ネタバレ前にみる映画。感想&解説「バービー」
「バービー」は、人形のバービーもでてきますが、タイトルとは全然違う物語です。
ネタバレをしてしまうと、先入観をもって見ることになってしまいます。
もし、まだご覧になっていないのであれば、ぜひ視聴後に本記事をご覧いただきたいと思います。
予告編とか見てしまってもネタバレしてしまうのでご注意ください。
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物語の表面について
「バービー」は、物語の内容を知ってしまった後は、それほど劇的な物語、という風に思えないかと思います。
貧困の人たちの現実を描いたものであり、富裕層が貧困層を搾取するという構造にスポットを当てたにすぎません。
ですが、見方を変えるだけで本作品の面白さは異なりますし、ハラハラさせられる物語になっています。
あくまで、本作品の事前情報を入れないでみたときに、どのように見えるのか、ということから解説していきます。
不思議な家族と養父
物語の舞台は韓国の田舎となっており、そこに住んでいる娘が養子にだされるまでの間を描いています。
アメリカ人であるスティーブは、韓国人の少女を養子に迎え入れるためにやってきます。
事前情報をいれずにみてみた場合、いくつもの疑問点が浮かんでくるのがポイントです。
なぜアメリカ人が、韓国の田舎に住んでいる子供を養子に迎えようとするのか。
なぜ娘であるバービー(人形と同じ名前ですが、人名です)と、キム・セロン演じるイ・スニョンが仲良くなることをスティーブは嫌うのか。
普通であれば、養子に迎えるわけですから、子供同士が仲良くなってくれるほうがいいに決まっています。
にもかかわらず、スティーブは娘であるバービーに「仲良くなるな」と怒るのです。
また、スニョンの叔父であるマンテクは、なぜスニョンをアメリカに行かせようとするのか。
普通であれば、知的障害であるスニョンの父親を助けるためにも、一家が貧乏あればこそ年齢が上で働きやすいはずのスニョンを残すべきです。
それなのに、妹であるスンジャがアメリカに行きたいというのを止めて、スニョンを行かせようとします。
また、叔父であるマンテクもまた、たんなる悪い叔父とも思えない。
この映画は何かを隠しながら進めている。
スリルを感じながら見ることができる映画も珍しく、ネタバレしていたとしても、面白くみることができますが、二度、三度と楽しむための回数が減ってしまうことになるので、できるかぎりもやもやしてから見ることをお勧めしたいところです。
さて、ネタバレ前提でお話するにあたって、本作品は、それぞれのキャラクターの視点でみていくとより理解でき、わかるようになっています。
まずは、キム・セロン演じるスニョンからはじめていきます。
スニョンの純粋さ
まず、本作品を理解するにあたって大事なことは、本作品は、韓国における実際におきている事件、人身売買の実態を描いた作品として知られている、ということです。
そんな事実を知らないでみたほうが衝撃はありますが、この作品をみる以上、その事件を扱ったものだということを知らないで見る人は少ないでしょう。
貧困の子供たちが、裕福な人間に臓器を売る目的で養子に出され、代価として親が金銭を受け取る。
いわゆる、現代における人身売買です。
その悲壮な現実を丁寧に描いている、といわれてしまえばそれまでですが、本作品は物語として非常に秀でた作りになっています。
まず、姉であるスニョンは、自分が臓器の摘出を目的とした人身売買のためにアメリカ人に養子にだされる、ということを知りません。
彼女は、将来お金を稼ぐためにももっと勉強をするべきなのにも関わらず、ずっと観光客に売るためのアクセサリーを制作してします。
おそらく、彼女は、別にアクセサリー作りが好きというわけではないにもかかわらずです。
叔父であるマンテクがそこまで考えてスニョンを養子にだそうとしたかどうかは別として、彼女は、一番純粋で、何もしらないキャラクターとして描かれます。
その結果、彼女はバービーと仲良くなります。
また、そのあまり要領がいいとはいえない姉を半ばさげすんでいる妹のスンジャは、自分がアメリカに行って、稼がなければと思うことにもつながっているのです。
スンジャの心
スニョン演じるキム・セロンの実の妹でもあるキム・アロン演じるスンジャは、病弱ではありますが、頭がよく、したたかな女の子です。
作り笑顔ではあるものの、どこか愛嬌があり、なんとかして目的を達成しようとする意欲に溢れています。
姉であるスニョンと違って、英語の勉強もよくしており、なんとかして貧乏から抜け出そうとしています。
自分がある程度かわいいということも自覚しており、バービー人形のようにかわいくなりたい、と思っているのです。
おそらく、こういう娘が成り上がってみたり、玉の輿にのるようなガッツのある人間に育っていくのでしょう。
頭の良さや勉強家であることは作中に描かれており、100ドル紙幣をすぐにわかって、価値を正確にわかっていることや、ボロボロのなるほど英語の本を勉強してみたりと、賢いことがわかるのです。
本当にスティーブが、韓国人の養子がほしいだけであったならば、スンジャは、メキメキと実力を身につけ、「私が稼いで、アメリカ行きのチケットもかってあげるわ」といった事柄を実現させてくれたことでしょう。
「おじさん、ありがとう」
マンテクが、スンジャの将来性を含めて後悔しているのかはわかりませんが、たんなる人身売買の映画ではなく、成り上がろうとすることが結果として自分の死に直結してしまう皮肉と事実を描いているところが、また面白いです。
マンテクというおじさん
さて、本作品で一番何を考えているのかよめなかったのは、マンテクという男です。
知的障害の兄をことあるごとに叩いたり、怒ったりする男ですが、物語の最後になると、このマンテクという男が一番つらい立ち位置にいることがわかります。
