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シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

ブラック企業勤めの心理状況がわかる。映画「セッション」

洋画 ぺぺろん

セッション(字幕版)

 


人は誰でも心が弱ってしまうときがあるものです。自分自身の決断に迷い、後悔するときもあります。


しかし、そんな時でも、人間は進まなければいけませんが、周りが見えなくなってしまい最悪のことを行ってしまう場合もあるのが現実です。


さて、人間というのが、どんな風にして追いつめられていってしまうのか。


音楽映画として捉えられて、ジャズには興味ないんだよなぁ、という人でも、主人公の心理状態を追うことで、人はどんなことをされればおかしくなってしまうのか、そして、それを超えた先にあるものを音楽を下地にしてみることができる本作品となっておりますので、解説してみたいと思います。

 

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わたる世間は地獄

 


この映画は、ラストのカタルシスまでの間は、本当につらいことばかりが起こります。


主人公のアンドリュー・ニーマンは、ジャズ・ドラマーを目指す青年です。


物書きをする父親に育てられましたが、親戚からは少し浮いた存在です。ですが、優しく理解のある父のもと、ドラムをたたくのがうまいとほめられたことで、音楽学校へと進学します。


彼の目標は、あこがれのテレンス・フレッシャー先生に指導してもらうことでしたが、彼は、すさまじいまでのスパルタとして有名でした。


はじめこそ、フレッシャー先生に認められて喜ぶ彼ですが、その厳しすぎる指導によって才能を発揮していく反面、どんどんと追いつめられていくのです。


冒頭でも書きましたが、この映画は、音楽映画としてみることももちろんできるでしょうが、これは、才能をもつものが追いつめられていく映画であり、あらゆる苦悩の先に何が待っていかを見せてくれる映画でもあるのです。 

競争社会


音楽にかかわらず、才能がものをいう世界は厳しい世界です。


野球やサッカーなどのスポーツにしてもそうですが、出場ことができる人間は限られています。


9人しかでられない試合にも関わらず、チームには何十人もの優秀な人間が控えている。その場合、選ばなければならないのです。

補欠ですらいられない人間も数え切れないほどいる中で、スポーツに限らず、芸術の世界においても、大量の才能から、選りすぐらなければならない。


自信のないメンバーは次々と落とされていきます。
主人公がきたことで、先輩のドラマーは、副演奏者へと降格させられます。


主人公の努力と、運によるものです。
まわりの人間からは「俺の楽譜をもつなよ」と険悪な対応をされます。


フレッシャー先生は、すべてを実力のうちと考えているのです。体調管理・時間管理・あらゆることはすべて、その本人の責任。


そのため、他人を蹴落としたとしても、結果さえ残せばいいとしています。


そう、結果こそがすべてなのです。
ですが、それこそが、この映画の悲劇を大きくするのです。

 

もつものともたざるものの差


フレッシャー先生に認められたことで、主人公はあこがれながらも声をかけることもできなかった映画館の売り子の女の子をデートに誘います。


これは、自信のなかった少年が、フレッシャー先生という世間的に認められた存在に認められたことで、自信がついたためと考えることができます。


さて、そのことはいいのですが、彼女との関係こそが、プロフェッショナルを目指すニーマンと、普通でいいと考えている一般人の明確な差を見せてくるのがおもしろいところです。


アリゾナの田舎からきた彼女。


そういう彼女に、「どうして大学に入ったの、専攻は?」とニーマンは聞きます。それは当たり前のことです。

田舎からやっとの思いで大学に入ったのですから、何かやりたい勉強とか夢とかがあると思ったのでしょう。


ですが。

 

彼女は、歯切れが悪いです。


なんとなく。特に勉強をしたいわけでもない。


ニーマンは、音楽が好きでドラムが好きで、好きであれば、プロを目指すのが当然だと思っています。

自分の人生は、自分が正しいと思うことを突き詰めることこそが本当だと思っています。


そして、そうじゃない人がいるとは思っていません。


この作品は、そういった一般人と、才能をもって磨こうとするものの意識の差もみせつけてくるのです。


すべての野球好きが、プロ野球選手になれるわけでも、目指しているわけでもないのです。

ニーマンは、プロを目指すべきだと思っているところがまた、彼自身の実直さ、まじめすぎるところがわかるというものです。


それでも、彼は、自分の音楽のことについてはなしたりしてそれなりに仲良くやりますが、音楽の練習をするために、彼女との時間すら無駄だと考えるようになってしまうのです。


本当であれば、彼女もまた音楽を目指す人であればよかったのでしょうが、たんなる一般人である彼女と、ニーマンの心が離れてしまうのは無理らしからぬことなのです。

 

 

音楽映画としては


正直言いますと、音楽の善し悪しについてはよくわかりません。


ただ、この映画が音楽映画としてみるよりは、音楽を通して、一般人と才能をもつものの差や、人間が追いつめられていく様を描いていると考えれば、この場合、音楽がわかるとかわからないとかはそれほど重要ではないとい思います。


