残されたものの悲しみ。感想。劇場版総集編アニメ「オーバーロード」
異世界転生ものというジャンルは、数えきれないぐらい大量にでてきており、近年においては、その内容も細分化が進んできています。
そんな中、2010年からウェブ上で公開され、現代に続く異世界転生ものの中では必見の作品となっているのが、「オーバーロード」といっていいかと思います。
本作品は、そんな作品群の中にあって特殊な立ち位置にありながら、やはり、本作品における内容が、かつての異世界ファンタジーものとは異なる発想からきていること、また、すべての作品やゲームを愛するものの悲哀も含めて描かれている点も紹介しつつ、感想を述べていきたいと思います。
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オンラインゲームの醍醐味
突然ですが、みなさんはネットゲームというのをやったことがあるでしょうか。
見たこともない人とコミュニケーションをとりながら、クエストをクリアしていったり、道具をもらったりわたしたりとする中で、現実の肉体を超えたやり取りができてしまう。
クラスや職場で冴えないあの人が、ネット上では有名人だった、なんていうのはよくある話ですし、チームには欠かせない人であったりするというのは、ザラにあるのではないでしょうか。
オンラインゲームには、そういった現代では構築しずらい信頼感を得ながら、攻略をしていくところにも、醍醐味というのがあるものです。
よくある買い切りのゲームであれば、ボスを倒してしまえばもう終わりですし、やりこみ要素がいくら豊富なゲームであろうと、いつか終わりの時がきてしまうものですが、それでも、またゲームをセットすれば、いつでも同じゲームができます。
(一部、無限にゲームを行い続けられるものがあったりして、十年以上同じゲームをやっていたら、こうなった、という美談もありますね)。
さて、オンラインゲームの場合、サービスが終了してしまうと基本行うことができません。
ネットに接続しないとできないゲームの宿命だといえるでしょう。
オンラインゲームには、いつか終わりがくるのです。
どれほど、仲間たちと強く絆を結んでも、どれほど課金して強くなろうとも、いつか終わりがくる。
そして、終わったあとには、文字通り何も残らない。
そこに滅びの美学を感じるのも人間でしょうが、やっぱり、みんなで頑張った場所がなくなるのは、寂しいものです。
「オーバーロード」は、そんな気持ちから発露した、おまけの世界が、現実になるような、そんなわくわく感と、それでも、仲間を求めてしまう男の物語なのです。
終わったあとの世界
さて、「オーバーロード」は、いわゆるゲームの世界にダイブできるような未来での出来事から始まります。
本記事では、劇場版総集編をベースに話をしますが、放送版の話もおりまぜながら話をしてまいります。
ヘッドギア的なものをつけてゲームの中に入る作品としてはずすことのできない作品としては、「ソードアートオンライン」があるのではないでしょうか。
こちらも、ゲームの世界に入ったら抜け出せなくなった、というのが基本になっています。
ゲームで死ぬと、現実の世界でも死んでしまう、という設定により、中のキャラクターたちが真剣に生きる、ということと、現実の世界の人間をも描くという、人間の本質がわかる物語としてみることができる作品です。
さて、「ソードアートオンライン」が、敵を倒して現実世界に戻ろう、というのが基本の構造に対して、「オーバーロード」は違います。
主人公であるモモンガ(ハンドルネーム)は、12年間の歳月をユグドラシルというゲーで、仲間たちとともに時間と労力を注いでいました。
ただ、どんなゲームにも流行り廃りはあるもので、41人いたはずの仲間たちは、一人かけ、二人かけ、最後にはひとりだけになってしまっています。
しまいには、サービスそのものが終了となる、ということで、主人公が今まで仲間たちとともに築き上げてきた場所もなくなってしまうことになります。
サービスが終了するのを惜しんで、一人オンライン上に残る主人公。
主人公もまた仕事に忙殺されており、もうゲームなんてできる状態では本来ありませんが、それでも、かつて仲間たちと一緒にいた日々を懐かしみます。
サービス終了までいようと思っていたら、なんと、そのまま異世界に転生してしまった、というのが「オーバーロード」の始まりとなります。
そして、自分の意思などもつはずのないNPC(ノン・キャラクター・プレイヤー)だったはずの、キャラクター達が意思をもっていることに気づくのです。
オーバーロードは異世界転生なのか。
よくある異世界転生・転移ものというのは、トラックとかに轢かれて死んだか何かがあった主人公が、剣や魔法の世界に生まれ変わる、というものがよくあるパターンとなっています。
その理由そのものは、それほど重要なものではありません。
また、前世の記憶を引き継ぎながら、赤子のときからやりなおして、神童として活躍するというパターンや、肉体はそのまま転移して、現代における知識をつかってのしあがっていくといったパターン。
「Re:ゼロから始める異世界生活」にいたっては、コンビニの帰り、まばたきする間に転移してしまって、そこから、何度死んでも一定時点に戻ってしまう死に戻りが発動してみたりと、多少の脚色や追加設定はあるものの、大枠のイメージは同様のものが多くなっております。
ですが、「オーバーロード」は、長年みんなでやっていたゲームの設定が、そのまま生かされて異世界にきてしまう、という設定です。
魔法の考え方、ゲーム上での強さも、そのまま引き継がれています。
現代の日本から異世界ならわかりますが、ゲームの世界から異世界に転移してしまうというアクロバティックな設定には度肝をぬかれるところです。
主人公は生きているのか死んでいるのか
ただ、設定に違和感を感じないのは、ひとえに、主人公が長い歳月をユグドラシルというオンラインゲームにかけてきた、という想いがあるためでしょう。
設定上、主人公には両親を含めた親兄弟はおりません。恋人もおらず、現実世界に自分をとどめるものは何もありません。
