シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

自分探しのやりかた。感想解説。スカーレット・ヨハンソン主演「私がクマにキレた理由

私がクマにキレた理由(わけ)(字幕版)

 

自分自身というのは案外よくわからないものです。

また、他人から指摘されてはじめてわかったりすることもあり、自分が本当にやりたいこと、というのは案外わからないものだったりします。


さて、「私がクマにキレた理由」は、スカーレット・ヨハンソンが主演の、ナニー(乳母)を通じて、自分自身に気づく物語となっています。

簡潔で分かりやすい内容でありながら、教育的な内容となっておりますので、解説をしつつ感想を述べて見たいとおもいます。

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クマはどうでもいい。

タイトルが「私がクマにキレた理由」なので、その理由が一番のポイントかと思ってしまうところですが、そうではありません。

本作品は、スカーレット・ヨハンソン演じるアニーという女性が、母親の支配から逃れて、自分自身のやりたいことに向き合うという物語です。

子供への愛情の物語であり、愛情に飢えた人間の物語でもあります。


物語の冒頭で、クマのぬいぐるみに怒っている主人公の姿がうつしだされますが、大事なことはそのクマの先にある人たちだったりします。


主人公であるアニーは、母親に支配されて生きています。


「頭もよくて、若さもある。私があなただったら、誰にも指図されることなく生きるわ」


という、母親。


自分が苦労したから、娘には苦労して欲しくないというのが母親の願いですが、アニー自身は人類学を勉強したいと思っています。

ですが、お金を稼げないことを理由に母親は否定し、ゴールドマン・サックスに就職して、お金持ちとして暮らすようにいうのです。

 

あなたを説明して。


「あなたの言葉で説明してください。あなた自身について」


アニーは言葉に詰まります。

理由は明らかで、母親によって自分が本当に好きなことを疎外されて、母親のいうとおりに生きようとしているため、自分自身がわからなくなってしまっているのです。

 

「全然わかりません」

といって面接会場をでていく彼女。

本作品は、彼女自身の問題を解決することを主眼にしています。

その後、たまたま、公園で自分をナニー(乳母)だと思って勘違いしたミスXに誘われて、彼女の息子のナニーとして働くことを決意します。


大学院にいっても遊ぶ友人を尻目に、彼女は、母親に嘘をついて住み込みで働きます。

 

 

プラダを着た悪魔

「私がクマにキレた理由」をみて思い出す作品としては、アン・ハサウェイ主演の「プラダを着た悪魔」です。


ジャーナリストになるべくニューヨークにでてきたアン・ハサウェイ演じる主人公は、たまたまファッション雑誌の編集部へ就職。

ジャーナリストを目指している彼女ですので、頭はぼさぼさで着ている服もダサく、メリル・ストリープ演じる編集長の小間使いとして振り回されながらも、彼女の魅力に影響されていく、というものです。


この映画が面白いのは、冴えない主人公が、圧倒的に仕事のできる編集長にこてんぱんにされたあとに、どうしたら自分が変われるか真剣に悩むところです。

自分のくだらないこだわりを捨てて、ファッション雑誌を見下していた彼女はどんどん美しくなり、仕事ができるようになったあと、雑誌社から去ります。

 

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構造的にいえば、「私がクマにキレた理由」も同様の形式をとっています。


お金持ち(証券アナリスト)になれ、と母親に言われた主人公が、上流社会のミスXの家に居候しながら、そのギャップに悩んだり、お金持ちだからといって幸せではない状態を目の当たりにしながら、やがて、彼女のもとから離れていきます。


最後に、手紙のようなものでメッセージが伝えられるところまで同じだったりします。

 

メリー・ポピンズ

さて、非常にわかりやすくオマージュされているのは、いわずと知れた「メリー・ポピンズ」でしょう。


メリー・ポピンズ」は、わがままな子供たちが書いたナニー(乳母)の応募用紙をみた魔法をつかえるメリーが、子供たちのところにやってきて、不思議で楽しい出来事を体験させながら、子供たちを教育していく物語です。


博物館に行く前に、長い単語について話す子供に対して、もっと長い単語があるよとして「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」という言葉をだしますが、これは「メリー・ポピンズ」によって有名になった長大語です。

劇中では、魔法の言葉とされており、不思議と元気がでてきます。


作中で何度もでてくる、傘なども、メリー・ポピンズがつかう傘をまるまるイメージさせるものとなっています。


「私がクマにキレる理由」は、現代版に翻訳したら「メリー・ポピンズ」といった立ち位置ではないでしょうか。

ただし、現代版になったら、メリーが母親にいきかたを決められて悩んでいる。という設定のものになっているのです。

あと、メリー・ポピンズで重要なのは、子供たちに愛情を注いであげられる期間はかぎられている、ということを教えてくれることだったりするのですが、本作品では、子供が親に愛情を向け続ける期間は限られている、という点を描いています。

ミスXもまた、母親に対して愛情をもっていたけれどいつの間にか失われてしまい、今度は自分の息子がそのようになるかもしれないという暗示も示されています。

親の子供への愛情不足こそが、本作品の問題視しているもう一つのテーマです。

 

アニーからみた社会

本作品は、一応、観察者としてのアニーからみた上流社会ということになっています。


人類学が好きな主人公は、ニューヨークのマダムたちを部族に見立てて、観察していくことで、主観的ではあるものの、客観性を保とうとした視点の物語としてつくっています。


ただ、人類学として難しい点を面白く指摘したり、ナニーの中にも分類があることを教えてくれたりと、自分たちが普段みれない世界を見せてくれる面白さもあります。


恋の要素もいれていますが、あくまで、一般人としてのアニーからみた、お金持ちになっても幸せではない人間たちの模様を描いているのがポイントです。


ちなみに、物語冒頭で次々と、自分はこうなれるだろうか、と他人をみて考えていくシーンがありますが、万国共通の自分探しあるあるといえるでしょう。

就職活動をしながら自分が何者でもない状態の時、目の前に座っている人をみて、自分がこうなったら、と想像してしまうのはやむえないことでしょう。

自分探しのやりかた

「人類学者たちはこう信じている。自分の世界を理解するためには未知の世界に身を沈めるべきだ。ナニーでひと夏過ごし、私はアニー(自分)を知った。ハドソン川を越えただけで、新しい発見をした。」


ちょっと、最後のほうはご都合的というか、説教臭い話しの進め方になってはいますが、映画のいいたいことはそういうことです。


ニューヨークのマダムたちを部族に見立てて、飛び込んでいったアニー。

そうして、彼女は自分自身が本当にやりたいことを知り、そして、したたかに生きていくすべを学んだ、という話しです。

 

ちなみに、本作品が気にいったかたで、「プラダを着た悪魔」をみたことのない人がいたら是非みてみて欲しいと思います。


プラダをきた悪魔」は、視覚的にも主人公の成長がわかるところに他作品とは一味違う切れ味をみせてくれます。

アン・ハサウェイの魅力を如何なく発揮しつつ、大女優メリル・ストリープの姿もみせつけつつ、業界ものとしても面白い作品です。


以上、自分探しのやりかた。感想解説。スカーレット・ヨハンソン主演「私がクマにキレた理由でした!

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