シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

毒親。デンゼル・ワシントン主演・監督「フェンス」

フェンス(字幕版)


デンゼル・ワシントンといえば、ハリウッドの歴史上の中でも、黒人俳優に大きく貢献し続けている人物でもあります。

「フェンス」という映画でもでてくるところですが、黒人差別というのは、確実に存在しており、その中で、黒人は様々な制約があったことは、残念ながら事実でした。


そんな時代背景にありながら、デンゼル・ワシントンが、黒人俳優として様々な映画に出演し成功をおさめていき、コメディ映画や、悪役ばかりに出演することが多かった黒人俳優の扱いが変わっていく、きっかけをもつくっていきました。

そして、デンゼル・ワシントンがメガホンをとり、且つ主演として作った「フェンス」は、非常に意義深い作品といえます。


一見すると、「フェンス」は、黒人差別によってひねくれてしまったデンゼル・ワシントン演じるトロイという男が、家族に対して、暴君として振舞う話しに見えるところですが、その中に見えるテーマを含めて、解説してみたいと思います。

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デンゼル・ワシントン

 改めて、デンゼル・ワシントンについておさらいしておきたいと思います。


デンゼルといえば、「トレーニング・デイ」で極悪麻薬警官を演じ、イーサン・ホーク演じる新人警官に対して、腐敗した警察の実態や、その中で自分の中の正義を貫くことの難しさを示しました。

ちなみに、「トレーニング・デイ」ではアフリカ系アメリカ人として、二人目のアカデミー主演男優を受賞するなどの快挙を成し遂げています。

 

 

「フェンス」の主人公トロイは、元野球選手です。

ニグロ・リーグと呼ばれる黒人のみの野球リーグに所属しておりましたが、世の中は人種差別がまだまだ強く、彼は、メジャーリーガーになることもできないままに、清掃の仕事につきます。

主人公であるトロイは、自分の人生がうまくいかなかったのは、黒人差別のせいだ、として、常々言っているところです。

 

トロイは、毒親か。


タイトルである「フェンス(原題 fences)」は、文字通り、家の周りにはりめぐらせたフェンスを意味します。

ただし、英語名では、複数形を意味していることから、様々なフェンスを意味するものと推測されます。


トロイという男は、妻に言われて、家の周りにフェンスを立てています。

妻が、夫をフェンスの外にでないようしたいという願いだったりもしますしが、後にトロイは、とある出来事の後に叫びます。

「死神さんよ。教えてやるよ。俺はこれから、庭のまわりにフェンスをつくってやる。おれのものをフェンスで囲む。お前はフェンスの外にいろ」

フェンスは、外敵から身を守るものでもあると同時に、自分の境界線をはっきりとさせるものとしても見ることが出来るのです。


トロイは、黒人差別というフェンスによって、人生が阻まれたと感じている人です。


そして、自分の息子達に対しても、そのフェンスについて意識させようとしています。


息子であるコーリーは、フットボール選手として才能があり、大学から声がかかったりしますが、トロイによって邪魔されてしまいます。


息子からすれば、自分のチャンスを親につぶされてしまったようなものです。


人によっては、この映画を、毒親と呼ばれる、子供に害をなす親の話しにもみえるでしょう。事実、デンゼル・ワシントン演じるトロイの行動は、毒親そのものに思えます。


もちろん、そういう側面はありますが、この作品は、それだけではない懐の深さがある作品でもあるのです。

オーガスト・ウィルソン

「フェンス」は、オーガスト・ウィルソンという劇作家の戯曲が原作となっています。

演劇自体は、1987年に初めて演じられ、2010年にもブロードウェイで再演されました。

この作品が、たんに時代の流れの中でひねくれてしまった黒人男性の物語であれば、これほど愛される作品にはならなかったに違いありません。


オーガスト・ウィルソンは、アメリカの黒人シェイク・スピアとも呼ばれた人物であり、姉と弟が大事にしているピアノを売りに行く「ピアノ・レッスン」なども有名です。

 

オーガスト・ウィルソン: アメリカの黒人シェイクスピア

オーガスト・ウィルソン: アメリカの黒人シェイクスピア

 

