「大人になったらまず趣味をなくそう」その結果訪れる映画「アバウト・シュミット」
photo by Benjamin Godard Photography
「大人になったらまず趣味をなくそう」というニュースが話題になっているらしいですね。
ツイッターの投稿をとりあげた記事とのことですが、ある意味正しく、でも、何か不自然さを感じる話です。
自営業の人間でもなければ、たいていの人は定年退職します。年金生活できる人もいれば、苦しい生活を強いられたり、再雇用されたり、何かで糊口を凌ぐ必要がある人もいるでしょう。
さて、趣味があったほうが僕は楽しいと思いますし、このブログだって趣味の一環ですから、それを否定されると何もいえなくなってしまうのですが、一生仕事だけ考えていればいいのか、その結果何が起こるのか。
今回紹介する映画は、前エントリーでも取り上げた映画監督アレクサンダー・ペインによるアバウト・シュミットです。
前回の記事でも、簡単にアバウト・シュミットについて取り上げていますので、興味がある方は、前回のエントリーもご覧いただけると嬉しいです。
定年後の人生
アバウト・シュミットは、仕事一筋だったシュミット氏が、定年になった後に悠々自適に暮らそうとするものの自分には何もないことに気づき、奥さんには先立たれ、しかも、奥さんが不倫していたことも発覚、愛していた娘にはそっぽを向かれ、どうしようもなく暴走するおっさんを描いた物語です。
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主演のジャック・ニコルソンは、あのスタンリー・キューブリック監督「シャイニング」や、アカデミー賞主演男優賞を受賞した「カッコーの巣の上で」で有名な俳優です。
ワイルドで荒々しく、ある意味セクシーな俳優ですが、まぁ、正直言って、イケメンとは言いがたいです。若い頃から禿げています。
でも、アメリカン・ニューシネマと呼ばれる反逆的な映画がはやったときには、若者のアイコン的存在として世間に影響を与えていた重要な俳優の一人でもあります。
そのジャック・ニコルソンが演じる、定年後のぱっとしない男。
その駄目おやじっぷりに笑わされながらも、反面、笑うばかりではいられない複雑な気持ちになります。
しかし、これは基本的にコメディです。
小津安二郎と黒澤明
アレクサンダーペイン監督は、小津安二郎の影響を強く受けているといわれています。特にこの作品では以下の二つが重要とされています。
夫婦が東京の息子娘たちに会いにいき、でも結局一番親切にしてくれたのは血のつながっていない息子の嫁だったという「東京物語」。
小津安二郎の代表作であり、時代がかわろうとも人間っていうのは変わらないのだなぁと感じさせる。今見てもまったく古びない名作です。
また、 癌で余命いくばくもないことがわかった主人公が公園作りをすることで生きる意味を見出す、黒澤明監督「生きる」。 主演の志村喬のギョロリとした目が印象的です。
この二つをアメリカでつくろうしたのが本作品「アバウト・シュミット」です。
冒頭で、シュミット氏は時計が五時になるのをじっと待ちます。
定年退職する最後の日。その、就業時間が終わるのを待っているのです。
5時になってもファンファーレがなるわけでもなく、淡々とシュミット氏は帰り、会社の送別パーティーにでて、同僚たちの心無いスピーチを聞きます。
奥さんは元気な人で、旦那と一緒に第二の人生を楽しみましょうといいますが、主人子は、「なんでこんなばあさんが隣に寝ているんだ」と、うんざり。
シュミット氏は、退職後すぐに暇をもてあまします。
黒澤明「生きる」でも、志村喬演じる主人公に対して、ナレーションで「この男は死んでいる。すくなくとも、生きてはいない」と言われます。シュミット氏もまた、仕事のみで生きてはいなかったのです。
やることもなく、一日中テレビをみる生活。
そして、テレビのCMの言われるままにアフリカの子供の養父になります。
手紙を書いてくださいと言われて、どうせ読まないだろうと思いながら、主人公は不満とか不平を書き連ねる。
アフリカの子供に、自分の愚痴や自尊心を書き連ねる姿は、威厳など存在しません。
会社に行ったら、自分の席は若造が座ってる。自分の書類は捨てられていて、居所がない。
そんな中で、妻が死にます。
娘と共にちゃらい旦那が一緒に来るのですが、これが気に入らない。自分には投資の才能がある思っているその旦那はみるからに怪しいですし、そういう娘として育ってしまったことに気づかなかった自分、というのが後からわかってきてしまいます。
娘が朝ごはんをつくってくれますが、トーストは軽く焼いてくれとか、フレークはこの味じゃないと駄目だとか、注文ばかり。
