シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

苦手な人も。園子温監督 冷たい熱帯魚。解説&感想

冷たい熱帯魚

 

 園子温監督は多作な監督です。


冷たい熱帯魚」は、2010年に公開された映画であり、このあたりの園子温監督は、後に続く「恋の罪」などもあって、実際の事件を元に映画にする監督というイメージも若干ついていた時期でもあります。


そのため、見るタイミングによってはなかなか肌に合わない人もいるかもしれませんが、出世作の一つとなった「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」などは、世間的にも園子温監督の認知度が大きく向上した作品たちでもありますので、その見所も含めて、感想&解説をしてみたいと思います。

 

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愛犬家殺人事件


冷たい熱帯魚」は、1993年に起きた「愛犬家殺人事件」をベースに作られています。

実際の事件は、ペットショップを経営している夫婦が、トラブルが起きた相手を次々と失踪させるというものでした。


詳しい内容は、映画と併せてみていただければと思いますが、愛犬家殺人事件については、犯人自らが手記を発表しており、どのようにしてトラブルになった相手を失踪させたのかが書かれているトンデモない本です。


「ボデー(ボディ。つまり身体)を透明にする」


というのが、有名な台詞であり、骨に醤油をかけることで焼却時の匂いを誤魔化したりと、緻密に書かれた内容がセンセーショナルな作品でした。

 

共犯者 (新潮クライムファイル)

共犯者 (新潮クライムファイル)

 

  

映画と話は反れますが、事件というのは基本的に証拠があって初めて成り立つものです。


事件の証拠となる物証(この場合は遺体)が無ければ、警察などは動きたくても動けないのです。

(本当に失踪しているかもしれず、冤罪をつくりだす温床にもなりかねません)


そのため、事件の犯人は、相手の身体を自分達で綺麗に処分してしまい、誰の目にもつかない状態、つまり、透明な状態にすることで完全犯罪を成し遂げていったのです。

 

その犯人を演じるが「でんでん」であり、一見人が良さそうなおじさんでありながら、裏ではとんでもない悪人であるという、絶妙な演技は、「冷たい熱帯魚」をみる上での、大きなポイントになっています。

 

でんでん

冷たい熱帯魚」では、熱帯魚店「アマゾンゴールド」を経営する村田という男を演じるのが「でんでん」です。

でんでんさんといえば、「みんなー、はっぴーかーい!」といった決め台詞が有名なお笑い芸人でしたが、今では、役者というイメージが定着しています。

劇団にも所属していたこともあってもともと演技については申し分ない素養があったと思われますが、人のいいおじさんといったイメージから、裏表のあるやばい顔もあるけど、憎めないおじさんという風になったのは、良くも悪くも「冷たい熱帯魚」の影響があるかと思われます。

 

さて、「冷たい熱帯魚」の村田ですが、人間心理を読むことに長けており、言葉たくみに対象をその気にさせる話術、風貌、ユーモアのセンスを持ち合わせています。

そして、自分にとって都合の人間のぼでーを透明にする、という凶悪な人間でもあります。


近年でいうところの、サイコパスと呼ばれる人に属すると考えておおよそ間違いはないと思われますが、本作品においては、それが事件性という形で現れたということになるでしょう。

 

サイコパス (文春新書)

サイコパス (文春新書)

 

 

ただ、サイコパスという言葉をつかわなくても、傲慢で強引、でもどこか憎めない気のいいオジサンっていうのは、現代社会では共感されずらいかもしれませんが、周りの人間や、親戚の中に一人ぐらいはいたような気がします。


冷たい熱帯魚」では、「でんでん」さん演じる村田のように、人を殺したりするのをなんとも思わない酷い人間こそが、悪だと思うかもしれません。


ですが、程度の差こそあれ、こういったおじさんは存在するものです。

手段の良し悪しはあっても、ある程度強引にやる場面も、商売や人間関係には必要だからです。


さて、では、この作品におけるもっとも、悪い奴とはいったい誰なのでしょうか。

 