本作品は、人身売買の映画ではありますが、その裏側にあるのは、マンテク自身が言うように「口減らし」です。
民宿を営んでいるこの一家では、1年前に母親が亡くなっています。
おそらく、そのことによって家計が成り立たなくなり、一家はのっぴきならない状況に追い込まれているのです。
もともとお金のあるほうではなかったでしょうが、マンテクが、口減らしとして誰かを売ってしまわなければ、一家は大変なことになる運命にあったはずです。
口減らしといえば、日本でも昔は当たり前のように行われていたことであり、童謡「とおりゃんせ」なんかは、まさにこの人減らしのことについて謡われたものだといわれています。また、7歳までは神の内として、平気で殺されていたような時代もあったわけです。
それだけ、貧しい時代がセカイにはあったわけですね。
でも、現代でもまだそんなことが行われている、ということの告発こそが「バービー」なのです。
「俺のこと、恨むなよ」
と、スニョンには言わなかったマンテクが、スンジャには言います。
スティーブが、「スンジャでもかまわない」と言っていたのに「あいつは、ダメだ」と断っていたあたりからも、マンテクはスニョンにしたかった理由がわかります。
犠牲になってもいい娘
犠牲になっていい人間なんていないのですが、もし、この一家の中で、一人をあきらめなければならないとしたら、マンテクの立場からすればスニョンがいいと思うのは、映画をみた人であればわかってくれるのではないでしょうか。
性格が悪いとかであれば、スンジャじゃないのか、と思うかもしれませんが、スンジャもまた頭がよくしたたかで、別の方法で家族を助けようとしています。
では、なぜスニョンなのか。
この映画をみているとわかるのですが、スニョンが一番誰も恨まないからです。
妹が「私がアメリカに行く」といって駄々をこねて、叩いたりしてもスニョンは決して怒りません。困った顔はしても、怒ることはないのです。
彼女は優しい心の持ち主であり、しょうがないのであれば命だって投げ出してしまうでしょう。
マンセクは、彼女に真実こそ伝えられませんでしたが、スニョンが一番罪悪感が少なくて済むと思ったに違いありません。
マンテクは口が悪いだけで、決して心の強い人物ではありません。
アメリカ行きが決まってしまったスンジャに携帯を買ってあげますし、ちゃんと携帯を電話帳に登録もしています。
どうせ死んでしまうとわかっているのに、どうして、プレゼントを買ってあげたりするのでしょうか。
マンテクもまた自分の立場の中でなんとかして家族を守ろうとしたのです。
バービーという立場
バービーという女の子からみた場合、彼女の成長を描いたものになることでしょう。
韓国にいってスニョンと友達になり、本当の妹の命を救うために、貧しい国の女の子を殺してしまう。
スンジャのパスポートを投げることができなかった時点で、彼女は大人になってしまったのです。
単なる正義感であれば、パスポートを投げ捨てて、「誰かの命を犠牲にしてまで妹を助けたくなんてない。妹も同じ気持ちなはずよ」とでも言ったはずです。
でも、彼女は、小さな紙に、英語でびっしりと「SORRY」とだけ書いています。
スニョンは、SORRYの意味を知るはずがありません。
ですが、彼女からもらった手紙から何かを感じたからこそ、妹が乗っている車に向かって走ったはずなのです。
もちろん、本当の意味を知らないままで。
バービーという少女は、父親が自分の娘に現実を伝えるために連れてきたはずなのです。
わざわざその現実を伝えなければ、たまたま適合するドナーが見つかったから妹が助かった、といえばいいだけの話です。
もちろん、手続きの関係とかいろいろあって隠せないからなのかもしれませんが、父親のわかっておいてもらいたいという心情と、必要以上に心にダメージを追ってほしくないという親心のせめぎあいが、あとになってわかるのです。
結果として、スティーブの思惑通り、彼女は、妹を助けるために現実を受け入れ、旅行の時にもってきたバービー人形から卒業することになるのです。
オープニングでは白いワンピースを着ていたのに、帰りは喪服のような黒いものに変わっています。
もう、彼女は、大人になってしまったことを意味するわかりやすいメタファーです。
スニョンの父親について
知能障害を患っていそうな父親ですが、彼の立場からしても難しいところです。
スニョンの父親からすると、純粋に家族を手放したくない、という気持ちだけでしょう。
「いい加減、奴隷扱いしないで、かわいがってやれ」
「娘たちを鎖でつないで、奴隷にする気か?」
とマンテクに言われてしまいます。
普通であれば、父親が家族と一緒にいたいと思うのは当然のことでしょう。
ですが、その想いが、結果として、家族を貧困から脱出できなくさせていることに本人は気づいていないのか、あるいは気づくことができないのかもしれません。
通じない会話
マンテクは英語が、一応できます。
スンジャは簡単な単語ならわかりますが、スニョンはまったくわかりません。
ですが、一番会話らしきものを交わしているのはスニョンとバービーです。
でも、二人の会話は繋がっていません。
そういった言葉の違いによって失われてしまうものを描いた作品といえば、ソフィア・コッポラの名作「ロストイントランスレーション」が有名です。
言葉や国を超えて、人身売買が行われ、心が通じないままに人々はベルトコンベヤーの上を流されていくように生きているのです。
本作品は見返してみると、マンテクの立ち位置や、彼女たちの運命がよくわかりますし、その中でどのように生きているかがわかる作品になっています。
まったく、事前情報を頭に入れていなければ、自分の中の常識と異なるその違和感をさぐりながらみていくことができるサスペンスのような見方もできる良作となっていますので、気になったかは見直してみながら彼らを追ってみていただきたいと思います。
以上、ネタバレ前にみる映画。感想&解説「バービー」でした!