映画の前の復讐に。なぜ面白い。アニメ「鬼滅の刃」感想
相変わらずの出版不況の世の中において、ジャンプ漫画で大ヒットとともに原作が大団円を迎えた稀有な漫画「鬼滅の刃」。
てっきり、いつまでも引きのばしてしまうドラゴンボール現象が起きるかと思っておりましたが、もっとも熱いタイミングで物語が終えるという点では、理想的だったのではないでしょうか。
よくあるジャンプのバトル漫画と思ってしまうところですが、その面白さについて、感想を述べていきたいと思います。
映画「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」も公開されますので、雰囲気を思い出すために活用していただいてもいいのではないかと思います。
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果たして何が違うのか
なんで売れたのか、ということに対しては色々な媒体で書かれていることなので言及しませんが、今回は、その認知度を一気に高めたアニメを題材に「鬼滅の刃」を語ってみます。
さて、「鬼滅の刃」をご覧になった人が、まず思うのが、これが世間を騒がせるほど面白い作品なのか、という点ではないでしょうか。
話題作だからちょっと見てみたという人も多いと思いますが、過去の作品群と比べて、果たしてそこまでなのか、と。
たしかに、「鬼滅の刃」は、いわゆる格闘系の漫画です。
主人公である竈門炭治朗(かまど たんじろう)は、家族を殺され、妹を「鬼」にされてしまいます。
妹を人間に戻すため、炭治朗は鬼を倒す部隊である鬼殺隊に入り、仲間と協力しながら、敵のボスである鬼舞辻無惨を倒すために奮闘するのが本作品の大まかな流れとなっています。
話だけ聞けばよくある話です。
様々な能力をもった敵と戦い、修行を重ねながら強くなる主人公たち。
「幽遊白書」にしても「ドラゴンボール」にしても、修行もしますしキャラクターも魅力で、「NARUTO」だって「ハンターハンター」だって、まぁ、目標に向かって敵を倒します。
こう考えてみると、「鬼滅の刃」は王道漫画なのです。
時代は大正
「鬼滅の刃」は、大正時代です。
江戸時代とかはよくありますが、大正時代というのはあまり使われることのない時代です。
「サクラ大戦」なんかも大正時代ですし、古典的作品といえば「はいからさんが通る」なんてのもあります。
しかしながら、大正という、15年間しかない時代を描くというのは、思いのほか珍しいといえるでしょう。
時代の移り変わり目であることに違いありませんが、鬼滅の刃の中では、鬼狩りをする鬼殺隊の存在意義や、鬼という存在そのもののも含めて、短い時代の中で変化していく人々を描いているところが面白い点です。
明治ほど古くなく、昭和に入るその前の時代。
大正時代の雰囲気も汲み取っているという点も含めて、既視感の少ない時代設定となっています。
鬼とは
敵もまた、一風変わっています。
敵の大本は、鬼舞辻無惨です。
このたった一人の人物によって、鬼は増やされていっています。
12鬼月と呼ばれる中ボスクラスがいるのですが、このあたりは、聖闘士星矢時代からかわらないボスのランク付けですね。
物語のはじめだけみると、ヴァンパイアものの変形か、と思うところです。
吸血することによって、ヴァンパイアになるという点も含めて和製ヴァンパイアといっても差し支えないでしょう。
ヴァンパイアハンターものでいえば枚挙にいとまがありませんが、大正時代に「鬼」という単語を用いて、吸血鬼との戦いをやっているという点は、それほど目新しいとは思えません。
また、血鬼術という名目で、ジョジョでいうところのスタンド能力のようなチカラをもつ鬼たちがでてきて、なんとなく、力押しでは勝てないようになってきたり、柱と呼ばれる人たちがでると、力のインフレも大変なことになってきます。
「鬼滅の刃」は、圧倒的に目新しいか、と言われると困りますが、鬼の力の根源には、他社からの疎外や劣等感、鬼になった経緯なども含めて語られる点は、ただの障害物ではない敵として面白いところです。
本作品の登場人物全般を通してのことですが、それぞれが使い捨てのコマではなく、人間としてのキャラクターが描かれている点は、際立った点です。
そして、それを強調させてくれるのが、主人公である竈門炭治郎の存在ではないでしょうか。
主人公は実はヘン
物語当初はあまり気にならないのですが、あとから、気づくことがあります。
