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シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

連続ドラマも。園子温監督「愛のむきだし」感想&解説

愛のむきだし

 

園子温監督の数ある映画の中でも、傑作中の傑作の一つとされる映画が「愛のむきだし」です。

4時間近くに及ぶ長い作品に、さらに1時間を追加し、30分ごとのドラマにするという試みがJ:COMで独占放送されることもあり、改めて、「愛のむきだし」の、むきだしの魅力について考えてみたいと思います。

 

これは事実を基にした物語です。

 

園子温監督といえば、「冷たい熱帯魚」や「紀子の食卓」などでも知られる監督であり、「みんな!エスパーだよ」や「新宿スワン」といったマンガ原作の映画化も行う、幅広い才能を発揮する人物です。

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園子温の映画の特徴として知られるのは、実際の事件を基にした作品、監督の実体験をもとにした作品、それ以外と大きく分けることができると思われます。


実際の事件を基にしたものでいえば、今あげた「冷たい熱帯魚」は、愛犬家殺人事件をもとにした作品です。

犬のブリーダーだった犯人を、熱帯魚店の主人にかえて、プラネタリウムで星を見ることが好きなロマンチックな男が、狂気にまきこまれ、やがて、与えられた狂気で暴走していく物語です。

 

愛犬家連続殺人 (角川文庫)

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また、水野美紀がヌードになるということでも話題となった、東電OL殺人事件を基にした「恋の罪」なども有名です。

 

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園子温監督の実体験が強くでた作品でいえば、「地獄でなぜ悪い」や「紀子の食卓」などがあげられます。

また、園子温ゴジラともいうべき「ラブ&ピース」は、園子温監督が若いころに脚本を描き、後に映画化された作品であり、若い頃の作品を蘇らせたりする、ということもたまに行っている点も面白いです。

 


さて、「愛のむきだし」は、園子温監督の実体験と、とある事件をもとにしてつくられた作品です。


正確には、園子温監督の知り合いだった盗撮魔の男の話しで、その妹が宗教施設にのめりこんでしまったために、盗撮魔の兄が「こっちの世界に戻って来い!」と言ったという実話を基にした部分と、ご飯を食べるために、某○一教会も入って掃除をしたり、授業を受けたりしたときの経験がもとにして、作られた作品です。


とんでもない実体験と事実をもとにして作られ237分という長尺の映画ですが、そのテンポのよさからあっという間に見ることができます。

新人の二人


園子温監督の特徴の一つとして、無名の新人を起用することが多いということがあげられます。


ヒミズ」では、二階堂ふみ染谷将太を見出し(二階堂ふみにしても染谷将太については以前から作品には出演していましたが、演技力が花開いたのはヒミズのおかげといって間違いはないでしょう)、タラレバ娘などでも主演し「花子とアン」などでも知名度をあげた吉高由里子を「紀子の食卓」でデビューさせています。

 

新人、無名の逸材を見つけ育てていく才能にかけても、園子温はぬきんでています。


さて、「愛のむきだし」では、AAAの西島隆弘と、Folder5のユニットに所属し、単独で活動を始めていた満島ひかりが主演となっています。


AAAの西島隆弘は、演技の経験はなかったそうですが、作品をみるとわかりますが、その純粋で無邪気な感じが実によくでていて、主人公を魅力的なものにしています。
別の人物では、そう簡単に主人公のユウを演じることはできなかったでしょう。


では、物語そのものの魅力についてはどうでしょうか。

 

ヘンタイが目覚める。

 

237分という長尺の作品ということもあり、この作品は大きく二つにわけてみることができます。


前半部は、西島隆弘演じるユウという男の子の人生の、目覚めるまでの物語です。

 

幼ないときに死んでしまった母親に「マリア様みたいな人をつれてきてね」と言われ、主人公は、女性に対しての見方がおかしくなってしまっています。


さらに、そんな彼の父親は、神父であるにもかかわらず、情熱的な女カオリと出会い、あっという間に捨てられることで、頭がおかしくなってしまいます。


元妻を愛するあまりに神父になった父親は、結果としてカオリと不貞をしたことで、ユウが自分の罪の証拠そのものになってしまったのだと思われます。

細かい理由は別として、神父である父親は、ユウに対して懺悔を求めます。

 

