シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

ロバート・ゼメキス監督「マーウェン」感想

マーウェン (字幕版)

 ロバート・ゼメキス監督といえば、言わずと知れた「バックトゥザフューチャー」で知られる監督です。
 
それ以外にも「フォレストガンプ/一期一会」や「キャストアウェイ」など、数々の名作を残しており、名前を聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。
 
そんなロバート・ゼメキス監督が、暴行を受けたことで記憶を失ってしまった男の、創作活動を通して世の中と向き合っていく姿を描いた作品「マーウェン」について、感想を述べていきたいと思います。

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ゼメキスといえば

ロバート・ゼメキス監督といえば、さりげないところでCGを使っていく、という演出でよく知られる監督です。
 
「バックトゥザフューチャー」はいうまでもなく、本来であれば、CGや特殊撮影する必要あるのか、という点に力を入れており、ここぞというタイミングでの使い方がうまい監督です。
 
しかし、「マーウェン」においては、物語の冒頭からCGをつかいまくっています。

主人公は、ミリタリー人形であるGIジョーやバービー人形を撮影しており、彼の頭の中では、その人形たちが動いていることになっています。
 
彼は、そのシーンを切り取って写真撮影を行っているのですが、人形たちが動いているシーンが、見事なCGによって作られているのです。
 
このCGをみるだけでも、本作品をみる価値があるといえるのではないでしょうか。

主人公と創作物

主人公であるマークは、その撮影でつかっている人形たちに名前を付けています。
 
それは、彼が記憶を失ってからお世話になった人たちや、好きになった女優などがモデルとなっています。
 
作品をみていくと、あまり対人的なコミュニケーションが得意ではないマークは、実在の登場人物をつかって、都合のいい世界をつくりながら作品作りをしているのだな、と勘違いしてしまうところですが、本作品は、もっと踏み込んだものになっています。

彼の住んでいるお向かいに引っ越しをしてきた、赤毛の女性ニコルを好きになったマークは、さっそく、彼女に似た人形を探します。
 
彼はそうやって自分のつくった街「マーウェン」で、現実の女性を投影した人形を撮影することで、写真の展覧会まで開くことになっています。
 
誤解を恐れずに言うのであれば、本作品は、オタクが創作と現実の間で折り合いをつけていく物語としてみることができる内容になっています。
 
もちろん、重い内容としてみることも可能です。

ヘイトクライム問題

近年は特にメディアでも取り扱われている差別問題ですが、本作品においては、ヘイトクライムによる暴行をきっかけとして、マークは大けがを負っています。
 
実をいうと、ロバート・ゼメキス監督の「フォレストガンプ/一期一会」において、アメリカの歴史を主人公がのぞいていく面白さがある作品となっているのですが、同時に、問題があると指摘されている作品でもあります。
 
というのも、アメリカの歴史を除いている作品であるはずなのに、そこに黒人による歴史がまるっきり入っていないということがあるのです。
 
そのため、ロバート・ゼメキス監督は、黒人問題を含むこの手の問題には、偏った意見をもっているのではないかと思っていましたが、今回は、女性の靴を履くことで、暴行を受けた主人公という、いわゆるヘイトクライム問題に正面から向き合った作品になっています。

人形たちのやり取りは、マークが今まで受けてきた過去や、想いが反映した内容となっており、靴が履けなくなってしまったため、やむえず女性ものの靴を履いたという設定を、人形たちで見せたりするなど、入れ子構造になった面白さがあります。
 
人間である以上、偏見というのは簡単になくなるものではないでしょうが、一方的な決めつけや害悪に対して、主人公が何をもって立ち向かうことができたのかを描いています。

創作は心を助ける

マークは、ウチにこもるタイプです。
 
彼は妄想か幻覚かわからない現象に悩まされており、好きな女性が現れると未来の魔女という設定のデジャという青い髪の人形によって、邪魔されてしまいます。
 
マークがどういった人生を送ったのかについては、彼の人形劇をみればなんとなくわかるようになっています。

冒頭ででてくるウェンディというキャラクター。

その後、彼の人形劇には登場しませんが、町の名前の由来をきくことで、いったい彼女が、マークにとってどういう人だったのかがわかります。
 
また、くりだす人形たちの世界と、彼の心の現実は一致しているようにみえますが、ニコルという女性とのかかわりによって変わってきます。

裁判について

「裁判にでてくれ」
 
と彼は言われ続けます。

ハイヒールを履いている自分を恥ずかしく思っている彼は、人前ででるということができません。
 
裁判の場にでることで、自分を暴行した犯人たちをみて、妄想にとらわれて逃げてしまったりもします。
 
彼が立ち上がらなければ、彼をハイヒールを履いた男だからという理由だけで暴行した彼らは、軽い罪で終わってしまうかもしれないのです。
 
精神的にもマイノリティになってしまうマークが、どうやって裁判の場で発言することができたのか。
 
それこそが、創作の力なのです。

創作は創作、自分は自分

おもちゃショップで働く女性ロバータは、マークに好意をもっています。
 
しかし、マークは、ロバータのことを見向きもしません。
マークは、周りのキレイな女性を自分の創作の中に加えていきますが、ロバータは加えられていません。
ロバータもそのことには気づいているのですが、どうしようもできないでいます。

ここからは、ネタバレになります。

マークは、赤毛の女性ニコルに告白し、見事に振られます。
 
彼の創作と現実は一致していますので、すぐに創作の中のニコルは心臓を撃たれてしまいます。
 
悲嘆するマークですが、
「心が痛い」
「痛みはロケット燃料だ」
と奮起し、ナチの人形と対決を始めます。
彼は女性もののヒールを履いていることで、バカにされ暴行まで受けましたが、創作の中で彼は、それを武器としてつかって勝利をおさめます。

ちなみに、なぜかタイムマシンがでてくるのですが、「バックトゥザフューチャー」からのファンサービスなのか、明らかに未来で改造されたデロリアン風の乗り物がでてきるのは笑えるところです。
 
デロリアン風のマシンが、未来に行った後のシーンなどは、「バックトゥザフューチャー」そのまんまだったりします。
 

マーウェンコル

人形を撮影することを通じて彼は、現実世界との接点をつくり、自分の中のつらいことや向き合いたくないことと折り合いをつけることを学びます。
 
「テジャ・ソリス(魔女)は?」
「消えたよ。永遠に。僕の人生から。二度と戻らない」
と言って、彼は持っていた薬をも捨ててしまいます。
 
テジャ・ソリスという魔女は、マークにとっていったいなんだったのか。
その具体的な対象はわかりませんが、それが、彼にとっての凶悪なトラウマや向き合いたくない過去そのものだったに違いありません。

象徴である人形を、箱の中に入れ、彼は、裁判所に向かいます。
 
彼のつくりあげた人形たちの町「マーウェン」。
その中にいる主人公の隣には、ニコルがいます。
 
振られてしまったのに、まだニコルなのか、と思うところですが、それはそれでいいのです。
 
創作の中の男は、ニコルと暮らし、日々を過ごすでしょうが、マークは、マークで、自分が大切にするべき人たちに気づくことができたのです。

「僕には友達がいる。自分の町と写真がある。僕は大丈夫です」
 
自分の気持ちと向き合い、そして、進んでいく。
「マーウェン」は、人間ドラマとしては比較的地味な物語になっていますが、ロバートゼメキス監督による演出によって仕上げられた、心温まる物語となっています。
 

以上、ロバート・ゼメキス監督「マーウェン」感想でした!!
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