 

特に、オーガスト・ウィルソンは「ピッツバーグ・サイクル」と呼ばれる10年ごとにピッツバーグを舞台にした作品をつくった人物であり、アフリカ系アメリカ人たちが、どのようにして生き抜いていたのかを伝えてきた人物でもあるのです。

 そんな人物が描く作品「フェンス」が、へんくつな黒人の一生を語った物語ではないことは明らかです。

 

脚本のうまさ

本作品は、もともと舞台劇ということもあって、場面転換は極端に少なく、そのほとんどが、家の中や庭で行われています。


物語の前半は、ほぼノンストップでひたすら会話が続けられ、息子がお金を借りにくるところまで、途切れることがほとんどないぐらいです。


脚本としても非常に優れており、「フェンス」の登場人物は、主人公の友人であるボノ以外は、登場したときと大きく印象が変わっています。


主人公であるトロイは、物語の冒頭では、おしゃべり好きで陽気、お酒も金曜日にしか飲むことはないし、ものすごい愛妻家のように思われます。

また、10ドルというお金を借りにくる30を過ぎた息子は、お金の返済について聞かれて、恋人?の給料が入ったら返す、というヒモっぷりで、とてもまともには見えませんし、父親と仲がいいようにも思えません。


奥さん役を演じるヴィオラ・デイヴィスもまた、もくもくと日常生活をこなそうしており、その中に不満はみられません。


ここからは、ネタバレをしながら書いていきます。

 

物語が進むごとに、その印象は変わっていきます。


愛妻家だと思われていたトロイは、かなりの女好きです。

「俺が女の尻をおっかけたことがあったか。ローズとの結婚後は?」
「いや、ない」

という会話があり、女好きであることは示されてはいました。ですが、すっかり奥さん一筋かと思いきや、それは、イキナリ裏切られます。


「彼女(愛人)といると違う考え、違う自分気づかされる。家の問題や重圧から開放され、別の人間になれる。屋根の修理や金の心配をしなくていいんだ。なったことのない男になれる」

 

それまでは、愛妻家の男だと思っていたにも関わらずです。

家庭を守るためにひたすら頑張ってきたのだから、願望として理解できなくはないですが、それを実行するのとは別の話しです。

奥さんであるローズも突然のことで理解できません。
「なぜ、今なの? 10年前でも15年前でもなく」

「年は関係ない」


このあたりだけみると、トロイはものすごく自己中心的な人物です。
18年間連れ添った妻がいながら、愛人をつくり、子供を作り、あまつさえ、それを認めるように迫ります。

また、フットボール選手として頑張ろうとしている息子に対して、根回しをしてフットボールをできないようにしてしまいます。

さらには、追い討ちをかけるように、家の中に入ろうとした息子に対していうのです。


「俺の家だ。俺の金で買った。家に入りたきゃ、失礼しますと言え。家の主人を押しのけて入ろうとするのか」

「父さんが酔っ払って座っているから横を通ろうとした」

「買ってもらった服をきて偉ぶるな。俺のズボンをはき、俺のベッドに寝るのか?」


昭和の親父、といった感じです。


平和な日本に住む我々にとって、親というのはたしかに無条件で庇護を与えてくれる存在として、疑うことはないと思います。自分の父親としての権威が保てない人に限ってそのようなことを言うことが多いため、このシーンを見て不快になる人は少なくないと思います。


しかし、トロイという男は、本当にそんな男なのでしょうか。

 

ライオンズからみた父親

トロイという男は、野球選手として実力を持ちながらも、成功できなかった人物、というだけではありません。


「親父が怖くなくなり、俺は大人になった」


トロイが父親の元から去ったのは、14歳の時であり、その後、盗みを覚え、刑務所で野球の才能に気づき、出所後にニグロ・リーグのチームに所属します。


彼は、家(フェンス)の外にでるべきかを14歳で知ったのです。

だから、コーリーが反抗してきたときに、もう自立のときだと思ったのでしょう。


一人目の息子である、ライオンズは言います。

「清濁併せ呑め、親父がよく言っていた。三振するたびにいっていた。親父は、3連続三振のあと、場外ホームランを打った。試合が終わると、おやじと握手するために200人が待っていた」