懺悔とは、当たり前かもしれませんが、自分が犯した罪を告白するものです。

 

ですが、西島隆弘演じるユウは本当に心の優しい男の子で、罪などはなく、アリの一匹も殺せない少年です。


そんな彼に対して、父親

「今日の罪は?」

と聞いてくるのです。

「罪はありません」

「ないことはないだろう。罪を自覚していないことが罪だ。もっと、罪を自覚して行動するように」

と言われ、必要もない罪を探します。

彼は罪を必死に見つけようとしますが、心のやさしい彼に罪をみつけることができず、やがて、彼は父に懺悔するために罪をつくるようになるのです。


より大きな罪をつくらなければと思ったユウは、偶然出合った仲間と共に、盗撮をはじめます。


「お前はなんのために、盗撮をするのか」

「罪です」

「よろしい!」

ロイドマスター(?)と呼ばれるおっさんによる修行のもと、ユウは盗撮のプロとしてメキメキと実力をあげていきますが、その撮影方法は、実に面白くこっけいに撮影されているのがポイントです。

そして、父親に盗撮について懺悔すると、

「この、ヘンタイ!」

といって、殴られます。

ある意味ネグレクトされていたユウは、その行為に「愛」を感じるのです。

「盗撮することが罪なら、簡単だ」

彼にとって盗撮は、性欲を満たす行為ではなく、愛を得るための行為であることに悲哀を感じるのです。


この作品には、西島隆弘演じる「ユウ」、満島ひかり演じる「ヨーコ」、そして、安藤サクラ演じる「コイケ」という三人の、愛に恵まれなかったものの物語として、発展していくのです。

 

マリアを見つける。

 

ユウは、母親に言われたある意味での呪い「マリア様みたいな人をみつける」ことにとらわれています。

何千枚と盗撮しても、ユウは一度も興奮(もう少し具体的にいうとエレクト)しません。

彼にとっては、盗撮は罪をつくるためであり、それ以外の何者でもないからです。


ですが、行き詰っていた彼が、仲間とのヘンタイ写真の品評会で負けたことで、女装をし、町をぶらついていたことで運命的な出来事に遭遇します。


それが、満島ひかり演じるヨーコとの出会いです。


彼女もまた、親に酷い扱いを受けた女の子であり、ある種の女の子であれば共感してしまうであろう、ロックスターへの憧れや、男性嫌いなどを併発した中二病全開の女の子です。

彼女が唯一男性でカッコいいと思っているのは、カート・コパーンなところが素晴らしいです。

カート・コパーンといえば、ロックバンド「ニルヴァーナ」のボーカルであり、伝説的な人物です。27歳で夭逝してしまう彼は、ロックの歴史の中でも重要な人物です。

 

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それ以外は国外の女性のミュージシャンばかりが好きなヨーコは、自分がレズビアンかもしれない、と悩むのは、ある一定の世界の女性が一度は考えることではないでしょうか。

ヨーコは、聖書に出会うことで、一番カッコいい人物がイエス・キリストだと思うようになるのです。


インタビューで園子温監督がいっておりましたが、ヨーコにとってはキリストは非常に身近な存在として感じており、カート・コパーンと同じぐらいの人としか思っていないということも面白いところです。

だから、歌詞を引用するかのように聖書の一節を諳んじたのも当たり前のことだといっています。

──ああ、だからヒロインのヨーコは、カート・コバーンの次にキリストのファンになるんですね。
園 そう、カート・コバーンのちょっと前ぐらいにいた人。だから、ヨーコが新約聖書を読むのは、ジョン・レノンの「LOVE」を引用するのと同じなんだよ。


愛のむきだし園子温インタビュー(09年1月号)Rooftop記事より

 

 

ある意味において、ちゃんとした信仰をもっているヨーコと、女装したユウが出会い、おかしくなっていってしまうまでが前半といえるでしょう。

 

