シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

過ち一つで人生は狂う。でも幸福かも。真木よう子主演。感想「さよなら渓谷」

さよなら渓谷

真木よう子が主演した「さよなら渓谷」。
日本アカデミー賞主演女優賞にも輝いた本作品は、日本映画らしいある意味で暗くて重たい話になっています。
 
人生に過ちは発生するものです。
それを、なんてことのないものととらえるのか、一生抱え込まなければならない物事だと思うかは、それぞれの人間の問題であるということも示されている本作品。
 
本作について、どのような作品だったのか、を感想を述べてみたいと思います。

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二人の夫婦

物語は、隣に住んでいる子供が殺されてしまう、という事件の最中から始まります。
 
表情が常に暗い夫婦である、尾崎俊介真木よう子演じるかなこ。
 
隣の家の事件に巻き込まれて、少々迷惑な話だと思っていると、タレコミにより、俊介が、子供を殺したとされる人物と不倫していた、ということになり、警察につれていかれてしまいます。
 
夫婦生活がほぼ破綻している新聞記者の渡辺と、鈴木杏演じる記者小林が、そんな俊介のことを取材していくうちに、夫婦の変わった関係を知っていく物語となっています。
 
記者の二人は、どちらかというと、視聴者である我々の代弁者のような存在となっており、わりとズケズケと二人に関係を尋ねていくような立ち位置になっています。

事件

ここから先は、「さよなら渓谷」を見終えたことを前提に感想を述べたいと思いますので、気になる方については、ご覧いただいた後に見てもらいたいと思います。

本作品の大本になっているのは、尾崎俊介が大学時代に起こした性的暴行事件を中心に描かれます。
 
俊介は、将来を嘱望されていた野球部のエースでしたが、集団でのレイプ事件を起こしたことで大学を中退。
 
映画「さよなら渓谷」では、その事件を引き金として、様々な顛末が描かれます。

事件後、紆余曲折あってひっそりと暮らしていたはずの俊介でしたが、隣の家の幼児死亡事件に巻き込まれる形で、自分たちの過去を探られていきます。
 
誰かを傷つけるような事をしてはいけませんが、一つの物事によって、人生がガタガタと崩れていく様がわかる作品となっています。

被害者と加害者

「ごく普通に見える夫婦。だがふたりは残酷な事件の被害者と加害者だった」
 
このキャッチコピー自体が、すでにネタバレになっています。
 
ですが、本作品が重要なのは、実は、被害者と加害者が夫婦のまねごとをしていた、ことに驚くのではなく、二人がこのような関係をなぜ続けているのか、ということにこそ重要な点があります。

彼らを調べる記者は、はじめ、彼らについて一方的な見方しかしていません。
 
特に居酒屋で、鈴木杏演じる小林が、先輩記者である渡辺に言われるシーンがあります。
「お前は、尾崎をただのレイプ犯としてしかみてないし、被害者のことも、たんなるかわいそうな人としてしか見ていないだろ」
 
「だって、かわいそうな人なんだから問題ないでしょ」
 
「そうやって単純にすんなよ。単なる加害者とか、たんなる被害者とかいないんだよ。人間だよ、人間」
 
まさに、このやり取りに尽きると思います。

テレビ越しに数々のニュースを見たりする我々にとって、常に単純化してわかりやすいように提示される。それは、メディアである以上しょうがないものです。
 
「さよなら渓谷」内のニュースでも取り沙汰されているように、ニュースは一面的にしか取材をしておらず、そこに人間がいるということを否定しているように撮影しています。
 

彼らは幸せだったか。

さて、尾崎俊介と、真木よう子演じるかなこは、どのような結果夫婦のようになったのでしょうか。
 
かなここと、水谷夏美は不幸にも事件の被害者になってしまいます。
彼女は、その事件だけが原因かはわかりませんが、結婚しそうになっては破断してしまい、結婚した相手には暴力を振るわれて自殺未遂を起こしてしまいます。
 
そこに現れた尾崎俊介
 
彼は、事件後、ずっと悩んでいた男です。
本作品で興味深いのは、尾崎同様に事件を起こした人物のそれぞれの顛末です。
 
尾崎俊介は、大学中退後、先輩のコネで証券会社に入り、それなりの結果を残したりしていました。
ですが、同じく事件を起こした男に株や債券を買ってもらっていたようで、お店で接待をしています。
 
そこでは、事件のときのことをお店の女性に対して、自慢げに話しているのです。
尾崎は居心地が悪そうにしています。
 
事件の話をされて居心地が悪いのは普通の感覚だと思いますが、事件を起こしたすべての人間が、必ずしも罪の意識を感じているわけではないということを示しています。
 
そして、尾崎は、被害者である女性と再び会ったとき、贖罪のためなのか、彼女の後ろをついて歩くのです。

罪を償う

真木ようこ演じるかなこは、尾崎を拒絶します。
ですが、やがて、彼の人間性に惹かれたのか、二人は求め合うのです。
 
このあたりは、日本映画的な感性が働いていてよい感じに思いますが、なんで、そこで性行為をはじめるにいたるのかわからない方もいるのではないでしょうか。
 
一般的に、愛情を確かめ合うために行われるのが性行為であるべきです。
ですが、一度、事件によって壊れてしまった彼らの行為は、お互いの不幸を確かめ合ったり、傷つけあったりするために使われるものになってしまったのです。
 
おそらく、かなこが前の夫に暴力を振るわれるようになったこともまた、そのあたりに原因があるのではないでしょうか。

過ちというのは誰もが経験するものではありますが、とりかえしのつかない過ちというものもまた、存在することを教えてくれます。
 

物語のラストについて

真木よう子演じるかなこは、ある日いなくなります。
 
尾崎は、小川の流れる渓谷で、座っており、渡辺は声を掛けます。
 
「幸せになりそうだったんですよ。幸せになりそうだったからです。
「だったら、なればいいじゃないですか」
「ダメですよ。一緒に不幸になるって約束したから」

本作品は、どこまでいっても幸せとか、一面的なものの見方を否定するものとなっています。
 
記者である渡辺は、彼らは幸せだったのか、とか事件がなければどうなっていたのか、とか、そういう一面的なものの見方から離れることができないでいます。
 
尾崎とかなこは、価値基準が異なっていて、彼らを本当の意味で理解することはできません。
 
「俺は探し出しますよ。どんなことしても。彼女を見つけ出します」

真木よう子演じるかなこは、おそらく、自分によって不幸になる尾崎が、まったく動じることのない姿をみて、離れることで、彼を許したのかもしれません。
 
でも、それでも、尾崎は、自分自身を罰するためなのか、かなこを探し続けるのです。
 
渡辺が、無粋なことを最後聞いて、本作品は終幕を迎えます。
 
「もし、あの時に戻れるとしたら、事件を起こさなかった人生と、かなこさんに出会えた人生と、どちらを選びますか」

尾崎は川の流れるほうをじっと見つめ、渡辺のほうに振り返り、強い瞳で見つめます。
 
答えは言うまでもないでしょう。
 
本作品は、誰かが画面越しでみる一方的な決めつけや事実ではなく、そこにいる、人間としての彼らについての物語だからです。
 
以上、過ち一つで人生は狂う。でも幸福かも。真木よう子主演。感想「さよなら渓谷」でした!
 
 
 
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