全然、自分の立場っていうものをわかっていません。
シュミット氏は、保険の経理をしていて、凄腕だと自ら言うだけあって、妻に先立たれた夫が、平均で何年くらいで死ぬかというのも算出します。
おおよそ9年以内。
統計とはいえ、自分の死ぬ時期がわかってしまうのは、この主人公だから、といったところでしょう。
やがて、人恋しくなって、妻の服のにおいをかいだりするあたり、ジャックニコルソンの演技力もあって、笑わされます。
しかし、親友と不倫していたことがわかる。
主人公はどんどん自暴自棄になっていくあたりは、笑うしかありません。
そして、シュミット氏は、妻が買ったキャンピングカーに乗って旅をすることになります。当初は、娘の結婚式を手伝いに行くために無理やり出発するのですが、娘に来ないで、と怒られて、いつのまにかロードムービーの様相を呈します。
思い込み
シュミット氏は、仕事をしている自分が尊敬されていると思い込んでいたのです。
娘は自分のことを愛していると思い込んでいる。世のお父さん、親子の隔絶はこういうところから生まれるのです。
二週間に一度くらいは電話をする自分は娘と仲がいいと思って自慢げなシュミット氏。しかし、あとから、妻は毎日電話をして娘と連絡をとりあっていたのがわかって愕然としたり。
旅先で、娘さんの写真をみせてください、といわれて、手元になかったり。
日本だとそこまででもないかもしれませんが、家族の写真をもっていないなんて、論外きわまりないことでしょう。
そう、家族に好かれていると思い込み、自分自身もまた家族を一番に考えているという思い込みをしながら、実は、全然そんな風にはみられないじゃないか、ということを思いっきり突きつけています。
前回のエントリーである「ファミリー・ツリー」は、2012年に日本公開され、アバウトシュミットは2003年に日本公開されています。
ファミリー・ツリーは、仕事一筋で家族をないがしろにしていた父親が、昏睡状態の妻の浮気を親子で調べることによって、先祖伝来のハワイの土地の取扱いと共に、親子関係を回復させるという物語です。
ただ、物語の中で、親子でソファに座るシーンがあるのですが、これは、ちょっと気持ちの悪い皮肉もあったように思います。ソファに親子が一緒に座る。一見、仲が良さそうです。ですが、笑ってはおらず、しゃべりもしません。テレビをみるだけです。
家族のあり方を考えることになる作品には違いないので、本作品とあわせてみていただきたいところです。
ある意味、アレクサンダーペイン監督の、アンサーとしての雰囲気が強い映画が「ファミリーツリー」だと思いましたね。
趣味をなくしたらどうなるか。
シュミット氏は、娘の結婚式のスピーチをします。
もう、はらはらドキドキです。なにせ、娘の旦那は嫌いですし、そんな大舞台で、彼は何をしゃべるのか。
結局、シュミット氏はまた家に戻ってきます。
そして、養父となったアフリカの子供から手紙が届くのですが、これがまた皮肉で泣けます。
自分の分厚い手紙を受け取った子供は、シュミット氏に御礼の手紙と、絵をおくってくれます。
シュミット氏が流す涙は、一方で、小津安二郎の「東京物語」にみられるように、自分の息子娘よりも、血のつながらない人のほうが自分に優しかったという東京物語の内容を彷彿とさせますが、今回、アバウト・シュミットに関しては、そうではない気がします。もちろん、そのようにも見えますが。
ただ、アフリカの子供に不平不満をぶつけても、彼らは純粋に受け取るのみ。
その純粋さに対して、自分の浅ましさが浮き彫りになり、ショックを受けているように感じました。
シュミット氏は何もなかった。生きてはいない。
仕事のあとの人生を生きるには、何かをするのが一番だと思います。それが趣味であってもいいし、自分にしか出来ない何かであってもいい。
それは、黒澤明「生きる」の一つの答えでもあると思います。
冒頭の記事を読んで、アバウト・シュミットを思い出したこともあり、紹介させてもらいました。とはいえ、趣味をもつっていうのも大変なことです。また、シュミット氏のように家族を放り出して、定年になったら家族のもとで優しくされる、というのは難しいでしょう。家族だって、わかってあげるのは難しい。
かといって、仕事のおかげで家族と暮らせていたという事実もある。いつ時代も、人間というのは分かり合えないものです。
以上、『「大人になったらまず趣味をなくそう」その結果訪れる映画「アバウト・シュミット」』こと、アレクサンダー・ペイン監督作品「アバウト・シュミット」の紹介でした。
皆無
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