会社か、法令順守か。リドリー・スコット監督「エイリアン」
言わずとしれた、SFホラーの古典であり、「エイリアン」という名前を聞けば、誰しもが、だいたいどういう映画かわかってしまう有名作品でもあります。
ただし、エイリアンシリーズも後半になるに従ってその影響力を徐々に失っていき、ついには「エイリアンVSプレデター」といった、お世辞にも「エイリアン」としての、ビックネームの威厳が失われつつあったのは、事実といえるでしょう。
当時、なぜか、「フレディVSジェイソン」あたりにはじまって、他作品との対決ものがでてきたりする不思議な時代だったりしました。
それでも、「エイリアンVSプレデター」は3まで公開され、かなり色物として扱われてしまっていましたが、リドリー・スコット監督が再びメガホンをとり、エイリアンシリーズということを伏せて作られたのが「プロメテウス」でした。
いずれにしても、「エイリアン」のはじまりである一作目がどのような作品だったのか。どんな魅力があったのかを、振り返ってみたいと思います。
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SFホラーの金字塔
「エイリアン」は、宇宙空間という限定された場所の中に、正体不明のバケモノが浸入して、次々と仲間が殺される、という現在においてはオーソドックスな物語のつくりとなっています。
似たようものでいえば、ジョン・カーペンター監督「遊星からの物体X」なんかも、似たようなものです。ただし、その中でどういったテーマが語られるかが重要となってくるところでもあります。
「遊星からの物体X」は、仲間と同じ姿に化ける宇宙生命体によって、仲間同士で疑心暗鬼となっていく恐ろしさを描いています。
この手の映画において、モンスターというのは、我々が生活している中にある恐怖そのものと地続きの存在として感じられるからこそ、恐ろしいと思えるのです。
「エイリアン」もまた、得たいの知れないものが紛れ込んでくる恐怖の話しではあるのですが、同時に、当時珍しかった、守られるだけではない女性が主人公となっているところが魅力の映画でもあるのです。
強い女性。リプリー。
作中の人物は、現代の我々が見ると、あまり的確な行動をしているようには思えません。
勝手に行動をして事態を悪化させますし、宇宙空間という何かが起きれば全員が死んでしまうような、人間が本来生きられない環境の中で、あまり協力して物事を進めようとする意識が見られません。
「ボーナスはでるんだろうな」
と、何かあるごとに、機関士たちは言いますし、彼らは、契約に基づいて仕事をしている請負人に過ぎないこともわかってきます。
そんな一枚岩ではない人たちの中で、シガニー・ウィーバー演じる航海士であるエレン・リプリーは、正しい判断をしようとします。
当時は、女性が主人公の映画というのは、多くありませんでした。
女性は、男性に助けられるヒロインであるというのが大きかったものと思われます。
ジェームズ・キャメロン監督「ターミネーター」といった作品では、主人公のサラ・コナーが、守られるだけの主人公から、戦う女性主人公になっていったという作品であり、そういった意味でも面白い作品でした。
そんな時代情勢の中で、リプリーという女性は、次々と乗務員が殺される中、生き残っていく女性主人公となっています。
会社か、法令か。
仲間が謎の生命体に教われたとき、船の中に仲間をいれるかどうかでひと悶着が起きます。
「何かが顔に付着した。生物だ。開けろ。早くあけて、手当てを」
普通だったら、人命優先ですぐにでもハッチを開けるはずです。
ですが、リプリーは冷静に告げます。
「感染の危険があるでしょう。24時間隔離よ」
「彼の命に関わるだろ」
「みんなの命にかかわるわ。立場上できないわ。答えは、ノーよ」
リプリーが主人公であることをあまり考えなければ、リプリーは立場をとって仲間を切り捨てる冷たい人にみえるかもしれません。
しかし、現在の世の中は、法令順守が叫ばれ、企業の不正や改ざんによって大きな事件が起きている世の中です。
ましてや、当時の映画の中で、法令順守と会社の暗部や倫理との摩擦を描いているというのは、先進的といえるでしょう。
「乗務員などは場合により、放棄してよし」
そんな命令が下されていることを彼女はしり、激怒します。
彼女は、冷たい人間なのではなく、社会に対する正しい怒りと行動力をもった人なのです。
仲間からも疎ましく思われながら、それでも、仲間を守るために最善を尽くす強い女性として、エレン・リプリーが描かれているのが面白いところです。
エイリアンの見所
さて、物語そのものや結末自体は、「エイリアン」そのものをご覧頂くとして、本作品の見所といえば、エイリアンそのもののデザインです。
エイリアンそのものをデザインしたのは。デザイナーのH・R・ギーガーです。
彼の独特の意匠は、そう簡単にまねできるものではありません。
H・R・ギーガーは、主に「エイリアン」のデザイナーとしても知られる人物ではありますが、つくられることのなかったものの、その名前だけは知られている「デューン」において、ホドロフスキー監督にデザイン担当として起用され、サルヴァドール・ダリからも評価されるとんでもない人物です。
著作では、クゥトゥルー神話等でおなじみのネクロノミコンの名前を冠した画集を出版したりと、いずれにしても、一般的な綺麗なデザインとはまったく異なる感性で描くデザイナーなのは間違いありません。
そんな人物がデザインしているモンスターがエイリアンですので、見た目のインパクとは強く、初めてエイリアンを見る人は、その生理的に相容れないデザインに驚くに違いありません。
演じている役者たちですら、エイリアンをみせてもらうことはできなかったそうです。
そのため、映像に納められている役者たちの驚きは、初めて見る驚きそのものだそうです。
エイリアンに会う=殺される。というのがリプリー以外の役柄となっているため、映画のクランクアップ=死。であったことから、役者達は、そのエイリアンについて語りあう暇もなく、ただただモンスターがでてくるということだけがわかっていたそうです。
劇中では、人間の胸をぶちやぶってでてくる、チェストバスターと呼ばれているエイリアンの幼体など、登場人物と共に驚くことができる気持ち悪さとなっています。
リドリー・スコットのライフワーク
さて、紆余曲折を経て、再び「プロメテウス」で「エイリアン」を撮影し始めたリドリー・スコット監督。
近年では、ブレードランナー2049など、ハリウッドにきてからの有名作品が次々と作られていきます。
2017年現在で79歳という年齢ですが、まだまだ精力的に作品をつくりだしている凄まじい監督です。
古典ともいわれてしまうような作品をつくった監督が、いまだに新作をつくりあげるという環境を楽しむためにも、「エイリアン」含むそれぞれの作品を見直してみるのも、面白いかもしれません。
以上、会社か、法令か。リドリー・スコット監督「エイリアン」でした!