シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

何をもって人は生きるのか/黒澤明「生きる」

名作中の名作、黒澤明監督「生きる」を紹介します。

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白黒映画ということで、敬遠してしまう方もいるかと思いますが、面白い映画は、見ているうちに白黒映画っていうことを忘れてしまうものです。

 

わざと白黒にして効果をねらう映画もありますし、一概に白黒映画だから古いというわけでもありません。

クリストファー・ノーラン監督の「メメント」は、白黒パートとカラーパートが分かれており、それが、物語をしっかりと分けていながら、それ自体が観客を騙すような仕組みになっています。

 

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 アレクサンダー・ペインネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」でも、全編白黒になっており、あえて日本映画的な白黒映画をねらった演出など、見慣れると違和感を感じなくなります。

生きながらにして死んでいる。


さて、「生きる」に戻りますが、


志村喬演じる主人公渡辺勘治は、役所で課長をしている実に冴えない男です。

黙々と判子を押し続け、周りからも軽んじられている男。

 

彼は、もうすぐ30年間無遅刻無欠席になるところなのですが、真面目な男というだけで、部下から特別尊敬されているわけでもなく、役所の備品といった扱いをされています。


そして、ナレーションが彼について、あっという間に語ります。

 

「彼は時間をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり、彼は生きているとはいえないからである」


とばっさり紹介されます。

 

この男は、何気なく生きてしまいがちな我々の象徴でもあります。

ただ漫然と生きている。特に目的もなく、打ち込めるものがあるわけでもない。


主人公である渡辺勘治は、身体の調子が悪いかったため、『初めて』会社を休んで病院にいくところから物語は動き始めます。

 

男は、癌だったのです。

実は、コメディ。


癌の男。

たしかにこれは悲劇です。ですが、前半は明らかにコメディとして描かれています。

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病院にいった主人公が、癌で余命が短いと判明する場面。


たまたま待合室にいた男が、末期がん患者に医者が嘘をつくということを、しつこく説明していきます。

 

こんな風に言われたら余命何ヶ月だね、医者は、こんな風に言うけれど、そう言われるとあと何ヶ月ということさ、と、主人公を不安にさせます。半ば、自分の体調がおかしいことを知っているので、聞きたくないのです。

 

主人公が自分自身の体調について確信をもつにいったっていくさまは、滑稽すぎて、笑うばかりです。

 

かのチャップリンも言っていたように「人生は近くでみると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」というだけあって、主人公がどんどん悲壮になることで、笑いが生まれるのは演出の妙というものでしょう。

 

医者にいくと、待合室で言われた通りのことを医者がいいます。


あまりに同じ台詞なので、そりゃないだろう、とつっこみたくなります。

 

ここまで同じ台詞なら嘘だろう、と思うのですが、なんと、主人公が帰ったあとに、「あの患者、相当悪いんですか」「ああ、1年か半年だろう」とさらっと言ってしまいます。


家族に伝えることもせず、本人にも伝えないで適当に帰してしまうなんて、なんと酷い医者だと思うのですが、ここは怒るべきところではありません。

これは、もうコメディと割り切っていいところだと思います。

 

主人公は、会社を無断で休みます。

 

息子に自分の病気のことを言おうと思っていたけれど、息子に話すことができないまま、途方にくれてしまいます。

主人公は、息子を大事にしているのですが、いつの間にか、息子がかつてのような優しくて父親思いの息子ではなくなっていることに愕然とするのです。

 

なけなしのお金を銀行から下ろして、失踪するのですが、悲しいことに、この男は、真面目に生きてきたので、お金の使い方を知りません。

 

飲み屋にいって、はじめて自分のお金で一番高いお酒を飲む主人公。

でも、お酒なんてあまり好きじゃないっていうのがまた泣けます。

 

この男は、仕事以外に何もなかったのです。

 

飲み屋で知り合った全身黒尽くめの小説家が、主人公の境遇を悲しみ、夜の世界に連れて行ってくれます。

 