それは、主に主人公である竈門炭治郎が、ヘンということです。
真面目で、ちょっと融通がきかないところがあるけれど、家族想いな主人公、といった人物造形ですが、物語がすすむにつれて、変な人物だというのがわかります。
「俺は長男だから大丈夫だけど、次男だったら、耐えられない」
もっと前から片りんはみえていたのですが、主人公が自分を鼓舞する理由の意味がわからなくなるときがあります。
でも、気持ち的には盛り上がります。
「俺はいままでよくやってきた。俺はできるやつだ!」
自己啓発といってしまえばそれまでですが、主人公たちがとにかく素直でいい子たち、っていうのが、「鬼滅の刃」の財産ではないでしょうか。
出し抜いたり、裏切ったりすることなく、主人公は自分が正しいと信じることをしますし、間違っていたら謝ります。
単なる熱血な主人公ではない。
結果として、主人公の純粋さに触れながら、鬼たちは倒されていきます。
悪には悪の事情。
でも、主人公もまた必ずしも優しいだけの人物ではない。時代の移り変わりの中で、最善の手段を取ろうとしていく様は、いつの間にか応援してしまいたくなってしまうこと請け合いです。
ヒロイン不在
戦うヒロインというのは沢山いるわけですが、「鬼滅の刃」は、ヒロインらしいヒロインが、鬼になった禰豆子(ねずこ)であり、和服を着ながら、大胆に足をつかって戦うヒロインとなっています。
和服をたくし上げて、素足で蹴りながら戦うヒロインというには、見たことがありません。
しかも、頭には血管を浮き立たせながら、よだれまで垂らす始末。
作中では、「禰豆子は、器量よしだ!」
と炭治次郎がいうように、美人なんでしょうが、ビジュアル的には珍しいヒロインです。
しかも、主人公の妹であり、ゲームで言えば攻略キャラとはいえません。
うしおととら形式に、現地でヒロインをみつけていく作品かとも思いきや、そんなこともありません。
ヒロインであったとしても、ただ守られるだけじゃない、という点において、今までとは違う作品というのが匂います。
技について
「水の呼吸、壱の型!」
といいながら技を繰り出すわけですが、この作品の根底にあるのは、人間VS鬼であるとともに、時間から取り残された存在(鬼)と、怪我もすれば死にもする人間という構図が重要になってきます。
戦闘シーンの外連味(けれんみ)ある戦いっぷりも素晴らしいのですが、本作品においては、重要ではありません。
ただ、アニメの戦闘シーンは、すさまじいです。
水墨画のような演出、それぞれの剣士の技の数々はみていてとてもあきません。
とにかく、主人公たちは工夫します。
技がないなら組み合わせる、応用する、といった、次々と技を習得する作品とは一線を画しています。
もちろん、応用をする作品は数多いのですが、殊更自分の現状の技をどのようにつかっていくかに特化した考えて戦闘をしている点は面白いです。
彼らは完璧な主人公ではなく、試行錯誤を繰り返しながら、傷つきながら戦っていく。しっかりと療養する、という人間らしい、血の通ったキャラクターになっています。
ダイジェストで修業シーンが飛ばされてしまうのですが、育手である鱗滝(うろこだき)のもとで修業するシーンでは、あっという間に2年経ってしまいます。
ただ、彼らはもともとの素質もありますが、怪我をして、修行をして、手順を踏んで強くなっていく点も、応援したくなってくるところの一つでしょう。
感傷的すぎない
主人公たちも背負うものは沢山あります。
ただ、基本的に彼らは明るく、目標のために一つ一つ重ねていきます。
計算し尽くされたパズルのような作品も面白いのですが、「鬼滅の刃」は、デスゲームとか、他人を信用できない状態を前提に戦うのではなく、良くも悪くも、大正時代の古き良き時代の考え方のもと、敵にも敵の事情がある、という当たり前の考えで突き進む少年たちの物語だからこそ、共感できるのではないでしょうか。
作品というのは、良くも悪くも時代の中で作られれるものです。
かつて見向きもされなかったものが、取り上げれるときもあれば、今の時代だからこそ美しくみえるものもある。
内罰的な主人公が流行するときもあれば、その逆もある。
少なくとも、何がいいのか、組織や時代の要請によって厳しくなる世の中において、炭治郎のようなキャラクターが、受け入れられたということは大きいのではないでしょうか。
以上、映画の前の復習に。なぜ面白い。アニメ「鬼滅の刃」感想でした!!