悪魔の少年。感想&解説「ファイ 悪魔に育てられた少年」
「ファイ 悪魔に育てられた少年」は、物語の概要だけ聞くと、「犯罪者5人に育てられた少年が、何かをするのだな」という話だと思うかと思います。
本作品の主人公は、たしかにその悪魔(5人の犯罪者)に育てられた少年には違いありませんが、いくつかの角度で見ていくことによって、面白さや、見え方が変わっていく作品となっていますので、そのあたりについて感想&解説を述べてみたいと思います。
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犯罪者たちの息子
物語は、誘拐事件から始まります。
身代金の受け渡しで失敗することまで考えた周到な計画の中で、5人の犯罪者たちはあることで揉めます。
それは、身代金目的で誘拐した少年を殺すか、どうかです。
普通であれば、身代金を手に入れることができなかったわけですから、あっさり殺してしまうところでしょうが、5人の犯罪者は、その少年を殺すことなく、自分たちの息子として育てることにするのです。
本作品の面白いところは、5人の犯罪者のうち誰か一人を、主人公の父親ということにするのではなく、全員が、ファイの父親という点です。
全員が自分のことを、パパだといい、ファイもまた、お父さん、とかパパと呼ぶ。
その関係性の奇妙さは、楽しめる点になります。
5人はどうして、ファイを息子として扱っているのか。
そのあたりに、一種にミステリーを匂わせている点は面白いです。
父親たちの力を受け継ぐ主人公
5人の犯罪者は、それぞれが特徴を持っています。
鍵を開けるいわゆるピッキング等が得意な父親、車の運転が得意な父親、銃の扱いがうまい父親など、それぞれ個性を持っています。
彼ら5人は、世間では白昼鬼と呼ばれており、5人一組になって犯罪を行っていく集団となっています。
用意周到な犯罪っぷりはすさまじく、車による逃走では、警察をだますために、果物を落としておくなど、初見だと、それも含めて計画されたものだということはわからないぐらいです。
もちろん、逃走車が逃げたことで、たまたまそこにいた高校生が、やけに目立つ色をした果物を落とす、というのは一見自然ですが、その瞬間の警察官をだますには十分な細工となっています。
賢明な視聴者は、果物が一つも車でつぶされていないことに気づくのではないでしょうか。
主人公であるファイが、それぞれの父親の能力を学び取り、優れた犯罪者になっているのですが、彼は、まだ人を殺したことがありません。
犯罪者集団の息子として育ちながら、まだ人を殺したことがない。
そんな少年が、どちらにいってしまうのか、というのもまた、物語上の楽しみの一つとなっています。
あちら側の世界
ファイは、一人の女の子に声をかけられてしまいます。
自転車のチェーンが外れて困っているのを助けてあげた少女ユギョンが気になってしまった主人公。
彼女の、素直さや、明るさが、ファイが日常に戻れるかどうかを決める、揺れ動く心を増幅させるための装置になっています。
そのあとに、父親の一人が、芸術系の大学に入るように、伝えてきたことで、ファイがどういう状況で生きているかがわかります。
本作品において重要なことは、ファイが犯罪者に育てられながらも、まじめで素直であり、かつ、能力的にも高い一方で、日常生活の中であったとしても、芸術的な才能を伸ばしていけば、犯罪をしてお金を稼ぐ必要のない、とても優秀な人間、という点です。
彼は、どちらにでも行けるのです。
犯罪者である5人の父親と犯罪集団白昼鬼の一人として活躍してもいいですし、一方で、大学に偽造証明書をつかって入学して、そのあと、一般人として暮らすこともできる。
ユギョンとキャンパスライフを送ることだって可能かもしれません。
しかし、彼の中には怪物がいて、それをどうするかという点で、彼の人生は分かれてしまいます。
実は、彼らの物語
さて、ここからはネタバレになりますので、ぜひ、「ファイ 悪魔に育てられた少年」を最後まで鑑賞してから見て頂きたいと思います。
本作品は、ファイの視点から物語をとらえると、映画的にわかりやすい父親殺しの物語となります。
立ち退きを拒否する老夫婦の旦那のほうを、ファイは、撃ち殺します。