その様子は、ゲーテの「ファウスト」にでてくるメフィストフェレスそのものです。

 

この世の全ての快楽を教えてくれる存在として、小説家の男は、主人公を連れまわします。

 

夜の街で、キャバレーに行き、酒を飲み、若い女性と踊ったりします。
このときに、主人公は白い帽子を買うのですが、これが主人公が変わっていくことの象徴として使われるのが印象的です。


ただ、それだけ夜の街を遊び歩いても、主人公は、全然楽しくなかったのです。

 

周りのみんなが楽しそうに踊っている中、ピアノ弾きが主人公に好きな曲をひくから言ってくれといいます。

 

すると、主人公は、「ゴンドラの唄」をリクエストします。

 

 

命短し、恋せよ乙女。

 

若い女の子に、青春を謳歌できるのは本当に一瞬なのだから、精一杯恋をしなさいという歌なのですが、志村喬演じる主人公が歌うと、それは別の意味になります。

 

志村喬のぎょろりとした目が大写しになりながら、歌われるゴンドラの唄は、劇中の中でも特に印象的なシーンです。

 

本当に短い命をどう生きるのか、主人公は途方にくれてしまうのです。

 

生まれ変わる

 

白い帽子をかぶっていると、会社の部下の女の子が見つけて声をかけてきます。

彼女は、生命力の塊のような女の子として描かれます。

そのふたりのやり取りもまた、若い娘のガールフレンドがいると息子夫婦に勘違いされたり、笑えるところが満載です。


主人子は、女の子と一緒にいようとしますが、50も過ぎるようなおっさんが、若い女の子に特に何を要求するわけでもなく、一緒にいて欲しいというので、女の子も怖がります

 

おいしいものを食べさせてくれたりするのは嬉しいですが、たしかに、ほとんどしゃべらないでいるおっさんと二人でいるのは恐ろしいですよね。

 

「あの、その、つまり、その」

主人公は、あまりしゃべるのが得意ではありません。

 

「何よ、雨だれみたいにぽつぽつ。いやになっちゃうな」

 

そこで、女の子は主人公にこういいます

 

「おもちゃつくってたら、わたし、全国の赤ちゃんと友達になれる気がするの。課長さんも、なんかつくってみたら? 」


カフェでふたりは話をしているのですが後ろのほうでは女学生達がはしゃいでいます。

 

女の子の言葉を聞いて、主人公は立ち上がり、こうしちゃおれんと走り出します。

 

そして、なぜか、主人公にむかって、バースデーソングが歌われるのです。

 

ハッピバースデー トゥー ユー

ハッピバースデー トゥー ユー

 

なんで、こんなことになっているんだ、と混乱するのですが、その理由は実際に映画をみていただくとして、この場面で、主人公は、生まれ変わったのです。


生きるとは、何か、自分がするべきことは何か。

 

夜の街に繰り出しても、若い娘と一緒にいても、決して満たされなかった彼が、生きるためにしたこと、そして、そのことに対する、周りの反応や、難しさこそが、この映画の本当のテーマとなっています。

 

何をするべきかをわかる、そこから生きるというのは始まるのです。

 

2部構成。

この時点で、物語の1時間程度でしょうか。

実は、この映画は大きく2部構成になっています。

一部は主人公が生きることとは何かを見つけるところですが、2部目にこそ本当に黒澤が言いたかったことが描かれていると思います。


一応、ネタバレっていうほどではないですが、2部のことを知りたくない方は、一度、映画をみてから戻ってきていただければと思います。

 

 

ここからネタバレ

 