本当に悪い奴

ごくごく簡単に「冷たい熱帯魚」のあらすじを紹介します。


愛犬家殺人事件の、犬の部分を熱帯魚に変えた上で、小さな熱帯魚屋をやっている社本という気の弱い男が、村田という一昔前の強引なおじさんに引っ張られて、事件の共犯者にしたてあげられていく、というサイコホラーです。


普通であれば、前述の通り、村田が悪です。


ですが、この映画で実のところいいたいのは、一番ヤバイやつというのは、社本のように、自分が悪いとおもっていない奴なのです。


その主人公の姿勢は、物語が始まった瞬間からわかります。


神楽坂恵演じる社本の妻、妙子が、スーパーで冷凍食品を買い漁り、非常に、雑な感じで解凍します。


普通なら、もうそのまま出してもいいんじゃないかと思うのですが、妙子は、皿に盛り付けます。


そして、あきらかに、態度の悪い娘(美津子)と、社本、とその妻の3人が一緒にご飯を食べるのです。


そのシーンだけみれば、家族3人が団らんを囲んでいるように見えるでしょう。


でも、数秒前のシーンでみたように、それは、形だけの団らんです。
神楽坂恵演じる妙子は、一秒も料理はしていません。
(レンジでチンを料理という考えは、この際おいておきます)。


明らかに、妻は家庭というものに対して愛着など何ももっていないことがわかりますし、高校生ぐらいの娘である美津子は、あきらかにガラの悪い彼氏に呼び出されて、あっさり外へでかけていきます。


でも、社本はそれについて何も言いません。


彼は、とりあえず、家庭という形を保っているから何もいえないでいるのです。

そんな社本の気質に気づき、村田は言います。

「ビクビクしてよ、オドオドしてよ。反抗もできないのかよ。なぁ。おい」


でも、彼自身のズルさというのは、映画の中で、でんでん演じる村田によって暴かれていきます。

 

レンタル家族

 園子温監督は、前作「紀子の食卓」の中で、レンタル家族というものを題材に作品を作っています。


家族という形だけを保つことの無意味さ。

また、たとえソレが仮のものであったとしても、そのレンタルされた家族に癒しを感じる人間もいる。

 

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冷たい熱帯魚」では、社本という男の弱さが、形だけの3人で囲む食卓に現れているのが、絶妙です。


物語後半で、彼は、暴力によって、無理やり食卓を作らせます。

「食事の用意をしろ! 早くしろ!」


彼が急変した理由は、村田によって暴力や反抗心、自分の中の抑圧されたものを、解放していい、という風に唆されたからです。

明言はしていませんが、自分の醜い部分と向き合わされたためです。

 

彼は、でんでんによって、徹底的に壊されます。

ちなみに、映画をみているとなぜ村田という男は、ここまでして社本という人間を焚きつけるのか疑問に思うかもしれません。

ですが、キリスト教の熱心な信者であったと思われる父によって、厳しく躾けられ、抑圧されて生きていた村田が、社本の中に、自分の幼い時の感情を見つけたからと考えても、そう間違っていはいないと思われます。


「大バカ野郎。お前みたいな野郎が一番たちが悪いんだよ。自分じゃなーんもできないし、しねぇ。自分じゃ何にも解決できねぇ! だから、娘がぐれるんだよ。ぐれる理由はたった一つだ。お前が全部娘にゆだねたんだよ」

社本という男は、プラネタリウムに行くのが好きな大人しい男です。ですが、同時に自己主張しないかわりに、決断もしないで生きる男でもあるのがわかってきます。

 

男性の欲望

 突然ですが、「冷たい熱帯魚」をみて、嫌悪感を抱く人も多いのではないでしょうか。


性描写や暴力表現が激しい。血が肉が飛び散る。


そういったものは園子温映画の特徴の一つとしてたしかにあって、苦手な人も多いかもしれません。

ですが、園子温監督の場合は、そういった表現の多くはギャグのように描いているので、どちらかというと笑っていいような部分です。


もしも、映画を見た方がこの映画に対して悪い気持ちが沸き起こるとすれば、この映画は、ものすごく男性本位な、欲望まるだしの映画だからといって、大きく間違うことはないと思われます。


