シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

これぞ青春。森田芳光監督「の・ようなもの」

 

の・ようなもの


森田監督といえば映画「失楽園」で一世を風靡する一方で、江國香織原作小説「間宮兄弟」のほのぼのコメディものまで手掛ける、幅広い才能で活躍したか人物です。
今回は、森田監督の長編映画デビュー作である「の・ようなもの」について、その面白さを語ってみたいと思います。

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青春の物語

本作品は、内容だけおってみますと、非常にとりとめない話になっています。
落語の二つ目、という立場でぶらぶらとしている志ん魚(とと)が、主人公です。

志ん魚を演じる伊藤克信は、競輪の中継をやっていたり、バラエティ番組とかででていたことがあるのでご存じの方が多いかと思いますが、もともとは、「の・ようなもの」で森田芳光監督に見いだされたことで、芸能界で活躍することになった人物になります。
栃木弁なまりが特徴的な、志ん魚ですが、彼はどうにもにくめない男として登場します。

この作品は終始、青臭い物語となっています。

冒頭では、お金をカンパしてもらって、志ん魚のはじめてを失わせるべく、ソープなお店に行くところから始まります。
外ではしゃぐ兄弟子たちですが、志ん魚は、実は経験があったりします。
父親にソープをおごってもらったことがあるから、別にはじめてではない、という衝撃の事実があきらかになるとともに、志ん魚のしたたかさと、憎めないかわいらしさがわかるシーンとなっています。

大女優である、秋吉久美子ソープランドの女性として、志ん魚に洗体マッサージをしてあげたりするわけですが、母性本能をくすぐられて、恋人でも友達でもあるような謎の関係になっていきます。

じゃあ、秋吉久美子が本作品のメインヒロインかといわれると、必ずしもそうではありません。
 

ずるい男

秋吉久美子演じるエリザベスとお付き合いをしているかに見えた志ん魚は、高校の落語研究会に所属している女の子とお付き合いすることになり、エリザベスに別れを告げるのですが、
「あたしたち恋人だった?」
「違いますね」
「友達ってとこかな」
「友達ですかね」
「彼女にも友達いるでしょ。志ん魚ちゃんにも友達いるでしょ。だから、だますんじゃないの。黙ってるの」
志ん魚も志ん魚ですが、エリザベスもエリザベスだな、と思わせられるエピソードです。
昔の映画だから、この手の倫理観は勘弁してください、という点も多分にあるとは思いますが、彼ら自身が、実に中途半端な存在、というのが一番この映画で、青春たらしめている点であると言えます。
 

女子高生に怒られる。

志ん魚がひょんなことから、お付き合いをはじめたばかりの女子高生の、お父さんの前で落語を披露することになります。
ですが、それをみた父親は
「なってないね。志ん朝や談志に比べるとずいぶん下手くそだよ。サラリーマンだって、10万くらい稼ぐのに、どうやって生活するの」
「父さんの言う通りだと思う。志ん魚さん下手よ」
「俺、帰ります」
「電車ないわよ」
「飛行機で帰ります」

森田監督演出は、話の関係のないところで、直接的な関係のない効果音をだしたり、音を先にだしたりして印象を深くするような演出が面白いです。
みんなに非難された志ん魚が、飛行機で帰ります、と冗談で返したときに飛行機の飛び立つ音が聞こえるっという、皮肉というか脈絡のない感じがたまりません。
 
兄弟子である、志ん米もまた二つ目です。
志ん魚が23歳という設定もそうですが、彼らは、子供ではないのですが、大人にもなり切れていないことが様々な視点からわかってきます。

大人になりたくない人たち

兄弟子である志ん米は、奥さんがいるにも関わらず、女遊びは好きですし、落ち着いた感じがありません。

また、志ん魚は、師匠から古典落語ではなく、新作落語(自分でつくる落語)をしてみてはどうかと言われます。
話だけきくと、ただ薦めているだけに思えますが、志ん魚は
 
「悲しいすよ、師匠。新作なんて誰に教わればいいんですか」
とやんわり断ります。
 
新作落語は、作り方はそれぞれでしょうが、いずれにしても、いままで連綿と続いている古典落語ではなく、誰に教わるわけでもなく作るということですから、人に教わるのはやめて大人になったらどうだ、と暗に言われているのです。
それを、志ん魚は断り、下手な落語をやりつづけるのです。

青春の終わりに

志ん魚が、女高生の由美と、父親にコテンパンにされて、家まで徒歩で歩きます。
当時の東京の街を「道中づけ」と呼ばれる、説明をつけながら歩くことをしていきます。
「神様、四畳半の狭さの中で明日を待つ。駅前通りを歩行者一名。ビニールの花が歓迎している。ソフトクリーム100円。しんとと、しんとと」

昔の東京の情景がわかるという点でも面白い映像です。
そして、秋吉久美子が、住んでいるアパートからでていきます。
志ん魚のわずかな青春が終わりつつあるのがわかります。

本作品は、長い期間二つ目だった兄弟子の志ん米が真打になる祝賀パーティーで終わります。
 
真打というのは、落語の世界では師匠と呼ばれる存在であり、弟子を持つことができる立場です。
これをもって大人になる、といってしまうのは荒っぽいかもしれませんが、少なくとも、門下の中で守られるだけの存在ではなくなった、というところでしょうか。
祝賀パーティーが終わり、エンディングではその終わったあとの光景が流れ続けて終わります。
 
祝賀会から離れた場所で、志ん魚と弟弟子がしゃべります。
 
「下手なまんま年寄りになってったらどうしますかね、あにさん」
「今のままってのはありえないさ。かわるさ」

秋吉久美子演じるエリザベスは、大阪へ旅立ち、志ん魚は高座へとあがる。

やがて変わっていってしまうながら、その青春の一瞬をとらえている作品であるのが「の・ようなもの」となっています。
 
とりとめのない話にみえますが、大人でもなく子供でもない彼らの、まさに青春群像劇としての作品となっていますので、ぜひ、森田監督のデビュー作をご覧になっていない人は、改めて味わってみてもらいたいと思います。
 
ちなみに、監督は2011年に亡くなってしまいましたが、「の・ようなもの」の後日談を描いた「の・ようなもの のようなもの」が公開されておりますので、年をとってしまったメンバーの、青春後の世界も楽しむことができるかもしれません。

 

の・ようなもの のようなもの

の・ようなもの のようなもの

  • 発売日: 2016/07/29
  • メディア: Prime Video
 

 

以上、「これぞ青春。森田芳光監督「の・ようなもの」でした!!
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