シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

妄想の成れの果て マーティン・スコセッシ映画「キング・オブ・コメディ」

The King of Comedy (字幕版)

  

マーティン・スコセッシ監督とロバート・デニーロといえば「タクシードライバー」が有名すぎるところです。

映画史に残る作品であり、数多くの人たちに影響を与えた映画ですが、1976年につくられた「タクシードライバー」よりも、ある意味はるかに危険な作品「キング・オブ・コメディ」についてかたってみたいと思います。

 

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妄想と現実の狭間で

バード・デニーロ演じるルパート・パプキンは、コメディアンになろうとしている男です。34歳という微妙な年齢でありながら、まともに仕事もついている様子もなく、自分にはコメディアンの才能があると信じています。

この作品のすごいところは、あまりに痛々しい人物が決して他人事とは思えないところです。


若い頃は、自分の実力もわからないままに、評価されないのを他人のせいにしてみたりするときもあるものですが、それが、ずっとわからないまま生きてしまったとき、人は、どうしようもならない化け物へと変貌してしまうのです。


今でいえば、ユーチューブを代表とする動画配信のサービスがあると思いますが、それを1980年代にやっていたら、こうなるんだろうと思ってしまう色あせない痛々しさと、恐怖があります。


有名なコメディアンであるジェリーに憧れる主人公は、無理やり彼に自分自身を売り込みます。


車に乗り込んできたルパートを追い払うため、「事務所に電話をかけてくれ」といわれるのですが、ルパートは、その言葉を真に受けて大変なことになっていきます。


主人公であるルパートの、思い込みと、妄想が、この映画をより面白い方向へすすめていきます。

 

ファンの危険さ

ジェリーは、人気絶頂のコメディアンであり、ファンからはサインを求められて、豪華な家に住んで別荘もありますが、果たしてその人生が幸せか、というと疑問があります。


ファンには押しつぶされそうになり、町の人々は誰しもが声をかけてくる。

一見楽しそうですが、サインをしてあげたものの、電話越しの人に声をかけてくれ、というのを断ると「癌になってしまえばいいんだ」と罵詈雑言を浴びる始末。


ファンというのは、実に勝手です。


ジュリーからすれば、そんないやなファンの一人に、ロバート・デニーロ演じるルパート・パプキンがいるといったところでしょう。

 

半端な実力

主人公であるルパートにしても、その協力者であるマーシャにしても、自分自身をきちんとみれていません。


コメディアンとしての実力が残念ながら一定値にまでなっていないルパートもそうですが、マーシャについては、お金こそ沢山もっているようですが、自分自身に魅力がなさすぎるのです。

動けない状態のジェリーに対して、一方的に迫り、そして、疑うことなくその拘束をはずしてしまう。

ルパートにしてもマーシャにしても、自分自身の都合のいいことしかみていないのです。


また、実力としても実に中途半端であり、彼らは努力らしい努力をしていません。

相手の住所や電話番号を入手したりする非合法な行動力については、ものすごいチカラを発揮しますが、肝心の地道な努力はしていません。


「芸能界はクレイジーな世界だが、世間並みのルールがある。この世界では経験がものをいう」


ジェリーは言いますが、ルパートはわかっていません。

もう一人の半端者

さて、ルパートが入れあげる女性がいます。


それは、15年前に学校でチアリーダーを務めていたリタという女性です。

美人コンテストでは一位になれなかったようですが、ルパートは自ら投票したということを告白します。


リタにしても、学生時代の栄光を忘れられないで、中途半端に生きてしまっている女性なのです。


ちなみに同じような境遇の人間が主人公として大活躍するシャーリーズ・セロンの映画「ヤング≒アダルト」は、その痛々しさと面白さがうまく結びついた作品です。


学生時代にスクールカーストの上位にいた主人公が、37歳になって再び田舎に戻ってきたら、大変なことになってしまった、という内容です。


キングオブコメディ」においても、リタという女性にそんな気質が見え隠れしてしまうところです。それは、ルパートとともにジェリーの元ををおとずれたときの格好も含めて、想像がつくところだったりします。

 

彼らが起こす犯罪

ここからは、ネタバレとなりますので、映画を見終えてから見たほうがより楽しめます。

 