イキナリマンガのような展開

 ネタバレというのをどこまで気にするか、という点は難しいところですが、この先は、いくらかネタバレを含みますので、気になる方はご覧になってから戻ってきていただきたいと思います。

 

さて。

後半に入りますが、


なぜか、ユウとヨーコは義理の兄妹になってしまいます。


それまで、女性の股間をみてもまったく興奮しなかったユウが、唯一ヨーコをみて興奮することができたのですが、その感動的な場面のあとから、彼はどんどん不幸になっていくのです。


せっかく、好きになった女性が義理の妹になっていて、しかも、嫌われているというのは、相当な苦痛でしょう。

そこからは、少年漫画とかをごっちゃにしたような内容になっていきます。


自分が好きな義理の妹は、女装した自分(さそり)を好きだけれど、本当の自分は嫌われている。

しかも、コイケの策略によって、さそりという存在までもが奪われてしまい、ユウはどうしようもなく追い詰められていきます。


ちなみに、コイケの芝居によって、ヨーコはコイケをさそりだと思い込んでしまいます。


背丈も違うし、声も違うのだから、間違わないだろう、とつっこみをいれたくなるところだと思います。

ですが、既に見たことのある人はよく確認していただきたいのですが、ヨーコは一度も、さそりの顔を直視していないのです。

ヨーコに顔をみられないようにするあまり、ユウは顔を隠すように話し、あまりはっきりとしゃべりません。

 

そのヨーコへの態度の甘さに、付け入られてしまったのです。

もっと厳密なことを言ってしまえば、これは、コメディ的な部分も強いので、変身もののヒーローと同じく、どうみても顔は同じだけれど、ヒーロー・ヒロインと同一人物だと気づかない、お約束だと考えておいてください。

 

中二病の物語

ユウは説明するまでもなく、中二病の少年です。

母親に言われたとはいえ、マリアのような女性とでなければ、つつかないという誓いや、暴走してしまう部分などなど。

また、ヨーコも中二病です。


「私は目を瞑る。見えない弾がいつもどこでも飛んでいる。見えない弾は、無数にこの平和な町に放たれどこにでも飛んでいく」


ある意味世界を捉えているともいえますが、彼女の純粋さと、中二病的な感性が見事に表現されたシーンもあります。


余談ですが、ヨーコが白黒のテレビをみているシーンがでてきますが、これは、園子温監督が若い頃に主催していた、パフォーマンス集団「東京ガガガ」が行っていたことで、渋谷での交差点を、詩のかかれた旗等をもって集団で走る、というイベントのときのものです。

サービス的な部分もあるかもしれませんが、まさに見えない敵と戦っていたと思われる当時の園子温監督の心境まで伝わってくる、セルフパロディとして素晴らしいシーンだったりします。

  

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新興宗教の幹部であるコイケもそうですが、一番の中二病

 

そして、ある意味大人でありながら、一番、愛をむき出しにしている人物がいます。

 

愛がむきだし


ヨーコの義理?の母親であり、ユウの父親を篭絡した張本人であるカオリは、劇中の中で、ある意味もっとも愛に忠実な女性です。


映画をみていると思うのですが、彼女は、本当に嫌な女に見えます。

神父につめより、無理やり関係を結んだと思ったらいなくなり、再び勝手に戻ってくる。

一見わがままなだけの人物に思えますが、彼女は、自分の愛に対して正直なだけの人物です。

車で何度も激突し、事故寸前になりながらも、相手にぶつかっていく情熱は、みていて涙がでてきます。

 

少なくとも、ユウの父親である神父は、実は彼女の愛によって救われているのです。

神父になった父親は、結局、昔の妻から離れられないでいたのです。

そのために神父になった。一見やさしい神父様ですが、カオリは、神父を誘惑する悪魔ではなく、彼自身にある寂しさや悲しさ、愛の不足に対して、彼女は真っ向からぶつかって、愛を勝ち取っただけなのです。

 

その結果、彼は、神父を辞めて彼女と生きていこうとするところは、結果として、神父でいつづけることよりも、ずっと大事なことだといえると思います。 

最大の見せ場

 