実は、この時点で、ファイは日常に戻れなくなってしまっています。
その後、その老夫婦こそが、自分の本当の両親であり、両親は、ファイが生きていると信じているからこそ、立ち退きを要求されても、決して家を離れることなく居続けたことがわかります。
彼ら夫妻にとってすれば、お金の問題ではなく、我が子が返ってくる家がなくなるほうが辛かったのです。
ファイが、子供のころに住んでいた家のことを回想したりしないので、ちょっと唐突には思いますが、ベッドの上に飾ってある銀色の動物たちが、彼の中の怪物の象徴の原型になっているところは、一つのポイントでしょうか。
自分こそが誘拐されたときの子供であると気づいたファイは、父親たちを次々と殺していきます。
ファイ視点からすれば、良くも悪くも抑圧してきていた父親たちを殺し、最後に、血のつながりがないとはいえ、母親を救い出すというオイディプスコンプレックスものとしてみることもできますし、映画的には、父親を殺すことによる成長物語としてみることができるところではないでしょうか。
そして、父親から解放されたファイは、町に放たれる、といったところです。
しかし、本作品の面白さは、白昼鬼の頭目であるキム・ユンソク演じるソクテにこそあります。
父親の気持ち
「ほころびは、放置すると広がって厄介だ」
ソクテはそう言いながら、自ら見逃した盲目の人を殺させようとします。
白昼鬼がなぜ白昼堂々と犯罪を行いながらも、数十年捕まらなかったのか。
その用意周到さというのがポイントですが、彼らは今まで、そんな小さな綻びを見逃さなかったはずなのです。
彼のミスは、ファイを殺さず生かしてしまったということが一つ。
さらに、ほころびが広がることになってしまったのは、盲目気味のマッサージ氏が、自分たちが昔いた孤児院出身だとわかったせいで、つい見逃してしまったことです。
ソクテの親心もあって、盲目のマッサージ氏を、ファイの手で殺させようとしたことが、自体を一気に早める要因になってしまっています。
結果、ファイは自分自身の怪物の存在に気づき、ソクテは、そんな息子を助けるために、彼をさらに追い詰めることになるのです。
「ファイ 悪魔に育てられた少年」をみて、ソクテがなぜそこまでファイの中の怪物にこだわるのか、その点について疑問を覚えた方もいるのではないでしょうか。
白昼鬼による数多くの犯罪の一つのように演出しているのでわかりづらくなっていますが、彼らにとっては一番はじめ、または、かなり初期の犯罪が、ファイの誘拐事件だと思われす。
彼らは、同じ孤児院の出身であり、そこに寄付をしてくれる財団のお兄さん(牧師)との関係の中で、日常を逸脱してしまったメンバーであることがわかります。
ソクテ自身、自分の中の怪物(狂気と言い換えてもいいかもしれません)に気づき、その存在におびえていることは、幼いころのファイと同様だったのです。
ソクテは、その怪物の恐怖に打ち勝つ方法をファイに教えます。
「怪物でも幽霊でも正面から見据えろ。そうすれば消える」
それは、かつて怪物を恐れていた自分がいたからこそできるアドバイスです。
しかし、マッサージ師をファイが殺せず、再び怪物の姿をみるようになったことで、ソクテは、ファイを怪物から解放してあげるために、殺人を強要するのです。
ソクテからすれば、自分と同じ狂気を宿してしまった息子を助けるために、自分と同じ宿命を背負わせることになりながらも、息子のために修羅の道を歩む物語としてみることができます。
もちろん、自分がかつて孤児院にいたときに、財団の牧師が好きだった少女に暴行を加えた結果できてしまった子供であるということも示唆されています。
単なる誘拐した子供ではない
さて、物語の序盤はよくわからなかったですが、真実を知った上で見ると、白昼鬼の5人が自らを父親と名乗ることについても、合点がいくように思われます。
ソクテはおそらく、ファイと血がつながっているかもしれない、ぐらいには思っているでしょうが、本当の意味での確信はなかったのではないでしょうか。
牧師たちから子供を誘拐して、憎しみの象徴として殺そうとしたメンバーではありましたが、ソクテだけは、もしかしたら自分の本当の息子かもしれないという思いがあり、結局生かしてしまいます。
