シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

戦中の同姓愛に踏み込んだ意欲作 山田洋二監督「ちいさいおうち」

小さいおうち

「ちいさなおうち」は、中島京子による直木賞受賞作品を、山田洋次監督によって映画化した豪華な作品となっています。

戦争中に、旦那の部下と恋に落ちてしまうという昼ドラのような展開を、女中であるタキという女性の自叙伝によって、半世紀近くたってから語られることになる、というミステリアスな設定でつくられています。

タキが戦前の日本でみたものとはいったいなんなのか。彼女が、死ぬ間際までもっていたものとはいったい何を意味するのか。

そんなあたりを解説しつつ、考えてみたいと思います。

 

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物語の表面

倍賞千恵子演じるタキが、大甥である大学生の妻夫木演じる男から、自叙伝を書くことを薦められ、その事実に基づいてタキ視点で描かれます。

18歳のとき、山形の田舎からでてきたタキは、8歳年上の松たか子演じる時子の家に女中として働きにいくまえに、小説家の先生のところで女中をしています。

そこで、芸者との手紙をふいに部屋にだしておいてしまったときの話をします。


「芸者からの手紙を引き出しにそっとしまってくれた。女中は本当に難しい仕事なんだ。夫婦の円満は女中さん次第なんだ」


大旦那様が多少芸者と遊ぶのも不思議ではないか、と一瞬思うのですが、これ自体が女中として試される伏線になっています。

 

女中訓

女中訓

 

 

その後、タキは、小説家の先生の紹介で時子の家に働きにでます。


そこには、お嬢さんにしか思えないような若い奥様がいて、タキはそこでの生活を家たっていくのです。


物語自体は、若い奥さんが、吉岡秀隆演じる板倉正治という男に惹かれていき、やがて不義の関係へと陥っていくという物語です。


物語の表面だけみると、その中での女中による家政婦は見た感じにおさまっていくかと思いますが、その点だけみると、本作品の魅力は薄らいでしまうかもしれません。

 

この世界の小さい片隅に

直木賞を受賞した原作「ちいさいおうち」のすぐれているといわれている点の一つに、戦争を中流家庭の女中さんという視点から描いたところにポイントがあります。

戦争といえば、空襲で逃げ惑う人々、食糧不足による人々の困窮。

戦争中は大変だった、という点が強調されていたりすることが多い中で、大変な時代にありながら、とんかつを食べることができていたり、楽しいことでうきうきしていたりするそんな庶民の日常が描かれています。


「おばあちゃんは間違ってるよ。昭和11年の日本人がそんなにうきうきしているわけがないよ。ダメだよ、過去を美化したら」

妻夫木聡演じる健史は、ときどき非難します。

ですが、これは現代の我々からするとそういう感覚であり、実際に、その現場で生きていた人たちからすれば、その時々の楽しいできごとや明るい展望があって当然なのです。


ちなみに、戦争の悲惨なことばかりではなく、日常に目を向けた作品として近年有名なのは、こうの史代この世界の片隅に」をおいてほかにはないのではないでしょうか。

こちらのほうが、爆弾で被害を受けたりということはあるものの、ドンパチするだけではない戦争が描かれた、素晴らしい作品になっています。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

この世界の片隅に」を堪能してしまった人からすれば、「ちいさいおうち」は、少し物足りないかもしれませんが、本作品は、戦争に突入しようとしている人たちのささやかな日常だけが、特徴の作品ではありません。

 

罪と罰

さて、ここからはネタバレとなっています。


ただし、この作品を理解する上では、かかせない部分でもありますので、これからみる人でも注意しながらみてもらえると面白いかもしれません。

 

この作品は、同性愛について、というよりは、女中タキによる同性愛的な視点によって描かれた作品となっています。


「わたしね。長く生きすぎたのぉ」

と涙する場面があります。

倍賞千恵子演じるタキが、なぜ涙しなければならなかったのか。

この作品のラストのほうで、彼女が奥様が不倫相手に渡そうとした手紙がでてきます。

タキが渡すといって奥様から預かった手紙でしたが、結局渡さないで死ぬまでもっていたのです。


「おばあちゃんの、あの深い悲しみの原因はいったいなんだったんだろう」


大甥である健史がつぶやいて、映画は終わります。


ですが、この作品の同性愛的な視点をみれば、その悲しみは明らかです。

 

百合としてのおうち

黒木華演じるタキは、山形の田舎からでてきた娘です。

女中として働き、都会的で美しい時子奥様に出会います。

この作品で百合としてみえる要素はそれほど多くはありませんが、決定的なシーンがあります。


それは、不倫相手である板倉正治と逢瀬を重ねて家を空けている間に、時子奥様の親友である睦子が訪ねてくるのですが、そこでタキは、泣き出してしまいます。

「奥様、この頃少しヘンなんです。こんなこと旦那様の耳にはいれられません。わたし、どうしたらいいか。わからないんです」

「その板倉さんは、時子さんを好きなのね」

「好きになっちゃいけない人を、好きになってるのよ」

「そうなんです」

この場面、板倉が人妻である時子を好きになってしまうことに対して言っているように思えるかもしれませんが、睦子さんはタキを見て言っています。

睦子がタキに対して、「好きになっちゃいけない人を、好きになっているのよ」というは、すなわち、奥様を好きなのはタキのことなのです。

そして、睦子さんは言います。

「女学生の頃、そりゃあ、綺麗だったのよ。みんな好きになっちゃうの。あの人のこと。時子さんの結婚が決まったとき、自殺しかけた人もいたの。あの人が結婚するのが。独占したかったの。わかるでしょ、タキちゃん」

