶暴につき』でも取り上げられていました。
大友の情婦の描写や部下を逃がせるところなどは『BROTHER』でもありました。
襲撃に関してですが、爆弾を使ってヤクザを爆殺させる(させようとする)のは『ソナチネ』、ヤクザ事務所をマシンガンで襲撃するのは『3-4x10月』でもありました。
疲弊しつつあるヤクザ・ならずもの像というのは北野流フィルム・ノワール諸作品では何度も描かれています。
まあ、こんなものはこじつけようと思えばいくらでもできると思いますが…。
意図的にせよ、そうでないにせよ、これまでの北野作品の特徴から大きく逸脱したような作品ではないということですね。
その上であくまでエンタメ作品を作ることを意識しているのか、この映画にはあまりカメラが引いた位置から遠景で何かを映す場面がありません。
あくまで、その時その時、現場で何が起こっているのかわかりやすく見せるためにカメラが寄ることが多いです。
『BROTHER』ではたけし演じる日本からきたヤクザと現地の仲間たちの勢力が拡大していくのを、リムジンや事務所の広さ・高さの変化で表現していました。
まさにアメリカンドリーム的な成り上がりの様子とその崩壊が描かれていました。
そういった意味では今作はあくまで抗争それ自体をテーマにしているため、事務所での密談などのシーンが多く、映画内で「景色」が変化することが少ないです。
それがどこか「乾いた」印象を与えるんですね。
カメラワークもより素直というか、北野流に美しいことは美しいんだけど捻りまくった撮り方はしてないように思えます。
また、「汗をかく・かかない」という部分にも関連しているんですが、あまり死が派手ではないですよね。
血もドバっと飛び散ったりしないですし。
もちろん指つめの場面や菜箸を耳にズボッと突っ込んだり、指入りタンメンを客にだしたりするという残酷シーンもありましたが、あくまでアイデア勝負で、映像としてはそこまで迫力を感じませんでした。
それが、あえての作り物感、血の通っていない感、硬い感じ、骨格をそのまま見せられている感じ、無国籍な感じを与えるのではないかと思います。
これまでの武映画にみられる、一見、これ必要なシーンなの? 面白いからぜんぜんいいけど! みたいなシーンも『アウトレイジ』、『アウトレイジ ビヨンド』通してそれほどなかったですよね。「遊び」がないといいますか。
もちろん、前述の指つめなどのまあ一種過激なギャグもあくまで、その一回性に収斂しているというか、リズムを生み出していないような気がするのも、ストーリーテーリングに集中しているからなのかなと思いました。
そんな風に考えてみると、一作目『アウトレイジ』はまだ遊びの余地があり、『アウトレイジ ビヨンド』のほうがよりシンプルに抗争の様子をまとめているともいえます。
最後に、『アウトレイジ ビヨンド』という続編が作られた意味を考えたいと思います。
これまで似たようなテーマを設定しながら、それぞれ独立した作品を発表してきた北野監督ですが、『アウトレイジ ビヨンド』は『アウトレイジ』の正式な続編であり、初の試みです。
少しネタバレになりますが、『アウトレイジ』のラストシーンでは環境に適応した、より極悪な者たちが笑いながら歓談して映画が終わりました。
続編の『アウトレイジ ビヨンド』では死んだとされていた大友が生きており、前作のラストシーンで生き残った者を彼自身の手で殺すという流れになっていて、ラストでも大友が片岡を射殺する場面で終わります。
つまり、生と死が一作目と二作目で逆転したわけですね。
そういう意味でもわかりやすく一作目、二作目での登場人物の状況変化をラストシーンで見せるのはセンスいいなあと感じます。二作目作った意味、ちゃんとあったよね! と納得できますね。
さて、ざっくりと『アウトレイジ』と『アウトレイジ ビヨンド』について取り上げました。
どちらも気軽に観れる娯楽作品ですので、こういうのがどんどん作られる世の中になればいいなーと思います。
そういう日が来るまで、未見の東映実録路線ものや任侠映画を消化しながら待ち続けたいです。
北野作品では『龍三と七人の子分たち』はまだ観てないので早めに観てレビューを書けたらと思っています!
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