これは、彼にとっては綻びの一つではありますが、物語を動かすためのカギともなる行動です。
他の4人のメンバーからしても、単なる誘拐した子供ではなく、施設の子供であることに変わりはありません。
彼らが、本当の子供のようにファイに接していたことも、おかしなことではありません。
知らなかったのは、ファイ本人だけだったのです。
ファイ自身は、そのあたりの細かい事情を知らないままに、次々と父親殺しを行います。
ファイは、ソクテに謝ります
「もう怪物は見えません。ごめんなさい。僕が間違っていました。」
それは、かつて子供の時と同じような謝罪に見えます。
ソクテは、父親として彼を赦してしまいます。
「そうか。つらかっただろう。すべて終わった。もう大丈夫だろう。俺が解決してやる」
そして、ファイは、ソクテを殺します。
かつて、自分を誘拐したときに使われた銃を使って。
そして、本当の意味で、白昼鬼となったファイは、町へと放たれる、という渋いエンディングを迎えるのです。
自分はこちら側
物語の終わりのほうで、ユギョンに対して、カメラと自画像を渡されます。
ファイからすれば、日常に戻れたかもしれない最後の可能性としての彼女であったはずですが、そこに別れを告げる意味で渡したのでしょう。
学生服を着る彼は「このほうが、紛れやすい」という合理的な考えも含めてその恰好をしていますが、考え方を変えれば、彼は、まだ学生服を着たままの子供ということを考えることもできるでしょう。
やがて、彼は学生服からスーツに姿を変えるかもしれませんが、5人の犯罪者に育てられた彼は、結果として、悪魔に育てられた少年ではなく、犯罪者に育てられた悪魔の少年になった、というところで、物語が終わるところが面白かったです。
改めて、映像的な見どころも考えてみます。
見どころてんこ盛り
物語の前半は、白昼鬼の華麗な犯罪であるとか、それぞれの父親との関係を焦点に作られています。
ファイという少年が、犯罪者側にいくか、日常へと行くかで揺れ動くところも含めて面白いパートとなっています。
後半になると一転して、父親たちに鍛えられたファイによる、怒涛のアクションが繰り広げられます。
作品を見る前は、アクションシーンがあるなんて考えてもいなかったので、カーチェイス、銃撃戦、迫力のあるシーンの連続には驚かされます。
力はあるのに、日常に行くべきか悩んでいるためか、本来の能力を存分に発揮しなかったファイが、父親を殺しながらその力を発揮していくところの爽快感はぜひ体感していただきたいところです。
ナイフアクション、銃アクション、カーチェイス。犯罪ものとしての秀逸さや、残虐描写も含めて、韓国映画における見どころが一作品で詰まったものとなっております。
オススメ映画
映画と関係があるというわけではありませんが、本作品を見ていく中で、頭をかすめた作品をいくつか紹介して、本記事を書き終えたいと思います。
「ファイ 悪魔に育てられた少年」は、犯罪を通じて成り立つ疑似家族としてみることができます。
そういった意味では、是枝監督による本作品との類似性を考えずにはいられません。
犯罪することで生きながらえる家族を描いており、「ファイ 悪魔に育てられた少年」を日本風にしてマイルドにした感じになると、こんな感じかもしれないと思ったところです。
「ファイ 悪魔に育てられた少年」のあとに公開された作品ではありますが、作品の発想が異なりますので、こういうものもあると思って頂ければと思います。
また、同じく韓国映画でいえば「パラサイト 半地下の家族」も、面白いです。
こちらの家族の物語ではありますし、今の世相を反映しつつ、犯罪によって豊かに暮らす家族をコメディ的に描きつつ、最後には狂気を宿した作品となっています。
いずれの作品も、世間における矛盾が噴出したものとなっており、「ファイ 悪魔に育てられた少年」が気にいった方で、また未見であればご覧頂きたいところです。
「ファイ 悪魔に育てられた少年」で、実にピエール瀧に雰囲気が似た役者さんがおりまして、それぞれの、キャラクターを演じる役者の層の厚さも含めて、楽しめる作品でした。
以上、悪魔の少年。感想&解説「ファイ 悪魔に育てられた少年」でした!