さて、いいでしょうか。

正直、主人公が癌になるという時点で、物語上おきることはわかると思いますが、2部は、主人公の葬式から始まります。


そこでは、芥川龍之介の名作「藪の中」を原作とした黒澤明羅生門」の如く、葬式で故人について語っていくという内容になります。


主人公は、役所の仕事を通じて、町に公園を作ります。
それこそが、主人公の生きる目標になったのです。


いきなり、主人公の葬式になるので、主人公が死ぬまでの間、いったいどういう風に過ごしたのかというのがわかりません。

そのため、映画をみている我々もまた、葬儀に参加している人間と同じ視点になって、映画をみることができる、っていうのが面白いです。


主人公がなぜ人が変わったかのように公園作りをはじめたのか。


それを、葬儀に参加している人間が話すのですが、これがみんな的外れ。

小太りの男が、「ワタナベさんがいたから、公園ができたんじゃないですか」

というものの、まわりの人間は、タイミングがよかったとか、助役のおかげだとか、まったく渡辺勘治という男を評価しません。

 

ただ、参加者達が話をすることで、自分が死ぬとわかっていたのか、どれほど地域の住民に渡辺勘治が慕われたかがわかるようになっています。

 

「渡辺さんは、自分が死ぬのがわかっていたんじゃないか」

 

そう言って語られるエピソードがあります。

主人公は、夕日をみて立ち止まります。

「い、今まで、夕日がこんなにも綺麗だったなんて知らなかった」

余命いくばくもないということがわかったからこその台詞です。
でも、その次の台詞が彼が一体何を考えていたかを語ります。

 

「わ、わたしはこんなことをしている場合じゃないんだ」

 

やるべきことを見つけた人間は、夕日に感動している暇すらない。
それこそが、生きる、ということを見つけた人間なのです。


ただ、葬儀に参加している人間は、渡辺勘治のことを誰一人として理解していません。

彼は、認めてもらいたくて公園をつくったのではなく、自分のためにやったのです。息子のためでも、地域の人のためでもなく、自分自身が生きるためにやった。

だから、1部では全然冴えない顔だった主人公の顔は、2部の葬式の写真では、非常に誇らしく、喜びに満ちた表情をしているのです。

 

現実


葬儀の参加者たちは、自分達も、渡辺さんのように市民のためにがんばろうじゃないか、盛り上がります。


ただ、エンディングでは、市民が助けをもとめてきても、知らないふり。

一番、渡辺勘治のことを理解しようとしていた男は、みんなのていたらくっぷりに立ち上がりますが、やがて、座ってしまいます。

 

「生きる」は、小市民であっても、いつ死ぬかわからない中、自分の生きる目標を見つけることが大事だと問うていますが、同時に、それがいかに難しいことかも伝えています。

 

自分の命がわかったことで、本当にやらなければいけないことをするという物語は、色々ありますね。

 

最近では、海外ドラマで人気があった「ブレイキングバッド」もこのパターンです。

アメリカの優秀なドラマや番組に贈られるエミー賞を受賞し、人によっては、今世紀最大の作品とまで言われた作品ですので、一見の価値があります。

 

高校の化学教師をやっていたウォルター・ホワイトが、肺癌であることがわかり、家族のためにドラックをつくることで、家族に財産を残そうとする。その中で起こるブラックコメディ&サスペンスです。

科学の知識を駆使しながら、困難を乗り越えたり、単なる高校の教師だったはずがどんどん深みにはまって、麻薬王になっていくさまは、痛快です。

 

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よい映画というのは、見たあとに、少しだけ世の中の見方が変わるのがいいと言われています。

 

「生きる」をみることで、自己啓発本を読んだときのような気持ちの高揚を得られる人もいるでしょうし、今更、人生一度きりなんてわかっているよ、という人もいるでしょうが、見ることで色々な気持ちを抱かせてくれる作品であることは 間違いがありません。

 

予告編もそうですが、全体的に暗い雰囲気で作られています。

ただ、悲劇すぎて笑ってしまうような、不謹慎な笑いを楽しむことができる、非常に深い映画であると共に、この映画をみることで「こ、こんなことをしている場合じゃない」と、一瞬の大切さを改めて感じることができる傑作映画です。

 

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以上、『何をもって人は生きるのか/黒澤明「生きる」』でした!

 

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