彼にとっては、仲間たちと構築したユグドラシルというネットゲームのほうが、現実の世界よりもはるかに大事な場所になっているのです。
そして、主人公は現実に何もないからこそ、架空とはいえオンラインゲームで得た仲間たちに強い信頼感をもち、そのために頑張ってきていたのです。
誰よりも愛していた世界に取り残された主人公が、仲間たちとともに作り上げてきたキャラクターとともに、転移後の世界で、仲間を探すと同時に、キャラクターたちとも絆を深めていく、というところに熱い想いを感じるところです。
物語の冒頭で、主人公は言われます。
「また、どこかでお会いしましょう」
「どこでいつ会うんだろう。ここは、みんなで作り上げたナザリック地下大墳墓だ。なんでそんな簡単に捨てることができる。いや、違うか。誰も裏切ってはいない」
こういっては何ですが、ゲームはあくまでゲームです。
だから、そこから去っていく人を引き留めることはできません。
生きるためにはある現実世界で稼がなければなりませんし、未来の世界においてもその現実はかわらない、ということになっています。
でも、主人公のように最後の最後まで、ゲームを見届けた先に、異世界転生があるとしたら、少しだけ夢があると思わないでしょうか。
そんな世界だからこそ、本作品の設定には違和感がありませんし、すっきり飲み込むことができるのです。
たんに、異世界転生したら、ステータスが見れる画面が勝手にでてきて、自分の能力が数値化しているぞ、みたいな作品とは一線を画しているところです。
人間ではないものの悩み
さて、少しずつ本編に入っていきたいと思います。
劇場版総編集編というだけあって、本作品は、テレビシリーズで公開されたシリーズ1の総集編になっています。
多少の新作カットが入っていたり、ダイジェストになったりしておりますが、ほとんどテレビシリーズに加えた内容はありません。
そのため、時間のある方は、ぜひテレビシリーズをみていただきたいところです。
「劇場版総集編 オーバーロード 不死者の王【前編】」は、主人公が転生し、冒険者モモンと並行して物事を進めようとするまでを描き「劇場版総集編 オーバーロード 漆黒の英雄【後編】」は、吸血鬼シャルティアとの戦闘がメインに据えられつつ、ほぼ戦闘パートとなっています。
オーバーロードの面白いところは、キャラクターとして異業種(アンデットやモンスターといった人ではないキャラクター)を選んでいる主人公が、そのキャラクターのとおり、非人間的になっていくというところです。
人間だったときを思い出したり、仲間たちとのやり取りを思い出したりしながら、人間性をたもっておりますが、モンスターであるキャラクターにひっぱられていくことを自覚したりしているあたりも、面白い点です。
仲間や、目的達成のためであれば、どんな残酷なことでも行える。
そんな自分に驚きながらも、精神を魔法で無理やり安定化させられながら、覇道にむかって突き進む姿が良い感じです。
組織ものとして
転生する前の主人公は、たんなるサラリーマンでした。
しかし、突然、自分が運営していたギルドとはいえ、組織のトップとして仕切らなければならなくなった彼は、自分たちの作り上げたキャラクターたちに全幅の信頼を受けるとともに、組織のトップとしての苦労も背負うことになるのです。
突然社長になって、わたわたする、といった職業ものの苦労のような悩みもあるあたりもまた、「オーバーロード」の楽しいところです。
組織のトップとしての振る舞いや言動。
また、自分自身もまたふさわしい自分になれるように、役が人を作る、という言葉のように、彼もまたナザリックにおける支配者として成長していくことになります。
総集編ではありませんでしたが、戦闘メイドプレアデスが失敗したときに、きちんと意図をつたえないで失敗してしまった部下を、アインズは、怒りません。
意図を伝えた上で、それと異なる行動をして失敗をする分には罰するべきですが、命令するものが正しく伝えていなかったことで被害がおきる分には、それは上司の責任だ、という考えを話をします。
異形のモンスターたちがいる組織でありながら、おそらくブラック企業に勤めていたであろう主人公が、結果として、責任の所在や考え方についてはホワイトな組織をつくろうとすることになっているのも、魅力の一つとなっています。
孤独な男
「自分たちの子供のようなものだ」
と、アインズはアルベド以下の配下たちに対して思っています。
キャラクターたちは、ゲーム時代にプレイヤーである彼らが作り上げたものです。
キャラクターたちからすれば、まさに、自分たちを作り上げた創造主であり、至高の御方、というになるのでしょう。
しかし、キャラクターたちは、自分たちを置いて、ゲームをやめてしまったプレイヤーたちのことを必ずしも快く思っているわけではなく、最後の最後まで残ってくれたアインズことモモンガにこそ、忠誠誓っているところもまた泣かせます。
我々は多くのゲームや作品を愛しながら、同時に、それらの作品をないがしろにせざるえません。
作品というのは絶えずそういう状況にさらされていながら、「オーバーロード」においては、そんな本来忘れ去られてしまうだけのキャラクターたちとともに異世界に残った孤独な男の戦いになっているところも、作品に深みを与えているといえるのではないでしょうか。
アニメ「リクリエイターズ」においては、そんなキャラクターを生み出す造物主に対して反乱を起こすキャラクターを描いたりしておりますが、それは、また何かの機会にでも記事にしていきたいところです。
自分と同じく、ゲームであるユグドラシルからきてしまった人間がいるのではないか、という期待を抱きつつ、主人公は、その名前を広めるために仲間たちと戦い続けます。
普段、マルチオンラインゲームといった類のものをやらない方は、主人公たちの悲哀というのはわかりづらいかもしれませんが、誰の中にでも眠っている感情を揺さぶってくれるからこそ、本作品は、より面白く感じられるのかもしれません。
残されたものの悲しみ。感想。劇場版総集編アニメ「オーバーロード」でした!!