社会では、理不尽なことで起こられることは日常茶飯事です。


この映画では、フレッシャー先生はニーマンに「お前のテンポは、遅いか、早いか」と聞いてきます。


そのたびに、ニーマンはわからなくて困ってしまうのです。


まわりの人間はわかっているのか。

わからないのは自分だけではないのか。


周りの人間は敵です。気を抜けば、席をとられてしまう存在なので、そもそも、相談なんてできません。
そのため、彼は、ひたすら努力するしかないと思い、練習にうちこむのです。


でも、実際の音楽の現場はわかりませんが、フレッシャー先生は、どうすればよくなるかを教えてくれません。


お前はダメだと、頭ごなしに言うだけで、何時間もできるまでやらせるのです。


音楽がわかる人からすればわかるのかもしれませんが、少なくとも映画をみている我々からすれば、理不尽に怒られているようにしかみえません。


いわゆる、ブラック企業のすべてはそうとは思いませんが、絶対的な立場にいる人間が、理不尽に怒ったり、何かを強要することで、人間というのは、どんどん疲弊していく、ということがわかります。

 


こうして追いつめられたニーマンは、ますます練習にのめり込み、人間性を失わせることで、結果として、機械のような正確さを身につけていくのです。

 

スパルタ教師は悪なのか。


フレッシャー先生が悪であるように書いていますが、必ずしもそうではありません。


たしかに、フレッシャー先生は、生徒をつぶそうとしているようにしかみえない行動をとりますが、一方で生徒を愛し、さらには憎悪もしていると思われます。


彼には、求めている音楽があり、それを完成させるために生徒に対して高い要求をしていることがわかります。


ニーマンに対しても、厳しくすることが正しいと思っていた、と。


現代社会においてはもはや通じないように思われる教育方法ですが、実は、ニーマンは、そのおかげで上達しているのもたしかなのです。


才能が必要な世界に入った時点で、あらゆるものを蹴落とし、自分の人間としての時間を削り、どこまでも自分を高められるか。


その結果本人が追いつめられてしまい、最悪のことが起こってしまったとしても、それよりも、音楽が、才能が、磨かれることのほうが上と考えている人たちも、いるということなのです。


「セッション」では、スパルタ教育が悪い、といっているわけではないでしょう。ですが、世間一般の常識に照らせば、それはやってはいけないことです。


しかし、「セッション」という映画の中では、肯定はしないまでも、そういった環境の中ででてくるものもある、と描いているのです。

 

集大成

その、集大成こそが、ラスト9分19秒の演奏にあるのです。

ちょっとだけネタバレしますが、フレッシャー先生は、正直、頭がおかしいとしか思えません。

 

結局は、若い才能に嫉妬して、次々と才能をつぶしていくやっかいな老害だったのではないか、という行動をします。


そのことにより、ニーマンは、一度はステージから去り、父親の胸にだかれ、父親は声をかけます。


「お前を誇りに思うよ」


それは、とても優しい言葉ですが、それを受け入れたとき、すべては終わってしまうのです。


フレッシャーは劇中でいいます。


「危険なのは、グッジョブという言葉だ」と。


まだまだだ、と言われることで人は高みを目指すものであり、よかったといわれた瞬間から、人は満足してしまう。


だからこそ、この父親の言葉は、非常に甘く、でも、一方で、ダメな言葉なのです。少なくとも、高みを目指す人間にとっては。


また、非常に嫌らしいことにフレッシャー先生はいうのです。「この大会ではスカウトマンがやってくる。スカウトマンはヘマをしたやつは絶対に忘れない」


その大会で、大失敗をするということは、もう音楽の世界では絶対に活躍できないことを意味するのです。


ニーマンは、一度、楽器をすべて捨てます。
その中で、才能を発揮できない世界で、自分はなにをすればいいのかと呆然としてしまうのです。


そこで、一般人だった彼女に電話をしてももう遅い。彼は、一般人に戻ることもできず、かといって、音楽をすることもできなかった。


そんな中、再びフレッシャー先生に助けられた、というところからの、ラストシーンへの流れは、すさまじいです。


音楽の舞台を一度は失った彼が、舞台に向かうところなどは、「ザ・レスラー」の試合会場に向かうシーンを思い起こさせます。


ザ・レスラーは、ミッキー・ローク主演、かつて人気だった中年プロレスラーが、スーパーの総菜コーナーで働きながら、それでも、プロレスの舞台へあがっていくという、どうしようもなく、ですが、あまりに熱い男の物語です。

 

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「セッション」は、トラウマをかかえた人がみる場合は、覚悟をしてみないと、いろいろと思い出してしまうかもしれませんので、是非、気をつけていただきたいと思います。


ただし、この映画の、9分19秒には、そのすべてを帳消しにしてくれます。


いったい、なにがセッションなのか。その答えのすべてが詰まっていますので、一度でも絶望したことのある人ほど「セッション」をみていただきたいと思います。

以上、ブラック企業務めの心理状況がわる/映画「セッション」でした!

 

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