人間は二度死ぬ。感想&解説「リメンバー・ミー」
第90回のアカデミー賞長編アニメ映画賞と主題歌賞を受賞した「リメンバーミー」。
本作品は、普通にみても面白い作品ですが、ちょっと、うがった見方をしても面白い作品となっていますので、本作品について感想を述べつつ語ってみたいと思います。
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脚本のうまさ
「リメンバー・ミー」は、脚本が魅力です。
まさに王道といった内容となっており、冒険あり、家族との絆や、勇気や自分を信じることの大切さなど、大事なものがこの上なくつまった作品になっています。
音楽が好きなのにもかかわらず、家族から音楽を禁止されている主人公のミゲルが、それでも音楽をやめないことによって、自分の家族や先祖まで救ってしまう、という点は、物語全体を貫く骨子としても力強いです。
死者のものを盗んだことで、先祖に赦しをもらわなければ帰ることができなくなってしまったミゲルが、ミュージシャンの祖父に会いに行く、という基本的な主人公の動機もすんなりはいってきます。
メキシコの死者の祭りという特別なタイミングに起きる、一晩の出来事として、まとまりながらも面白い作品になっています。
さて、そんな全体に対しての話もありますが、それぞれの良さについて語ってみます。
人間は二度死ぬ。
「リメンバーミー」の中では、何度も人間が二度死ぬということについて描かれています。
肉体的な死と、自分を覚えている人がいなくなったときの死。
本作品では、そんな死生観と、メキシコ人が先祖を大事にして、写真を飾って覚えておくという習慣を見事につなげた作品となっています。
この先はネタバレをしつつ、書いていきますのネタバレが気になる方はおきをつけください。
曾祖父であるヘクターと出会ったミゲルは、死者の国の事情を察していきます。
ヘクターの友人であるチチャロンが消えてしまうシーンでは、忘れ去られることで死者の国でも死んでしまうという事実がわかるとともに、音楽嫌いにみせていたヘクターが友人の願いによってギターを弾くというところもうまいもっていきかたになっています。
人に忘れ去られる恐怖というのは、誰の心の奥底にでもあると思いますが、そんな人間の根本的な恐怖も描いたものとなっています。
死者の国について
本作品の面白いのは、脚本もそうですが、そもそもの設定が面白いことになっています。
メイキングブックによれば、死者の国は、かつて、それほど多くの人が住んでいたわけではないようです。
忘れ去られてしまえば死んでしまうので、よほどの王族や歴史的人物でもないかぎり忘れられてしまうのですが、写真というものがメキシコに持ち込まれたことで、多くの人たちは、自分の先祖のことを覚えておくことができるようになってしまったのです。
ミゲルが、そのすさまじい光景に驚きますが、それがそのまま経済格差をも表しているのは皮肉といえるでしょう。
死者でも貧困
ミゲルが憧れていたデラクルスは、死者の国の高い場所にいます。ですが、彼らがいるようなところは招待されなければ入ることがすらできません。
一方で、ヘクターたちがいる場所は、地面です。
薄汚れたようなボロボロの家の中で、彼らは住んでいるのです。
死者の国ですら貧富の差が生まれており、だれしも知られないままひっそりと二度目の死を迎えていくのです。
ヘクターもまた、ママ・ココに忘れ去られてしまえば、死んでしまう運命にあるというのが物悲しい点です。
死んでも縛られる
さて、本作品は、家族とのつながりを示した素晴らしい物語としてみることもできますが、うがった見方をすると、大変窮屈な物語としてみることもできるのではないでしょうか。
ミゲルの高祖父であるママ・イメルダは、血族を従えながら君臨しています。
もちろん、やさしい人ではありますが、頑固に音楽は禁止と子々孫々まで押し付けて守らせようとしたりするのは、ミゲルでなくてもつらいはずです。
死んだ後でも、親族から干渉を受け続けなければいけない、というのはこれはこれでかなり嫌な世界ではないでしょうか。
すべての人が、親族や先祖のことを心から好きなわけではありませんし、わだかまりがとけないまま過ぎる人だって多いはずです。
ただ、本作の主題歌でもある「リメンバーミー」この歌そのものが、死者たちがいつまでも覚えていてほしいという願いがあるからこそ、死者の国でも人気というのもまた皮肉になっているところであり、物語そのものと深くかかわっている点も素晴らしいです。
王道の物語でありながら、その隠された設定や、死なない人たちもいる一方で、忘れ去られて二度目の死を迎える人がいるという残酷な事実を隠すことなく示している良作となっています。
以上、人間は二度死ぬ。感想&解説「リメンバーミー」でした!