二人目の息子である、コーリーは、納得できない表情です。

「すごいおやじだ。お前は、大丈夫か?」

 

清濁併せ呑む

 さて、本作品では、清濁併せ呑むという言いかたで、語られる部分が一つのテーマに思えます。


トロイという男は、黒人差別によってひねくれてしまった人物のようでもありますが、家族のために身を削っています。

そして、自分の身に起こる物事に対して、自分なりに真摯であろうとしているのです。

 

「俺は、ツーストライクだ」

なんでも、野球にたとえてしまうという人物でもありますが、彼の言っているのは、人生において、何がいいのか悪いのか、というのはわからない、ということではないでしょうか。


主人公は、14歳で家をでて、人殺しをして刑務所に入りますが、そこで友人であるボノと出会い、野球を知り、ローズと出会い、戦争によって知能が衰えてしまった弟のお金で家を買います。

 

息子にも恵まれ、18年間一緒だったローズという妻がいながら愛人をつくり、そして、愛人は亡くなりますが、子供を授かることができます。

奥さんであるローズからしても、最愛の夫に愛人がいることを知らされてショックですし、しかも、その子供を自分で育てることになるなんて、悲劇としか思えません。

でも、彼の葬儀の日、奥さんは、決して、トロイに対して恨み言を言ったりはしていないのです。


人間万事塞翁が馬という故事がありますが、その内容通りであり、人間何がよくて悪いかなんてことはわからないのです。

まとめ

この物語は、たしかに酷い話です。

昭和の親父が、暴力をふるような話しですが、実は、後半、息子であるコーリーの物語になっています。


コーリーは、トロイによって倒されてしまいます。

14歳だったときのトロイは、目が開かないぐらいに父親と殴り合って、そして、勝ったのでしょう。

しかし、コーリーは、彼の死後もまだ、父親との間にけりをつけられていないのです。

ローズは、父親の葬儀にでない、と言うコーリーに言います。

「あんたはあんたよ。あんたが自分の中に影を育てた。自分が大きくなるか、影をきるしかない。影が世間の中で、自分を計る目安になる。父さんはなれなかった自分と、自分そのものをあんたに託したのよ。間違いはあったとしても、全部あんたのためだった」


この映画は、毒親の話ではありません。

原作者であるオーガスト・ウィルソンにしても、この物語は、作者自身の体験をもとにして描かれているとのことです。

この物語は、けっして父親を憎む物語ではなく、また、ピッツバーグ・サイクルと呼ばれる、巨大な歴史の流れの中で、ピッツバーグで生きる人々がどのようにして、意思を後世につなげていったのかがわかる、壮大な人間賛歌になっているのです。

 

少しだけ余談ですが、特に正ギリシャ教会の中では、知能が低い人に対しては、天使のような扱いをする場合があります。ドストエフスキーの白痴などが有名なところですが、トロイの弟のゲイブもまた、戦争によって知能に障害がでてしまった男です。

そんな彼が、物語の最後にラッパを吹きます。


この物語がもしも、黒人差別によって悪い連鎖が断ち切れない家族の物語であれば、決してラッパはならないはずです。


特に「フェンス」では、黒人差別の中で、少しずつ立ち向かっていく人たちの姿が描かれています。


音楽の世界にあって、ライオンズは、黒人音楽が認められつつある時代に音楽をやっている人物であり、スポーツの世界でも、黒人選手がでてきている時代が舞台にしており、二人の息子たちが目指すものというのは、当時の黒人たちの生活をも反映しているものでもあるのです。


「フェンス」は、過酷な環境の中でうたわれる人間賛歌であり、デンゼル・ワシントンという、役者として黒人差別と戦った人物が監督・主演する稀有な作品となっておりますので、是非、そのあたりも含めてみてみると、より楽しめるかもしれません。


以上、毒親デンゼル・ワシントン主演・監督「フェンス」でした!

 

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