さて、「愛のむきだし」は時間は長いにも関わらず、見所は満載となっています。

その中でも、特に見所の場面が、満島ひかりがワンカットで台詞を言うシーンです。

それは、ヨーコがユウに向かって、コリントの使徒への手紙の、愛の賛歌と呼ばれる章についての暗唱です。


愛とはどういうものか、というのが語られた章であり、聖書の中でもトップクラスに有名な部分でもあります。


アガペーと呼ばれる無償の愛について語られたものであり、愛とは何かがつづられたものです。


「愛が無ければ私は何者でもない。愛は寛容なもの。慈悲深いものは愛」

など、少し抜粋しただけでも、愛についてこれでもかと書かれています。

 

昔の映画になりますが、「エルマー・ガントリー」というアメリカの映画の中では、コリントへの手紙について同じようにふれられており、金儲けとして聖書を売っていた男が、愛する女性や周りの状況に気づき、やがて、自分がかつてのように行動することができなくなっている、ということに気づく物語です。

そこで引用されているのは

13章11節の

「私が子供だった頃、私は子供のように語り、子供のように考えをめぐらせた。しかし、大人になったとき、幼い子供のときのことはやめにした」


ざっくりと考えると、ただ毎日を過ごし、走ったりするだけで楽しかった子供の時とは異なり、一人前の大人になったら、もう走ったりするだけでは楽しめない、ということであり、子供のときのように行動することはできない、という状態を表すものとも考えられます。

 

 


うがった見方をするのであれば、今まで何も知らずに過ごしてきた(子供だった)ユウは、マリアのような女性ヨーコに出合った(大人になった)ことで、盗撮というのがすべて意味のないものになってしまったのです。

がむしゃらに盗撮し、股間に興味を寄せていたけれど、愛(ヨーコ)をしった今、盗撮などできなくなってしまった。

ゼロ教会がユウをAV会社に派遣して、盗撮ものの企画をやらせるのですが、それは、大人になりつつあるユウに対しての精神をつぶしていく攻撃の一種なのです。

大人になってから、ただ毎日走り回ったり(盗撮)するだけで、楽しいとは思えないはずです。

全ては、愛の物語


コリントへの手紙13章を暗唱し終えたヨーコは、ユウに言います。


「お前はこんなセンテンスも知らない。あんな色欲牧師と一緒に暮らしていたから聖書の事ですらちゃんと把握してない。わかる? 神様のことなんも知らないってことだよ」


父は神父であり、マリアを求めていたはずのユウは、打ちのめされます。


もっとも聖書に近いはずのユウですら、聖書や神について考えてもいないのです。しかし、大半の現代人がそうでしょう。


結局、新興宗教で修行をすることになったユウは、ヨーコを助けるために、とんでもない手段にうってでます。


しかし、あまりのショックにユウは精神を錯乱させてしまいます。

教団も壊滅的な被害を受けてしまいます。


親戚の、いたって普通の家に預けられたヨーコは、そこの子供の愛に触れます。

無邪気にクラスメイトが好きだと語る子供。

「やさしくってね。競争相手がいっぱいなの」

この子供もまた、彼女にとっては、大人になる前の、子供のように考え、語り、振舞っていたかつての自分になっているのです。


そして、改めてユウがもっていた無償の愛(アガペー)に気づくのです。


愛のむきだし」は、パンチラを多様するエロとバカな感じで見えづらくなっている部分もありますが、どうしようもないほどの愛についての物語となっています。

主人公であるユウは、無償の愛をもってヨーコに接しています。
そのユウの勃起による覚醒は、涙なしには見ることができません。


4時間にも及ぶ作品にもかかわらず、まったくその長さを感じさせず、テンポのよさと、壮大な愛が語られた傑作となっています。

人生において、愛とは何かを考えることになる素晴らしい映画となっていますので、一度見てみた方も、見ていない方も、何度でも見返していただきたいと思います。


以上、連続ドラマも。園子温監督「愛のむきだし」感想&解説でした!

 

当ブログで紹介している、園子温監督の映画は以下となっています。

 

 

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