シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

タルコフスキー、観ながら寝るか? 観たあと寝るか? 『ストーカー』

ニャロ目でありんす。

 

今日はタルコフスキー監督の『ストーカー』(1979年、164分)という映画をとりあげてみたいと思います。

 

その圧倒的な映像美で評判のタルコフスキー監督ですが、『ストーカー』とはどんな映画なのでしょうか。

 

ストーカー? ゾーン? 部屋? 

ある国のある土地で「何か」が発生します。それは隕石の衝突ともいわれていますが、真相ははっきりとしていません。

 

政府はその地域をゾーンと呼んで、一般人の侵入をかたく禁じています。

 

派遣された軍人やもともとそこに住んでいた人々が誰一人として生きて帰らなかったという何が起きるかわからない地帯です。

 

ゾーンの中には「部屋」と呼ばれる場所があり、そこにたどりついたものは夢が叶うと噂されています。

 

「ストーカー」は警備兵に厳重に守られている入り口を突破し、依頼人を「部屋」まで案内する役割を持っています。

 

今回も、「ストーカー」は「作家」と「教授(科学者)」とともにゾーンへの侵入をはかります。

 

ゾーンへの侵入者

・ストーカー

・作家 

・教授(科学者) 

 

この映画は一応、第一部と第二部に分かれております。

 

あわせて164分という少し長めの映画ですが、十分続けてみることができるクオリティの作品です。

 

さて、冒頭にゾーンやらなんやらの説明がでてくるので、SF映画かなと感じる人もいると思います。

 

もちろんそうなのですが、異常現象とか異星人が登場するとか、そういうものはほぼありません(いや、変なことだらけといえば変なことだらけなのですが…)。

 

直接的なSF描写はありませんが、全編が特異なムードに覆われています。

 

ゾーンの中にある「部屋」にたどりつくことを旅の目的としていますが、彼らは道中、信仰とはなにか、人生とはなにか、幸福とはなにかを語り合います。

 

とくに「ストーカー」の紡ぐ言葉は難解であり、詩的でもあります。

 

彼らは時に反発しあいながら、時に黙りこくり連帯しながらも果て無き旅を続けるのです。

 

映画はゾーンや部屋そのものがメインではなく、それらにかかわる人間の様子を映し出しています。

 

 

タルコフスキーの作家性

さて、観客を眠りの世界に誘うともいわれているタルコフスキーの映画ですが、今作はカットが異様に少なく、長回しが多く、緩慢なカメラの動きが眠気を誘うと思われます。

 

登場人物が激しくアクションをすることも少ないので、普段こういう類の映画を見慣れていない人にしてみれば、なんだか眠たいなーと感じるかもしれません。いや、間違いなく感じます。

 

それはそうです。しょうがないのです。

 

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彼の作り出す映像は眠たくなるほど美しく、驚きにあふれているのです。

 

一言でいえば、「心地よい」。

 

つまならくて眠たくなる、というのと少し印象が違います。

 

さて、「ゾーン」という突飛な設定。

廃墟になった町を「部屋」を求めてさまよう道中。

 

タルコフスキーはそんな難しい場面をどうやって「それらしく」撮ったのでしょうか。

 

ストーカーは「ゾーン」に畏怖の心を持っています。

 

「ゾーン」では、武器を使用したり酒を飲むことを禁じられています。そうしないと罰が与えられるからです。

 

また、目的地が見えるからといってただまっすぐに急ぐのもルール違反です。

 

ストーカーはわざわざ回り道をしながら慎重に進路を決めます。

 

ルールを破るもの、「ゾーン」を敬わないものには死という鉄槌が下されるのです。

 

その緊張感をタルコフスキーは、前述した通り少ないカット割と長まわしで表現しました。

 

カメラはゆっくりとしか動きません。

 

引きの絵で「ゾーン」全体を写したりもしません。

 

あくまでその場所その場所の異様さを描写し続けていくのです。

 

いわば、ただの廃墟、ただのロケ地を彼流のテクニックで立派な「ゾーン」に仕立て上げたのです。

 

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ゾーンの中にある「肉挽き機」という謎の空間。

 

長く伸びるトンネル内をカメラは手前から奥に向かって写します。

 

侵入者三人も奥へ奥へと進みます。

 

画面の「奥行き」、「縦の関係」が非常に丁寧なタッチで表現されています。

 

このいつ果てるかわからない部屋までの道のり。

ゾーン全体の不条理さ、深遠さ。

ストーカーたちのとまどい、不安、焦り。

 

それらをタルコフスキーはカメの歩みのようなゆったりとしたカメラワークで表現したのです。

 

下手な人が撮ると非常に退屈な映像になるでしょうが、タルコフスキーの魔力によって見事に不気味さがあらわれています。

 

また、そのゆっくりしたカメラの感覚はストーカーたちのゾーンを恐れる心境そのものでもあるのです。

 

ゾーン全体、ひいては作品全体に溢れる「水」のイメージ。

 

ある時は怒涛の流れとなり、ある時は澱んだ水溜りになり、侵入者たちを取り巻きます。

 

この水の表現、水の映し方が非常にみどころです(水辺で休息をとる場面や「乾燥機」と呼ばれる難所を通り抜ける場面など)。

 

水だけでなく、火、光、暗闇、砂、コンクリート、植物などありふれていながらも魅力や意味を有する映像が続きます。

 

幾重にも重なり合うイメージをタルコフスキーは卓越した作家性で描き出します。

 

彼が映像の詩人といわれているゆえんです。

 

映像の詩学 (ちくま学芸文庫)

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ゾーンの信奉者

ゾーンは不可思議な世界です。

 

人が消えて、自然に帰りつつある風景が目をひきますが、「部屋」への到達は簡単にはいきません。常識が常識として通用する世界ではありません。

 

ストーカーは何人もの侵入者に協力してきましたが、彼らが「部屋」で願ったことは直接知りません。またストーカー自身は部屋には入りません(それにはある理由があるのですが…)。

 

部屋は、訪れたものが一番望むことを叶えます。

 

訪問者が心の中で一番重要視していることを、です。

 

これが非常におそろしいことだと実例を出してストーカーは作家と教授に伝えます(ジカブラスというストーカーの師である男が金持ちになった後にある理由で首と吊った話)。

 

いま願おうとしていることは、本当に自分が一番望んでいることなのだろうか。心の奥底ではまったく別なことを望んでいるのではないか…。

 

この問い、逡巡が物語後半の大きなテーマとなります。

 

ゾーンは恐ろしい場所でもあると同時にストーカー自身のよりどころでもあります。美しい場所だと表現したり、家族でここに引っ越そうか、なんて考えたりもします。

 

また、人類に残された希望ともいわれます(与えたのか神か、それとも異星人か…)。

 

危険なゾーンへの案内役をやめない夫を嘆く妻、そしてミュータントと呼ばれる幼い娘(物語のラストでは彼女の持つある特異性が表現されます)という家族とストーカーとの関係は非常に重要です。

 

この家族があってこそ、映画が成り立っています。

 

ゾーンとは? 部屋とは? ストーカーとは?

 

様々な解釈ができるこの作品、まだごらんになってない方はぜひぜひ挑戦してください!

 

TSUTAYAなどで簡単に借りられますよ!

 

タルコフスキー日記―殉教録

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