さて、主人公であるルパートは、自分のことをきちんとみないジェリーに対して凶行的な行動に走ります。


キングオブコメディ」の恐ろしいところは、単なるつくり話というわけではなく、思い込みの強い人だったら、やってしまうのではないか、という恐怖を感じるところです。


ルパートのような人物は、決して多くはありませんが、必ず一定数存在しているはずです。


彼は、妄想と現実の区別がついていません。


とはいえ、区別がついている人間からすると、大変迷惑な存在であることは間違いないところです。


タクシードライバー」におけるトラヴィスは、ヴェトナム戦争からの帰還兵であり、トラウマを負っており、少女を助けるための義憤によって狂気に走る男ですが、「キングオブコメディ」は、ひたすらに自己愛だけで走り続けます。


自己愛のためだけに、犯罪を起こしてしまう彼のほうが、トラヴィスよりもより危険な存在といえるでしょう。

 

他のおススメ映画

妄想と現実の区別がつかない、と書きましたが、はたしてそれは悪いことでしょうか。


妄想と現実、ありえたかもしれない可能性。


そういったものを肯定的に描いた監督といえば、ジャコ・ヴァン・ドルマルです。

「ミスターノーバディ」は、離婚した両親の、父と母のどちらかについていくかで可能性がかわってしまう男の子の人生を描いたものとなっております。

この映画で面白いのは、母についていった主人公も、父についていった主人公の未来についても、等価値である、ということなのです。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

ありえたかもしれないだけなら価値がない、のではなく、ありえたことはそれだけで価値がある、のです。


その手の話が好きなかたは、是非、みてみると面白いと思います。


また、もっとストレートに妄想と現実というところでいえば、ナタリー・ポートマン主演「ブラック・スワン」は、その典型といえるでしょう。

アニメでいえば今敏映画なんかも、おススメです。

 

 

物語のラストについて

この映画をみた人の中で、賛否両論となるのが、物語の最後の部分です。


ルパートは、無理やりテレビにでてつかまったことで、一躍有名人になります。

獄中で自叙伝をつくり、コメディの練習をして、仮出所したときには、拍手をもって迎えられるのです。


笑顔でうなずく、ルパート・パプキン。


悪名は無名に勝るといいますが、こうして名前をうった彼は、憧れの舞台に立つことができた。

それは、まさにアメリカンドリームとしてありそうな気分にしてくれます。


そこで考えしまうのです。

これもまた、彼の妄想なのではないか、と。


そうだとすれば、彼の成功は妄想で、現実は別のところにあるのではないか。

マーティン・スコセッシ監督は、物語のラストについてきかれたとき、答えなかったそうです。


彼にとっては、妄想も現実も同じ価値なのであれば、それが嘘とか真実とかそういうことを考える事態が無意味なのです。

 

オタクの余計な恋

タクシードライバー」と引き合いにだされることが多い本作品ですが、主人公であるルパートと、トラヴィスは非常に似た精神性をもっています。


好きな女性を、ポルノ映画につれていってしまって愛想をつかされるトラヴィス

有名人のサイン帳の中に自分のサインを忍び込ませて、それをプレゼントしてしまうルパート。

彼らは、嫌がらせとして行っているのではなく、残念なぐらい他人のことがわからないのです。

ですが、ルパートがFBIにつかまりながらも、自分がでている番組を、リタのいる店で見せたところにこそ、泣けるポイントがあると思います。


ルパートは、自分がテレビに出演している姿を、リタに見せたかったのです。

リタからすれば、いい迷惑でしょうが、ルパートはみてもらいたかった。

彼が、犯罪に走ってしまったこともまた、リタのためと思えば泣けるのではないでしょうか。


何度も描きますが、それは、「タクシー・ドライバー」におけるトラヴィスが、ジョディ・フォスターを助けにいってドン引きされるのと同じです。

ラヴィスは、新聞で良いことをしたように掲載されますが、結局、彼の中のネジははずれたままです。

ルパートもまた、獄中から戻ってきて、妄想の中か、あるいは現実の中で一時注目を浴びたとしても、彼の本質がかわらない以上、そのあとまたおかしな出来事がおきるのは目に見えているのです。

 

今見てもまったく色あせず、むしろ、鮮烈な印象を残す「キング・オブ・コメディ」は、みる価値がありますので、一度は見てみることをおススメします。


以上、妄想の成れの果て マーティン・スコセッシ映画「キング・オブ・コメディ」でした!

 

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