園子温監督自身が、インタビューで語っていますが、この映画は、男性の欲望がまるだしの映画です。


だから、村田が経営する「アマゾンゴールド」は、女性店員しかおらず、そのユニフォームがタンクトップに、ホットパンツという、まるでフーターズのような格好で接客しています。

 

 

神楽坂恵演じる妙子も、黒沢あすか演じる愛子も、女性は胸が強調された服しか着ていません。


そして、村田の妻である愛子は、強い男性についていくというキャラクターとして描かれています。


強い(と思われる)男についていき、それに従順に従う。

社本の妻である妙子もまた、暴力的な行動に対抗できず、村田という男に手篭めにされながら「もっと、ぶってください!」と罪の意識から開放されようとする、弱い存在として描かれています。

 

また、社本と村田が殴りあうシーンがあります。

これは、もう、デヴィット・フィンチャー監督の「ファイト・クラブ」です。

殴りあうことで、自分の中の男性性を目覚めさせる。

どこまでいっても、男性にとって都合がいい世界なのです。

 

 

一見、村田によって本当の自分に目覚めた社本ですが、娘である美津子からすれば、それは、単に気持ち悪い奴に過ぎません。

  

物語のラストの意味は

ネタバレも全開ですが、村田にしても、子供の頃のトラウマから抜け出せない人たちです。
「おとーさん、やめて。やめて」と言いながら、瀕死の状態になる村田。

結局、彼らもまた、子供に過ぎないのです。

 

「痛いか。人生ってのはな、痛いんだよぉ!」

社本は、娘に向かって言いますが、その姿は、たしかに痛々しいです。

社本という男は、プラネタリウムを愛する優しい男とかでは全然ありません。一見そう見えますが、神楽坂恵演じる妙子という女性は、あきらかに高校生ぐらいの娘がいる美津子とは不釣合いです。

なぜ、妙子が社本を好きになったのか。いつ再婚したのかなどは明言されませんが、社本という人間が、たんなる優しいだけではない男なのは、わかるところです。

その自分自身を騙して抑圧してきたからこそ、村田という男は、殴り合いながら社本に教えるのです。


「やっと死にやがったな、くそじじい。」
さて、美津子もまた、社本という父親に抑圧されていた存在です。


村田が言いますが、

「美津子ちゃんが、お前のためにうちをでていったんだよ。わかるか。美津子の優しさだ。お前らのいちゃいちゃのためだ。おまえのために、俺のところにきたんだ。お前が、おおっぴらに妙子とよ、◎◎◎するためによ!」


はじめに映画をみていたときは、村田が社本を精神的に篭絡するための台詞かとも思いましたが、物語のラストをみることで、美津子自身もまた、社本が望むようにしたがっていたに過ぎないことがわかるのです。


そして、社本が死んだことで、彼女もまた、自分の中にある狂気を知ることができたのです。


映画をみていると、父親が死んだのだから悲しむところではないのか、と思ったりもするのですが、彼女自身が抑圧(うがった見方をすれば、男性の、特に父親からの身勝手な圧力)から開放された、歓迎すべきシーンとして描かれています。


そのため、ラストでかかる音楽は、不気味な曲ではなく、「スケーターズワルツ」がかかるのです。


スケートをする楽しい人たちの様子を描いた、「スキーをする人々」という曲をバックに、美しい地球(社本がみていた、ツルツルの地球)が映し出されて終わるという、皮肉が込められたラストがたまりません。


本当に恐ろしいのは、村田のような存在ではなく、自分自身では何も決められず、見えているのに見ようとしない、でも、自分の欲望には従順に生きたいという身勝手な人間、という恐ろしさを描いた作品こそが「冷たい熱帯魚」となっています。


合う、合わないというのはあるかとは思いますが、10日間という短い撮影期間の中で、園子温監督がどん底の中で作り出した作品ということもあって、転換点ともなる記念すべき作品になっています。


本作品以降には、同じく東電OL殺人事件を扱った「恋の罪」などもありますので、気になった方はそちらをみてみるのも面白いかもしれません。

 

以上、苦手な人も。園子温監督 冷たい熱帯魚 解説&感想でした!

 その他に当ブログで紹介している園子温作品は以下となります。

 

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