睦子は独占したかったのです。そして、タキにもその気持ちがわかるだろうと問いかける。

 

「苦しいわね、わたしよくわかる。こんな話し、私たちがしたことは、時子さんには内緒よ。絶対に、内緒よ」


別に、同級生が綺麗でみんな好きだなんて、まぁ、純粋な心でみればそりゃそうなんじゃない、と思うところですが、なぜ内緒にしなければならないのでしょうか。

それは、睦子という人が、自分自身の性愛について告白しているからにほかなりません。


戦前の日本において、同姓への恋慕など許されるわけもありません。

睦子という人物こそが、時子を思うからこそ、タキの気持ちにも気づくことができたのです。


この作品は、そんな時代の中で秘めるしかなかった思いによって、引き起こされる一人の女性の悲劇が描かれているのです。

 

女中として、人間として

一応、ミスリードするための場面は存在しています。


戦地にいくときまった吉岡秀隆演じる板倉に、時子奥様が手紙を書きます。


もともとは、一人で最後の逢瀬にでかけようとしていたところですが、タキはそれを引き止めます。

ちいさいおうちを守るためにタキが起こした行動、または、板倉正治が好きになっていた、という見方をする人もいますが、この作品は、タキという女性の罪の告白なのです。


今まで、奥さんに一切逆らわなかったタキが、そのときだけは時子を引き止めました。

「奥様、およしになったほうがよろしゅうございます。板倉さんとお会いになることをおやめになったほうが」

「タキちゃん、私に指図するの? いつからそんなにえらくなったの」

これは、今まで女中として接してきたタキが、はじめて違う立場で言葉を発した場面です。


彼女の成長がみられる部分であり、奥様との決別が近いことを暗示するものでもあります。


そして、彼女は、手紙を受け取るのですが、板倉正治には渡さないで終わってしまいます。


大旦那のところでの言葉が蘇るところです。

芸者の手紙をそっと引き出しにしまうのか。そもそも、その手紙を届けないのか。

夫婦円満は女中次第、というところがはからずもでているのです。

彼女はなぜ泣いたのか。

ここからは、もう少し踏み込んで考えてみます。


「長く生きすぎたの」

という倍賞千恵子演じるタキ。


生涯独身を貫いた彼女は、なぜそんなことを言ったのでしょうか。


それは、文字通り長く生きすぎたからでしょう。


言葉だけでいうのであれば、戦争によって命を落としてしまった人たちがいる中で、自分だけが長く生きてしまったことを嘆く、という気持ちですが、もちろん、それではないでしょう。


時子奥様への愛情が強すぎたため、板倉に手紙を渡すことができなかった。

さらに、当時、何も知らなかった彼女は、長く生きたことで知ってしまったはずなのです。


同姓を愛するということについて。

当時の日本では、そのようなことを知ることもできず、それそのものが罪であると思われても不思議ではないでしょう。

長く生きていなければ、そんなことに気づくこともなかったはずなのです。

そんな不幸が彼女をずっと縛り続けたのではないか。


そして、どうして、彼女はすすめられたからといって自叙伝を書き始めたのか。

そのあたりは、彼女の周りの人間の誰一人として、彼女のことを理解していなかった、というところではないでしょうか。

妻夫木演じる健史もまた、大叔母の気持ちをわかることはできなかったのです。


自叙伝の中に隠された秘めた想いに彼女は耐え続けていたのです。


同時に彼女は女中としての役割を全うしたともいえます。

時子奥様は、防空壕の中で、旦那と二人抱き合って死んでいた。

というところで、タキの自叙伝は終わっています。

もしも手紙を届けていたら、時子は死ななかったかもしれない。

手紙を届けなかったことで、夫婦円満な形で死んでしまった。

女中としては、正しいことをした一方で、大切な人を亡くしてしまった。

その計り知れない想いこそがタキへの罰となっているのです。


タキにとっては、ぼっちゃんの足をなで続けた1年間が、人生でもっとも輝いていた時期だったに違いありません。

 

「ちいさいおうち」は、さらっと流してしまうと、あたりまえの倫理を通して眺めてしまう作品になりがちですが、

時子の不倫疑惑をとがめるために、小説家である小中は言います。
「まったく、窮屈な世の中になったもんだよ。ぼくのようないい加減な人間まで非難するやつがでてくる。みんな人をみてモノをいうようになる。そして優しい言葉で勇ましく叫ぶ奴がのさばる。いやな時代だよ」

これって、現代でも同じことです。

そんな時代の中で翻弄されてしまった女性の物語が「ちいさいおうち」となっています。


タキという女性は強かです。

自叙伝の中では、自分が知りえないことも描いています。
ですが、そんな今では非難されないようなことであっても、非難される厳しい時代の中の、でも、中流家庭の女中さんから描かれた作品として、興味深い作品となっています。


山田洋次監督という大ベテランが気に入って作った作品でもありますので、改めて見返すことで見えてくるものもあるかもしれません。

 

以上、戦中の同性愛に踏み込んだ意欲策 山田洋次監督「ちいさいおうち」でした!

 

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